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裏町中華『新大蓮』のチーフ(原版)2

第二幕 店


第一幕 メインストリート「イナイチ」
第二幕 店
第三幕 三度目の正直

第四幕 にんげん劇場

1.唯一無二の店のカタチ


『新大蓮』を語るにあたってこれだけは伝えておかねばならないことがある。

 まず店の立ち方だ。イナイチとの間に幅一.五mほどの歩道があるのだが、店はこの歩道よりも二、三センチ埋もれるような格好で立っている。おまけに電柱が入口に立ちはだかるようにあるので、今時の目だってなんぼの俺様系とはまったく逆で、影でしょんぼりと立っている感じである。

入口はアルミサッシの引く戸タイプで、年々すべりが悪くなって客が開けるのをてこずることが増えている。周囲の人々は建物が傾いているのだと言うがチーフに言わせると「地面が歪んでる」らしい。

店を開業したのは一九七〇年代の後半。その頃に歩道の工事があったらしく、以来ちょびっとだけ低く埋もれたのだと。このときにゲリラ豪雨なんてものがあったなら確実に浸水するパターンである。

店が入る建物は大阪万博よりも古い、とのことだがチーフも詳細をわかっていない。俯瞰して見ると、左側の喫茶店が太くて、右側の『新大蓮』が細くてやや鋭利な台形をしている。

昭和50年代は店先を歩行者や自転車が数多く行き交っていた

 イナイチ側から向かって見ると、店の右側は舗装をしていない砂利地で、軽自動車の頭だけなら二台おけなくもない駐車場。その右端に塗料が剥げ落ち、錆が回った鉄柱が一本立っていて、この上に「北京料理」と書かれた看板が掛かかる。

 店内へ入ると、右手がカウンターで赤いビニールを貼った場末のスナック的な椅子が六、七席。殆どは擦り切れていて、腰を掛けて、腰をひねるとキーキーとうるさい。左はテーブルが六〇~七〇センチほどの間隔で二つ置かれ、ひとつのテーブルにパイプ椅子を六つずつ配置しているが、当然テーブル間が狭すぎて実際には十二人座ることなんて出来ない。これをチーフは宴会の相談を受ける際に、平気で「詰めたら二〇人は入れまっせ」と言ってのけるからやっぱり適当マックスだ。

 左手の壁は微妙に波打つ合板で、美しい筆文字で書かれたメニューの紙札がずらりと並ぶ。これはちゃんと文字屋の職人に頼んで書いてもらったものらしい。文字を書くプロフェッショナルがいることをこのとき初めて知った。

 カウンターの向こう側は厨房だが、奥行きは二メートルほどしかなく、その隙間に三つの釜(ガスの火口)やスープ、餃子の鉄板、台下冷蔵庫がみっちりと横に並び、壁際に食器や素材を載せる棚がくっついている。その下にラードやごま油、醤油などの入った一斗缶が並び、同じく壁側の勝手口横に奥行き四五センチ幅九〇センチの二層シンクがおかれている。宴会用の大皿や三升の炊飯釜などを洗うときはホースを引っ張って床か勝手口の外て洗う。ちなみに床はセメントだが傾斜がついていてグリース・トラップがあるので上にスノコが敷いてある。

 客席の突き当たり左側にコカコーラのロゴが入った赤い巨大な冷蔵庫がどかんと置かれ、向かいには卵が入ったダンボール、冷水機、壊れたままのレジ、黒電話、サランラップがぎっしりと置かれ、壁には出前などのメモがテープで貼られている。

 と、これくらいならその辺の都市の片隅に今でも残ってそう。これより先が比類なき『新大蓮』ならではの、あなたの知らない世界である。

 まず、トイレがショッキング。何というか、客を選ぶと言うべきか。万が一、綺麗なスーツ姿のおねーさんなんかが来てしまうともう大変。そういう女性ってなぜか一度は「トイレはどこですか?」と聞いてくるもので、そのたびにチーフも僕も「あの、それはつまり…」なんて口ごもってしまうのだ。一〇人中九人は、行きはよいが帰りは顔面蒼白の無言となるもんだから。酷い時は入るのをやめて引き返してくる人もいる。

