カワムラケンジ(club THALI)

スパイス料理研究家/小さなファーマ― 90年代からの目標だった”食のアトリエ”今年こそ…

カワムラケンジ(club THALI)

スパイス料理研究家/小さなファーマ― 90年代からの目標だった”食のアトリエ”今年こそ開設するぞ~!最近はパン作りに夢中(^_-) #はじめてのスパイスブック(幻冬舎) #絶対おいしいスパイスレシピ(木楽舎) https://www.kawamurakenji.net

マガジン

  • Spice Journal

    カワムラケンジが主宰していたスパイス専門誌『Spice Journal』のnote版。 本誌は2010年3月~2015年1月まで全18巻を発行。 A5判型、フルカラー、32~64P、季刊、年3回刊。創刊当初は世界初のスパイス専門誌と呼ばれました。旅、人、スパイス実用、レシピ、栄養評価、ヨーガ、科学などと末広がりのコンテンツを提供し、完全バイリンガル、毎回違うスパイスの付録など斬新が山ほど詰まったミニマガジンです!

  • おいしいありか

    おいしいってなんだ? 調味料か?技か!?その答えは畑にあった。

  • カウンターの隣席

    店のカウンターは出会いの交差点。 ひょんなことで話を交わし、いつのまにか顔なじみに。 そんな他愛もない無欲の中に、自分や誰かを支える気持ちやかけがえのない言葉があったりする。 カウンターには天使が潜んでいるのかもしれない。

  • 裏町中華『新大蓮』ものがたり

    昭和時代、人と人が擦れ合うようにして生きていたあの頃の裏町人情劇。 そこには暑苦しいほどの感謝や信頼、誠実、思いやりなどがあった。一方で、寒気がするほどの裏切りや苛め、嘘などといったものも同じだけあった。 その清濁の中で、人の気持ちや仕事を学び、お金で買うことのできない貴重なものを手に入れることができた。それほど僕たちは不器用だった。

  • 蕎麦変人おかもとさん

    蕎麦屋に絶対バレてはいけない蕎麦変人おかもとさんマガジン立ち上げました😆 時は1990年代後半。サラリーマン岡本浩は外回りの営業ではなく、屋内でお客を案内するフロント係担当のクソ真面目の超働き者。が、この人が実は超ハイパー仙人レベルの「蕎麦変人」なのです。ネットも携帯電話もない時代に、多い時は一日7軒7枚の蕎麦を食べ歩き、遠い時は関西二府一軒を梯子。給料が足らなきゃ消費者ローンへも。 そして食べるだけでなく石臼をひたすら回し、イベントを手伝い、蕎麦打ちの極意にまで踏み込んでみたり。その一方で人一倍礼儀正しくコシが低いのです。今や名店と呼ばれる数々の蕎麦屋たちが愛した岡本浩のノンフィクションを連載します。

最近の記事

魔性のドライカレー昭和味

 おいしい記憶というものは残酷ですね。  昭和時代、特に50~60年代に食べたドライカレーの味が忘れられなくて困っています。どんな味か一言で言うとピラフあるいはチャーハンのカレー味。ポイントはルーやレトルトに必須のあのまろやかなコク?うまみ?とカレースパイスが見事に合体したザ・ジャパンな味です。  50~60年代、僕は高校生から20代という時代なのですが、当時の趣味は喫茶店巡りでした。それも個人経営の店ばかり。飲食業で働きながらも同じ飲食業である喫茶店をわざわざ巡りたくな

    • 日本のコリアンダーの玄関口 #6

      Top Page スパイスジャーナルという本 1.コリアンダーは伝統野菜 2.空港横にクシティの花畑 3.クシティはどこから来たのか 4.台湾とそれほどに近い 5.考察 海のシルクロード 特別編.クシティの味わいとレシピ 特別編.クシティの味わいとレシピ  沖縄本島のハーブ農家である大原さんから、「与那国島ではコリアンダーが自生していて野菜として常食しているらしい!」という話を聞いたのは2013年の暮れのことだった。  アジアが本場のはずのコリアンダーが、なぜ与那国島で

      • ショウガの皮はむくべきか?

