カワムラケンジ

裏町中華、餅屋、そば屋、レストラン、カフェ、わらび餅行商、ラウンジ、築地魚河岸仲買、バ…

カワムラケンジ

裏町中華、餅屋、そば屋、レストラン、カフェ、わらび餅行商、ラウンジ、築地魚河岸仲買、バー・カレー店・インド料理店の経営など飲食業界を多数冒険。🌟現在、畑が主役の『旬野菜とスパイスを楽しむ会』開講中🥕#はじめてのスパイスブック(幻冬舎) #絶対おいしいスパイスレシピ(木楽舎)

マガジン

  • Spice Journal

    カワムラケンジが主宰していたスパイス専門誌『Spice Journal』のnote版。 本誌は2010年3月~2015年1月まで全18巻を発行。 A5判型、フルカラー、32~64P、季刊、年3回刊。創刊当初は世界初のスパイス専門誌と呼ばれました。旅、人、スパイス実用、レシピ、栄養評価、ヨーガ、科学などと末広がりのコンテンツを提供し、完全バイリンガル、毎回違うスパイスの付録など斬新が山ほど詰まったミニマガジンです!

  • おいしいありか

    おいしいってなんだ? 調味料か?技か!?その答えは畑にあった。

  • 幻のそば屋『かしわぎ』

    かつて、大阪・ミナミのど真ん中に実在したそば屋『麺酒房 かしわぎ』。1995年に開業して以来、多くのファンに愛され続けてきたが、2004年の夏、忽然とこの世から消えた。 またいつもの気まぐれ休日か。実家に帰ってるのかな。あれ、まだ暖簾が出ない。おかしい、なんで? そして、ついには店の看板が入れ替わってしまった。こうして『かしわぎ』は消えたのだ。 多くのファンが心配し悲しんだ。 『かしわぎ』はどこへ行ったのか。

  • 昭和裏町中華『新大蓮』ものがたり(原版)

    下品で猥雑な表現が多いので、令和の現代には適さないと今までお蔵にしまい込んでおりましたが、なんだかむくむくとやっぱり一人でも多くの方に読んでもらいたいという思いが再燃し、あらためてここに公開することにいたします。もうしわけございません。どうぞご理解いただけると幸いです。 このものがたりは、昭和時代、人と人が擦れ合うようにして生きていたあの頃の裏町人情劇です。 そこには暑苦しいほどの感謝や信頼、誠実、思いやりなどが詰まっていました。一方で、寒気がするほどの裏切りや苛め、嘘などといったものも同じだけありました。 その清濁の中で、人の気持ちや仕事を学び、お金で買うことのできない貴重なものを手に入れることができたのだと思います。 ガラの悪い、でも澄んだ鶏ガラスープは超うまい、裏町中華『新大蓮』のコテコテ人情劇。どうぞお付き合いいただけると嬉しいです。

  • カウンターの隣席

    店のカウンターは出会いの交差点。 ひょんなことで話を交わし、いつのまにか顔なじみに。 そんな他愛もない無欲の中に、自分や誰かを支える気持ちやかけがえのない言葉があったりする。 カウンターには天使が潜んでいるのかもしれない。

最近の記事

パーボイルドライスとは何?本場ウエストベンガルの農村で見る聞く食べる

多くのインド人が家で食べているパーボイルドライス  インドの多くの庶民が実際に食べている主食、パーボイルドライス。特に東部から南部にかけての地域でよく見かける。最近たまに耳にするポンニライスとは南部のタミルナドゥー州の言葉だ。  インドでは小麦を使ったパン類も多く食べられているが、家庭ではライスしか食べないという地域や人種が大勢いる。実際、首都デリーや西部のラージャスターン州、中南部のテランガーナ州などの米店へ行くと、米大国と言われる日本も顔負けなほどの数え切れない種類の

    • まさかスイカが味方になってくれるとは

      毎年「今年の暑さは」と周囲の老練農家たちが口を揃える。で「今年はマジのマジでやばい」と大きな嘆き。実際、温暖化に強いと言われていたアンデス原産のトマトでさえも成ったまま腐るほど暑過ぎた。 でもそんな熱波だからこそより甘く美味しくなるものがあった。それがスイカだ。暑ければ暑いほど甘くなるそうで。また定植してから梅雨のタイミングともうまく噛み合ったのもよかったみたい。 スイカは収穫が最も難しいとも言われる。1日早ければ硬いし遅れれば柔くなる。今日か明日かとドキドキしながらヨー

      • 幻の迷店『麺酒房 かしわぎ』第三章

        第三章 酔っ払いの救世主  柏木さんに惚れこんだもう一つの理由が、その意外なまでの男気というかやんちゃっぷりである。普段は可愛い帽子にそば粉で煤ぼけた眼鏡、毎回必ずそば釜の湯を吹きこぼし、「あ、いけね」といって微妙に茹で過ぎのそばを掬い取るようなどんくささなのに、実は誰よりも面倒見がよくて、図太い筋の通ったガテン系だったことである。  関西に手打ちそばブームが到来し、『かしわぎ』もよく取材されるようになった頃、関西ではテレビや雑誌によく出てくる有名なグルメライターの重鎮が