 そのトイレは建物から少し離れた位置にあった。ガタガタのブリキ製の小屋で、鍵の調子が万年悪い。何度も付け替えているのだが、ブリキ自体がガタガタに歪んでいるものだから使用する際に鍵がうまくかからず、お客が無理して掛けているうちに壊れてしまうのである。ドアを開けたら誰かのお尻とご対面なんてことはしょっちゅうだ。

 ボットン式であるからして当然和式。トイレだけは一番に綺麗に掃除しておかなければならないからこそ、毎度ホースで散水しながらブラシでしっかりと磨いているのだが、そのせいでどうしても水溜りが出来てしまい、見る人によってはそれが汚水に感じてしまうという最悪のスパイラル。電球はなぜか四〇ワットではすぐに切れてしまうので二〇ワットとかなり暗い。換気扇はなく、小さな窓がひとつついているだけだ。

 トイレまでの道のりもなかなか険しい。客席からコーラの冷蔵庫の前へ行き、その突き当りの右に真っ暗な細い通路が三メートルほどある。ここに僕やチーフの私有物や餃子の木製のバット、米、テイクアウト用の各種の折り箱、おまけに店用の古いエロ漫画などが零れんばかりに積まれている。わずか四〇~五〇センチのその隙間を抜け、暖簾をくぐると今度は割れた鏡と直径二〇センチくらいの丸い手洗いがでてくる。その正面にある開きっぱなしのブリキ製の扉の向こうがトイレとなっているわけだ。

『新大蓮』俯瞰図


 このような状況だからさすがにチーフもトイレにだけは神経質になっていて、聞かれるたびに緊張が走る。綺麗なお姉さんは絶対に入ってはならないし、知っている人はできるだけ行かないようにしていた。

 そして、このトイレを越えるさらなる魔境が存在した。それが二階だ。ここには常連客でも入った者は数えるほどしかいないし、リピートもありえない。かつては店の中から行けたらしいのだが、なぜかコーラの冷蔵庫で塞いでしまっている不思議。

だから一度外へ出て、裏の月極駐車場側から入っていくことになる。ブロック塀の隙間に朽ち果てかけのボロボロの木の扉があり、これをこじ開けると五〇センチ先にもう入口ドアがでてくる。これが鍵を解除しても、建物が歪んでいるせいかなかなか開かない。ゴリゴリと何度もノブを回したりひっぱたりして酷い時は数分間も格闘する。が、ようやく開けることができても、今度は梯子のような急階段が目の前に立ちはだかる。わずかに靴をおくスペースがあるのだが、縦には置けない。横に1足ずつ置いたらもう一杯というありえない狭さなのだ。だから靴は二階で脱ぐことになっていた。

 間取りは四畳半と三畳の二間あり、襖は外したままである。壁に張り付くようにして流しとガスコンロがあり、一応一畳分ほどの押し入れと狭苦しい和式のトイレがひとつある。で、こちらのトイレも外のプレハブに負けず劣らず鼻が捻じ曲がるほどに臭い。実はチーフと社長は最初この部屋で暮らしていたというからあまり酷いことは言えないがそれでもやっぱり。

子供が出来たと同時に近くの綺麗なマンションに越し、店の借金も予定よりはるかに早いスピードで完済したというのだから、僕らには想像もつかないような苦労を乗り越えているのだろうと思われる。

 窓がイナイチ側にひとつあるが、これまた容易には開かない。その上、たまに仲間たちと麻雀に使わせてもらうのだが、トラックが通るたびにガタガタと揺れて気持ちが悪い。

店内からは封じられた状況と月極駐車場側からの入口と二階の俯瞰図


 このように、時代錯誤も甚だしい、まるでインドの田舎のような造りであったが、それでもチーフはお客から問合せをもらうと「二階に宴会場があるので使ってもらってええよ」とあたかも快適な個室があるように自慢げに言い放つのであった。

 カタチとして唯一、時代を超越して格好良かったのは暖簾と提灯。暖簾は白地に赤い文字で『北京料理 新大蓮』。提灯は赤地に黒色で『シンタイレン』とカタカナで書かれていた。風に揺られながらも常に輝いて見えた。


2.将来を決断するときがやってきた


 夏休みが終わって二学期からはちゃんと一時間目から授業に出席した。『スナック・マラカス』で約束したとおり、学校を留年することなく、何がなんでも卒業せねばならない。

 そして、いよいよ就職先も決めなければ。早い者はすでに1学期から準備しているようだったが僕は何にもしていない。就職相談室なるものが用意されていて、そこで教師に相談して決めるという流れである。ある日、遅れに遅れて相談室を訪ねた。