        突然ですが、みなさんはショウガを使う時、皮をむく派ですか?それともむかない派? 一時期よく小耳にしたのが、ショウガは皮付近に栄養成分が集まっているので皮はむかずに使うように、という説。 これは僕の周りの編集者や料理研究家、管理栄養士までもが、今でも口を揃えてそう言います。 僕は「むく派」です。自分で栽培したものなら「こそぐ派」。以前は僕もむかずに使っていたことがあります。でも、10年ほど前、高知県のショウガ専門農家さんたちを取材して以来「むく&こそぐ派」になりました。

        • 『カジャナ』店主ヘメン・デイヴ一家に見る西インド・グジャラート料理 #5

          5.グジャラート・アフマダーバード探訪  今まで4回にわたって書いてきた当テーマ第5話めはインド北西部グジャラート州探訪の記録です。『KHAZANA(カジャナ)』店主ヘメン・デイヴさんの長兄アールビンさん・クスムさんのお宅にステイさせていただきました。  アールヴィンさんたちのお宅はアフマダーバードという大都市郊外にあります。アフマダーバードは1960年から1970年まで同州の州都だったそうな。マハトマ・ガンディーがアシュラム(修道場)を開き、当時支配していたイギリス政府

        魔性のドライカレー昭和味

        マガジン

        • カウンターの隣席
          9本
        • おいしいありか
          3本
        • Spice Journal
          18本
        • 裏町中華『新大蓮』ものがたり
          0本
        • 蕎麦変人おかもとさん
          16本
        • カワムラ ケンジ アーカイブ 〖魚河岸鰻遊〗
          4本

        記事

          『カジャナ』店主ヘメン・デイヴ一家に見る西インド・グジャラート料理

          1.ヘメン・デイヴ一家 『カジャナ(Khazana)』は大阪市淀川区西中島にあるインド料理店です。店主のヘメン・デイヴ(Hemen Dave)さんはアフリカで生まれ、6歳で家族のルーツであるインド西部グジャラート州の最大都市アフマダーバード(アームダ―バード、アーメダバッドなどとも発音する)へ。  後に大学でホテルマネジメントを学び、22歳(1984年)で来日。外国人ばかりが集まるバーで働き、1994年に夢だったレストランを開業しました。  当時の大阪はインド料理店も

          『カジャナ』店主ヘメン・デイヴ一家に見る西インド・グジャラート料理

          大阪スパイスカルチャー

          大阪にスパイスカルチャーを創り上げてきた すべての先人に尊敬と感謝の意を込めて。 なにかとスパイスという言葉でもって関西(特に大阪)が注目されることが増えた昨今。ここらでぜひ、大阪の本当の歴史について知っていただきたいと思いました。 僕は大阪の生まれ育ちです。幼少期から、おいしいものとおいしいものを作る人々が大好きで、4,5歳の頃は暇さえあれば友人他人に関わらず隣近所の台所や食卓を巡ってしまうので、ちょっと変わり者、だったようです。 後、16歳で裏町の大衆中華で働きだし

          大阪スパイスカルチャー

          冷静な衝撃的感動

          2021年4月から畑をはじめて今月で2年と2か月が過ぎようとしています。ドシロウトながらも気が付けば30品目をゆうに超え、面積も収量も集落のアマチュア族の中ではけっこう上位の存在となってしまいました。 このような僕ですが、やっぱり集落内でも変人扱いされてしまい少々戸惑っている今日この頃なのです。 というのも僕は目立つのだそうです。だってめっちゃ畑にいるから。 しかも1ヵ所じゃない。自分が栽培している畑はだいたい3,4ヶ所。お手伝いを入れると常に5,6ヵ所。このどこかでト

          畑の魅力は多様性

          畑をやることはもはや老後の道楽ではない時代になっている、と肌身で感じる今日この頃。少なくとも僕がお世話になっている地域(大阪北部の高槻・原地区)、そして師匠の下に、30代、20代の通常なら仕事で忙しいはずの若者たちが続々と集まってきています。 そりゃ大阪中心部まで1時間で行ける便利な郊外という地の利もあってのことと思います。 でも、中には仕事を辞めてでも、なんていうのがいるらしく、さすがに師匠たちはそれを止めているそうな。 畑で働きさえすればプロ農家になれる、なんとか食

          おいしいという魔除け

          おいしさほど手軽で簡単な邪気払いはないと思うんです。 これは店からの目線であれ、客からの目線であれ、家で家族のために作る側であれ、ご馳走になる側であれ、一人暮らしで自分で自分に作るときであれ、すべてのケースで言えること。 おいしさは瞬時に心の埃を一掃する。それほどにおいしいもんというのは心地よくて壮快なんだと思います。 そのことを実感したことが数えきれないほどあります。例えば三重・松阪でやっていたインド料理、定食の店『THALI(ターリー)』の時代にこんなことがありまし