        • 幻の迷店『麺酒房 かしわぎ』第二章

          第二章 謎だらけのそば屋  謎だらけの『麺酒房かしわぎ』に気持ちいいくらいにハマった僕は、隙あらば通うようになっていた。もちろん、ライターの師匠であり蕎麦変人の岡本さんと待ち合わせて。  この日も、8坪2階建ての狭小な店内は、顔を紅潮させた何組かのお客で賑わっていた。いつものモノラルなジャズと、そのリズムに合わせるかのように足をカックンさせ続けるオカン。そして超マイペースの柏木さん。岡本さんも相変わらず、酒のアテのはずのネギネギ小鉢(青ねぎの刻みとおかか)をおかずにして

        パーボイルドライスとは何?本場ウエストベンガルの農村で見る聞く食べる

        マガジン

        • おいしいありか
          5本
        • Spice Journal
          25本
        • 幻のそば屋『かしわぎ』
          4本
        • 昭和裏町中華『新大蓮』ものがたり(原版)
          4本
        • カウンターの隣席
          12本
        • 蕎麦変人おかもとさん
          16本

        記事

          幻の迷店『麺酒房 かしわぎ』第一章

           序章 忽然と消えた『かしわぎ』 第二章 大阪ミナミにモッタモタの江戸っ子参上  1995年の冬。  大阪地下鉄「心斎橋」駅改札前で岡本さんと待ち合わせた。  岡本さんというのは僕のライターの師匠であり、そば屋探検隊隊長でもある。ちょっと規格外な人で、日本語はもとより、英語、中国語の読み書き喋りが可能。仕事がない日でもスラックスにネクタイ姿。顔と体系は江頭2:50にそっくり。出身は広島、大学は青学だが銀座のそば屋で競馬とそばにハマって中退し、後に縁あって来阪。そして僕

          幻の迷店『麺酒房 かしわぎ』第一章

          幻の迷店『麺酒房 かしわぎ』序章

            序章 忽然と消えた『かしわぎ』  2004年7月の終わり。  ブゥゥゥンブゥゥゥン。夜遅くに電話が鳴った。  誰だ、こんな不自然な時間帯に電話を掛けてくるやつは。画面を見ると、仕事仲間の編集者なかもっちゃんからだった。 「どうした、どっかで飲んでるんか」 「あ、ケンちゃん、今話しても大丈夫かな」  なにやら神妙なトーン。先までカミさんとどうでもいい話題で盛り上がっていたところなのに、一瞬にしてどんよりとした重たい空気が漂った。 「なんや、どうかしたの」 「驚かな

          幻の迷店『麺酒房 かしわぎ』序章

          裏町中華『新大蓮』のチーフ(原版)最終幕

          第四幕 にんげん劇場 第一幕 メインストリート「イナイチ」 第二幕 店 第三幕 三度目の正直 第四幕 にんげん劇場 1.ヘヴィ級の道山さん  道山さんという常連客がいた。初めて会ったのは僕が高校二年か三年の頃。当時は上場企業の工場に勤めており、いつもきっちりとスーツにネクタイ姿で店に来ていた。パチンコ屋で台を譲ってもらったり、スナックに連れて行ってもらったこともある。バイクレースに没頭していた時は、道山さんが勤める工場のFRP成形部門でバイトもさせてもらうなど、なにかと

          裏町中華『新大蓮』のチーフ(原版)最終幕

          裏町中華『新大蓮』のチーフ(原版)3

          第三幕 三度めの正直 第一幕 メインストリート「イナイチ」 第二幕 店 第三幕 三度目の正直 第四幕 にんげん劇場 1.恋心が人生を導く  新しく勤めだした店は、こてこてディープの『新大蓮』とは正反対で、何もかもがすっきりサッパリとしていた。ユニフォームは純白のシャツに黒いスラックス、夜は蝶ネクタイをする。男は髭は禁止でショートヘアー限定。接客や注文時の受け答え、メニューの通し用語など、言葉使いも教育される。  営業時間は午前十一時から夜十一時まで。売りは神戸の名門コー

          裏町中華『新大蓮』のチーフ(原版)3

          裏町中華『新大蓮』のチーフ(原版)2

          第二幕 店 第一幕 メインストリート「イナイチ」 第二幕 店 第三幕 三度目の正直 第四幕 にんげん劇場 1.唯一無二の店のカタチ 『新大蓮』を語るにあたってこれだけは伝えておかねばならないことがある。  まず店の立ち方だ。イナイチとの間に幅一.五mほどの歩道があるのだが、店はこの歩道よりも二、三センチ埋もれるような格好で立っている。おまけに電柱が入口に立ちはだかるようにあるので、今時の目だってなんぼの俺様系とはまったく逆で、影でしょんぼりと立っている感じである。