 すると教師は一応褒めちぎってから自分の思い込みで話を進めようとした。

「お前が来るのを待ってたんや。ようやく働く気になってくれたか。さて、どんな仕事をしたいんや。どんなことでも応援する用意があるから安心しなさい」

 その教師は普段は化学の専門で、顔は合わせたことはあるが個人的に話したことは殆どない。働く気がないなどと一言も言ってないのに。なんだか事務的な感じがしたが、まずはバカ正直に自分の気持ちをぶつけてみる。

「バイクレーサーになりたいと思ってるんやけど、どうしたらいいですか?」

 するとその先生はとたんに眉間にしわを寄せて「アホかお前。そんな夢物語、無理に決まってるやないか」と言い放つ。

「なんで、いま、俺の将来のためならどこまでも応援するって言ったやん」

「そりゃ言うたけどもバイクレーサーと言われてもな…。そんな就職先聞いたことがない。いい加減なことばかり言わんと真面目に考えろ」

「いい加減なことばかり言ってるのはそっちや。どんな用意もある言うたやないか。大したことないな、あんたも」

 今思うと、そこまで悪態をつく必要などないのだが、特に生活指導担当の教師などとは散々やりあってきた歴史があり、相手が教師だと思うと執拗に憎まれ口を叩いてしまう癖があった。就職担当のその先生は顔を真っ赤にして激昂した。

「お前がおかしなことばかり言うから困ってるんじゃあ。こっちにはこの通り、無数の企業から案内がきてる。その中からなぜ選ばんのや」

「ふん、所詮、その中から選ぶことがあんたの言う用意やろ。そんなことなら俺でもできる。いかにも自分が揃え集めたみたいに言うな。このサラリーマンめ」

 この一言で僕は退室。こういうやり取りになることは目に見えていた。しかし留年だけはしたくない。一刻も早く学校を去りたかった。なんとか就職先を決めて卒業しなければチーフの顔を潰すことになるし、なによりお袋に申し訳がたたない。

どうしたものかと考えあぐねていると数日後、一年の時の担任から呼び出された。内容はもちろん、ちゃんと就職を考えろということだが、就職担当者の顔を見るのも嫌だと言うと、「私もあの先生のことはあまり好きではない。でもあの先生はご病気持ちで体調が悪いのに毎日一生懸命頑張っているんだよ」とまさかの反応。この先生の一言で、僕は我慢して再度相談室へ行くことにした。

 こうして最終的に薦められたのがなんとあの大企業、日産自動車であった。こちらで営業と整備の各部門の募集があり、その教師は整備のほうを勧め、簡単に入社試験の申込をしてしまったのである。

 後日、高校の同級生である武田と就職について話す。武田は僕と出た中学は違うのだが、当時はお互いがそれぞれの学校で水泳部に所属しており、なぜか毎回のように地区の水泳大会で同じレースにエントリーしているという縁のある男だった。

彼は僕を介して、中学時代の同級生である空本や浅賀とも仲良くなっていた。先述の五人組の一人である。彼には素敵なお父さんがいるのだが、高校二年くらいのときにお母さんが亡くなってしまい、その後お父さんに新たな女性が現れたのはよかったが、思春期を迎えていた妹がどうしても懐けない。そんなだから妹を引っ張り出してはバイクに乗せてうろうろする、という日々を送っていた。近所の人からは不良兄弟と思われていたが、武田は妹思いの心やさしいやつだったのだ。彼はこの先どうするつもりか。尋ねてみるとなんと日産自動車を受けるというではないか。

「おおっ、そうか! 俺は営業や。それにしてもお前とはほんまに腐れ縁やのぅ。一緒に働こうぜ。これからも俺らはずっと一緒や」

 不安でいっぱいだったが、武田の一言でなんだかやる気が出てきた。このことをお袋に話したらとても喜んでくれた。そしてチーフにも話す。

「ほほぅ、カワムラ君と武田君はほんまに縁があるな。ええ道やと思うで」

「でもひとつ気がかりなのがレースが出来るかどうか。就職担当の教師は整備士を選べばレースくらいできるんじゃないか、みたいな惚けたことを言ってごまかすんよ」

「それはいい加減な話やな。しかしカワムラ君、バイクレースなんぞ特殊な世界やからこの辺にはないやろう。静岡か三重か、そのあたりのバイクメーカーにでも就職したらあるのかもしれんけど。まぁ若いんやし、趣味でええのとちゃうか」