          おいしいという魔除け

          店が燃えてわかったこと

          『ピーエイジバー』(大阪・箕面)を開業して2,3年が経った頃(1993,4年)のことです。 朝5時頃、自宅の電話が鳴ったんです。受話器を取ると聞き慣れないおっさんの声で「カワムラはんでっか?」。 店は毎朝3時頃までの営業。その日は暇で、常連さんとトランプしたり酒を飲んだりして、確か朝の4時頃に閉めたはず。まだ酔いが覚め切っておらず、いたずらかと思い「おっさん誰や?」と返すと電話先の方はこう言いました。 「うん、僕はね箕面消防署のもんやねん。悪いな、お休みのところ。あのね

          店が燃えてわかったこと

          感謝の風の手紙

          最近、西国三十三所巡礼なるものを始めました。いや、なんの信仰心も目標もありません。とりあえず寺社のある場所は空気がよさそうだし、黒柴犬のクロも喜ぶし。山登りじゃきついけど、足腰の弱いカミさんにはちょうどいいかなと。そんな車とうまいもんが最優先のチャラチャラ巡礼です。 それはそれで、巡っていくうちに少しずついろんな発見があってなかなか面白いです。 一つは、どうやら三十三所巡礼の中に数えられている寺社はどれも神仏習合の時代ということ。いや全部かまだ分からない。今のところ10ヵ

          お客がお店を育てる

          「東京はお店がお客を育てるけど、大阪はお客がお店を育てる」 そう言ったのは創業半世紀以上になる大阪のとある名バーテンダーでした。 僕は大阪の雑誌の取材で伺っていたのですが(著者プロフィール)、こちらのバーへはもっと以前からプライベートで通っていたので、妙に腑に落ちるというか、大きく納得できる言葉に感じました。1990年代後半のことです。 今の大阪は人間模様ががらりと変わってしまって、このような面影を感じることは少なくなりましたが、確かに僕が大衆中華で勤めていた19

          お客がお店を育てる

          カウンターの隣席 第一話 町の灯り

          僕の職業はライター、スパイス料理研究家です。 中学時代は水泳部。高校時代はバイクとバイトに明け暮れてました。 一時期は紆余曲折しながらも20歳を過ぎてからはとにかく飲食の現場一筋。コーヒー、ワイン、カクテル、ソフトドリンク、料理は主に洋中、そしてインド。料理のみならずいくつかの市場でも働いてきました。 親友たちからはお金と権力はないけど生き方がオモロイとよく言われます。も少しだけ覗いてやろう(笑)と思ってくださった方はこちらをご覧ください。 さて、ここでは特にテーマ

          カウンターの隣席 第一話 町の灯り

          おいしいありか #2 自家栽培野菜を激しく麻辣味に

          #2 自家栽培野菜を激しく麻辣味に苦手な味 誰もが苦手な味というものがありますね。当の僕は子供のころから好き嫌いが少ない子と言われてましたけど、それでもやっぱり苦手なものがわずかにありました。 そのひとつが麻辣味です。中国の味の組合せで、麻は山椒のシビレ、辣は唐辛子の辛み、のこと。 むろん、麻辣味を子供の頃から食べていたわけではなく、そもそも今でいう麻辣味は昔はおそらく存在していなかったと思います。少なくとも日本では。 麻婆豆腐が代表されるそれですが、日本にあるそれは

          おいしいありか #2 自家栽培野菜を激しく麻辣味に

          おいしいありか #1 キュウリがおばけになるまで

          #1 キュウリがおばけになるまで ニシダ師匠! 僕が念願の畑を始めたのは2021年4月のこと。場所は大阪北部の高槻という町です。北部は山林地帯となっていて京都・亀岡と隣接しています。その山麓に位置する原地区に畑があります。 最初はわずか30㎡くらいに7,8種類を少しずつやってみたら、これが思っていた以上に面白くて&忙しくて。その中でキュウリは2株トライ。1株はすぐに枯死してしまったので実質1株でした。で、これがなんと120本も収穫できて超面白い。農薬・化成肥料を使わな

          おいしいありか #1 キュウリがおばけになるまで

          日本のコリアンダーの玄関口 #6

          (原題「Spice Journal vol.15 夢のコリアンダー 与那国島クシティ伝説」) 台湾とそれほどに近いから 考察 海のシルクロードを伝って  クシティを追う旅を終え、僕なりに考えてみる。  今回、島民十名以上からお聞きした中で百パーセント出てきた言葉が「クシティは台湾からやってきたに違いない」ということだ。  台湾と与那国島の関係について少し掘り下げてみよう。  与那国の歴史をネットでサーチすると、十五~十六世紀にはサンアイイソバという女性酋長が統治して

          日本のコリアンダーの玄関口 #6