          裏町中華『新大蓮』のチーフ(原版)2

          裏町中華『新大蓮』のチーフ(原版)1

          この原稿を最初に書き上げたのは、おそらく2009年頃のこと。自分にとってあまりに大きな存在であり人生の大元となった店なので、それ以来何度も何度も書き直しては葛藤を繰り返してきました。 事実は小説より奇なり、な人生盛り沢山の僕としては、最初は堰を切ったように一人で書きなぐり、でも、こんな自己満文体なんて誰も読めないんじゃないかと整理を繰り返し、時に地名や固有の名称を全て入れ替えてみたり、小説家を気取って格好つけた文体にしてみたり。職業病と言えば格好よく聞こえますが、実は自信が

          裏町中華『新大蓮』のチーフ(原版)1

          12泊13日の東インドのストリートフード

          これまでの記事はこちらからどうぞ 市場、お祭り、行商の味 同じインドでも本当に場所によって全然違いますね。マジで外国の集合体という感じ。この多様性もインドの魅力なんでしょうね。 ウエストベンガル州南部の農村を拠点に過ごした12泊の中では、村の市場や毎週開催されるフェス、ムスリムのお祭り、稲刈りの現場、ご親戚のお家などあちこちでいろんな味に触れることができました。 今回はA氏の食卓以外の味の数々を記録したいと思います。 続いて次回はウエストベンガルの魚ギャラリーをドキ

          12泊13日の東インドのストリートフード

          12泊13日の東インドA家の食卓一覧

          これまでの記事はこちらからどうぞ ワイルドな暮らしを支えるRさんのご飯 東インドはウエストベンガル州南部の農村。西へあと数キロもいくとオリッサ州というところに料理人A氏の実家はあります。 僕がお邪魔した12泊13日は異常気象もあって連日気温40℃超え。ひどい時は45℃もあったようです。その上湿度も70パーと異様な高さ。 そこらじゅうに沼や池が点在し、一見普通に見える地面も手を突っ込めばじめっ。上手に日陰を利用し野菜の栽培を行っていたのが印象的でした。 でもここいらは

          12泊13日の東インドA家の食卓一覧

          東インド・魚釣りとブレッドオムレツ

          肉、魚、魚、魚。 「肉は高級で貴重だから、せいぜい月に2,3回食べられたらいい方。肉の種類は3種類で最も多いのはチキン。次にビーフ。マトンは年に何回も食べない。その代わり、僕たちは魚をよく食べています。魚は週に2,3回。多ければ一度に2,3種類食べることもあるし、お客さんが来たら高級な魚を買うこともあります。この沿岸地域はみんなそんな感じだと思う」 そう話してくれるのは今回のステイ先ご主人A氏。38歳の料理人です。目の前はベンガル湾。網を引きながらゆっくりと泳ぐ漁師たちが

          東インド・魚釣りとブレッドオムレツ

          12泊13日の東インド・ウエストベンガル~いまどきムスリムA氏の実家の食卓2

          これまでの記事はこちらからどうぞ ベジ豪華版。でも夜は。 翌日(ウエストベンガル上陸3日目)のお昼、Rさんが目を細めながら釜戸に向っていました。現在の外気温41℃。Iphoneを見ると今日の予想最高気温は42℃で「熱波警報」なる言葉が書かれています。 この辺りのイスラム系のお家はみんなそうらしいのですが、家の中のキッチンとは別に離れに釜戸があるらしく、熱波化?が著しい昨今はその離れのみならず、離れへ行くまでの数mを歩くだけでも暑いのだそうです。そこで一昨年A氏が同じ家の

          12泊13日の東インド・ウエストベンガル~いまどきムスリムA氏の実家の食卓2

          12泊13日の東インド・ウエストベンガル~いまどきムスリムA氏の実家の食卓1

          まずは、お米が基本中の基本 泊まらせていただいたのはイスラム教徒のお家です。A氏はオーディオと釣りとバイクが大好きで、奥様Rさんはいつも華やかな衣装に身を包み、宗派問わずのインド系ダンスミュージックが大好き。そして息子のA君は2歳9か月にしてすでにスマホのYouTubeやゲームを使いこなすデジタルキッズ。 A氏は38歳、Rさんは28歳。実に若々しく明るい、いまどきのヤングファミリーなのです。 A氏の職業は料理人。北インド料理、パンジャブ料理、南インドのティファン類、そ

          12泊13日の東インド・ウエストベンガル~いまどきムスリムA氏の実家の食卓1

          インドカルチャーに敬意をこめて~ハラール・牛のト殺(活〆)レポート。日本人向け

          本稿では牛の生々しい描写、写真を掲載しております。ご注意ください。 なんでも食べる日本人だからこそ、 インドで牛のト殺に立ち会ってきました。 様々な国の都合、様々な信仰・信条を考慮して、SNSではなくnoteで書くことにします。 2024年5月4日、僕はインドのとある農村で、牛のト殺というものに生まれて初めて立ち会いました。イスラム教聖職者による作法に基づいた、いわゆるハラール式のト殺です。 最初に申し上げておきますと、これはお涙頂戴の感情論でも、非菜食主義・菜食主義

          インドカルチャーに敬意をこめて~ハラール・牛のト殺(活〆)レポート。日本人向け