「そんなチーフまで。僕がバイクレーサーになりたくて頑張ってるの知ってるでしょ。現にこの世に存在した世界なんやから絶対に何か道があると思うんですよ」

「ええかカワムラ君、この際言うとくけど君には料理の世界があっとると思うで。いや、それが料理人か経営なんかはようわからん。しかし、あの包丁使いや手先の器用さは間違いなく料理のセンスをもっとる。普通の人はあの包丁は扱えんへんぞ。餃子も簡単やと思ってるやろ? でも3年修業してもできへんやつはできん。それをカワムラ君は見よう見真似で高校一年の時にできてしもた」

「料理ってまさか、嘘でしょ」

「嘘やないって。味覚も鋭いし繊細や。リズム感もある。でもまぁ、この辺でやめとこう。わしが余計なことを言うと混乱してしまうやろ。せっかく高校へ行ったんやからそれを無駄にしたらアカン。整備士もきっと向いてるはずや。武田君とがんばれ」

 しばらくしてから就職試験の時期になった。内容は面接と筆記試験だ。会社は家から片道一時間もかかる大阪市の福島区にあった。武田と二人で出かけ、帰りも同じ。電車の中で二人して試験にうまく対応できなかったことを嘆いた。

 後日、日産自動車から試験結果の連絡が来る。結果は武田だけが受かった。僕は武田の家庭環境をよく知っていたので、これでようやく独立して平和に暮らすことが出来ると思うとすごく嬉しかった。が、自分のことを思うと情けなく、悔しくもあった。

 結果が出てから再び学校の相談室へ行き次の就職先を案内してもらう。

「おおっ、カワムラにぴったりのがあったぞ。これいいんじゃないか。今度はマツダや。立派な会社やぞ~・・・・・・」

「で、バイクレースはできるんですか」

「もうお前もしつこいな~。ちょっと聞いてみるから明日まで待ちなさい」

 翌日、あらためて状況を伺うと、なにやら以前はレースチームがあったらしいがそれは四輪だけらしく、今は活動していないとのことだった。また、その会社はマツダをメインとしている民間の自動車修理工場であってメーカーの店ではないことも判明。とりあえず隣町という近さを理由に試験を受けることにした。そして、面接だけで簡単に内定を得ることができた。

 はっきりいって裏町の鄙びた自動車工場。武田が行く企業とは何もかもが比較にならないが一応就職先が決まったことで、武田と酒を交わし、お袋も一安心してくれた。チーフにもその旨を報告し一応は喜んでくれた。

 だが僕は、何の希望も感じられず、ただただ不安で一杯だった。


3.海へ魚を釣りに行く


 ある日、釣りに行くことになった。釣りなんてものは、親父が生きていた頃に近くの池や湖に二、三回行ったくらいで、特に興味があったわけではない。しかし、常連客のオサムちゃんが「絶対に釣れるから行こう」と言い出し、それに乗せられたチーフが「よっしゃ、カワムラ君の就職内定祝いや」となった。

 行き先は神戸西方にある瀬戸内海に面した舞子というところだ。今は世界いちデカイという明石海峡大橋が架かかっている場所である。午後三時頃、原っぱのようなところにオサムちゃんのワゴン車は止まった。

 そして、あれこれと仕度をして、テトラポットの上からえいやっと投げる。が、今まで糸がたれた簡単なものしか触ったことのない僕にとって、リールを触るのも投げるのも初めてのこと。

道具はすべてオサムちゃんが用意してくれた。リールには糸が巻かれていて、そのガイドを外して人差し指で糸を抑えながら、投げると同時に指を離すのだと言う。釣り針にその辺で拾ったミミズを刺して垂らすだけの釣りとはえらい違いだ。

何度もオサムちゃんが教えてくれるが、これがなかなかうまく行かない。指を離すタイミングがつかめず、前に飛んだかと思ったら背後に落ちたり、上にあがっただけで釣り針がテトラに引っかかったり、横に飛んで隣の人の糸ともつれたりでもう大変。仕掛けは野球のボールくらいもありそうな大きな浮きと、大きな鉛、籠。エサはアミエビといわれる臭い小さなエビの塊をおもちゃみたいなスコップで籠の中に詰め込むのである。

 オサムちゃんの歳の頃はチーフと同じくらい。常連客の中では珍しく釣りやゴルフなどアウトドアが趣味である。酒、女、賭け事は一切なし。肌は小麦色で体系は細マッチョ。さらりとしたストレートヘアーのセンターわけという実にナイスなスポーツマンで、とにかく女性からもてまくっているという噂だった。

 たまにうまく投げられるとそのたびに「よっしゃー。それそれ、いい感じ~」などと誉めてくれるものだからこちらは段々やる気がわいてくる。

 チーフはどうかというと、中華しかできないかと思えばこれが驚くほどに上手である。

「チーフって釣りできるんですね」

「まぁな。わしは淡路島の出身。海の近くで生まれ育ったもんやからよう釣りして遊んだ」

 すぐ目の前に淡路島がくっきりと見えている。距離は三キロほどしかない。

「えっーそうやったんですか。だったら実家に帰って遊んだほうが楽しいんちゃいますの」

「わしは五人兄弟の末っ子やし。親も歳がはなれてて、帰ったって何の話をしたらええかようわからん。こうやってオサムちゃんなんかと釣りしているほうがはるかに楽しいわ」

「へぇ~家族がぎょうさんいてもそういうもんですか」

 しばらくが経ち、オサムちゃんの浮きが沈んだ。みんなではしゃぎしながらリールを巻き上げていく。

「おおっ。これはいい引きや。サバかな、なかなか大きいかもっ」

 釣り上げると三〇センチほどもある大きなサバであった。茨木から車で一時間半ほどの海で、このような立派なサバが釣れてしまうことに驚くばかり。

「これ、売ってるのんと変わりませんやん。塩焼にして食べたら最高なんとちゃいますか」

 そう言うとオサムちゃんは濃い眉毛の片方をくいっと上げて「ノンノンノン、それやから素人は困る。サバは脂が乗っててなんぼや。これを見てみ、サイズは大きいかも知れんけど痩せてるやろ」と言ってサバを掴んで見せる。

「ほんまやな。えらい貧相な身体つきしとるわ」とチーフは覗き込みながら言うが、魚の体系のことなど考えたこともない僕にはなんにも感じない。

「それにな、サバの生き腐れと言ってこいつらはすぐに傷むねん。希に生きてるのに腐ってるやつもいるから要注意や」

 そういってオサムちゃんは小さなまな板と包丁を取り出して、暴れるサバをぐいっと鷲づかみにしてエラの裏側に刃をずぶっと入れた。そしてすぐに指を突っ込み縦にへし折り、血がぷっしゅと吹き出たかと思うとエラを取り去って海へ投げ捨て、バケツに汲んでおいた海水でじゃぶじゃぶ。最後に氷の入ったクーラーボックスに入れた。

「これでもまだ安心はできへん。サバが死んでからでも寄生虫は生きとるからな」

「おぇっ~気色悪ぅ。たかがサバやのにしつこいですね」

「そうや、他の魚にもいることがあるけど特にサバには多いんや。うまいもんには何でもそれなりの代償があるっちゅうことやな。サバの食中毒はキツイいんやで。ほんまはワタ(内臓)もだしておいたほうがええねんけどそろそろ時合(釣れる時間帯)やから急ごう」

 ギーギーという鳴声と共に、刃を入れた時とへし折った時の鈍い音が耳についてはなれない。その生々しさを目の当たりにした僕はなぜだかめらめらと闘志のようなものが湧き上がってきた。

「よぉ~し、俺もやったるでぇ」

「その調子やっ」

 次にチーフの浮きが沈んだ。
「おっ、きたで~!」

 オサムちゃんと大騒ぎしながら竿を立ててリールを巻く。今度は先よりもやや小さめのアジだった。そしてチーフもまたアジのエラに刃を立てて、ずぶっと一押ししてからバケツの海水で洗い、クーラーボックスの中に入れた。

「やっぱり食中毒ですか」

「というよりアジは生で食べることも多いから、こうやって臭みがまわらんようにしておくんや。後で持って帰ってから食べようか」

「やっほー。食べたい、釣りたい」

 またオサムちゃんの竿が大きくしなる。
「おおーっし、きた。これはまたサバか。うぐ、なかなか引きよる」

 釣り上げるとサバだった。再び先と同じ処理をしてクーラーボックスへ一丁あがり。その後もオサムちゃんは殆どがサバを、チーフは大半がアジを釣り、一時間ほどの間に何十もの魚を釣り上げた。聞けば深さによって釣れる魚が変わるらしい。

 しかし、悲しいことに僕の浮きはなかなか沈まない。オサムちゃんに助けを求めるとこんな答えが返ってきた。

「想像力が足らんねん。勢いだけではあかんのや。魚が今どのへんを泳いでて、どんな気分なのかをよう想像してみ。どうやイメージ沸いてきたか。ほら見てみ。自分のはそんな手前やん。そこは水も澱んでて魚は入ってこんのとちゃうか。もうちょっと沖の方へ飛ばしてやらんと」

 オサムちゃんやチーフの浮きの位置と比べると僕の浮きはかなり手前である。引き戻して、オサムちゃんが言うように、竿をしならせるイメージで投げてみた。

「おおっとー、ちゃんと飛んだやんか。いいぞ、そこなら魚が泳いでくるかも」

 なんだかわからないがドキドキわくわく。来る気がする。うまそうな匂いにつられて集まってくる気が。と、その瞬間ズボッと大きな浮きが消えた。

「おおおおおぅ! ついに来たっ」

「よっしゃー。来た来た」とオサムちゃんが目を丸くする。

「カワムラ君っ、焦らず待たず、竿を立ててリールを巻き上げるんや」
 チーフが自分の竿を置いて僕の横にかけつける。

「へぇっ、うぐぐっ、重たい。ぐいぐい引っ張られる!」

「自分で釣るのは気持ちええやろっ」とオサムちゃん。

「はいっ~最高です!」

 釣れたのはなかなか大きなサバであった。生まれて初めて海の魚を釣り上げた。オサムちゃんが手際よく〆てくれて無事にクーラーボックスへ。

 夕方の六時頃、帰路に着く。

「しかしチーフが淡路島の出身だったとは。淡路島って魚がうまいんでしょ」

「そうや。海だけやのうて山も豊か。山芋を掘ったり山菜をとったり。今日は久しぶりに瀬戸内海を見れて気持ちよかったわ」

「海といえばデートでしかくることがなかったです。でも今日で釣りがめっちゃ好きになりました」

 こうして二時間ほどをかけて我々が店に戻ってくると社長と娘さんが待っていた。オサムちゃんがクーラーボックスの中の魚を別け、チーフは自分が釣った分をさっと流水で洗いバットの中へ放り込む。いったい今から何が始まるのか。僕は厨房でチーフの横について興味津々に手元に目を凝らす。

 シンクの上に小さなまな板を置き、何尾かのアジの腹にペティナイフを入れてワタを取り出していく。寄生虫がいるかもしれないと聞いていたサバからは一際大きなワタが出てきて気持ちが悪かった。これらを再び流水で洗い、今度はアジのゼンゴと呼ばれる側面の骨のような部分をそぎ落とし、半身ずつに切り分けた。三枚卸というやつだ。

その後薄い皮を手で剥きとり、身を細かく切り、たっぷりのネギのみじん切りや生姜、醤油、ごま油を少しだけ垂らしてよく混ぜ出来上がり。スプーンで食べてみると薬味の歯応えが入り混ざっていておいしい。これは「アジのたたき」というらしい。茗荷や大羽の刻みを入れると臭みが消えてより美味しくなるのだとか。なんだかワンカップ大関を飲みたい気分だ。

 次にサバ。こちらも三枚卸にした後、五センチ幅くらいにぶつ切りにして、塩と胡椒、卵少しと片栗粉をいれ油で揚げた。山椒塩をつけて食べる。鶏の天ぷらやエビの天ぷらを食べる時につける香り塩だ。と、これがいくらでも食べられるほどおいしい。

 残りのアジ数尾は姿揚げに。油はいつも以上にばちばちと弾け、黄金色の泡が吹き出す。何度か火を弱めたり強めたりしながらけっこう長い時間をかけて揚げた。その後、熱したフライパンに油と豆板醤、潰したニンニク、千切りしたネギやピーマン、ニンジンなどをいれ、鶏がらスープを注ぎ、醤油と酢、砂糖などを入れて水どき片栗粉を加えごま油を少し垂らす。これを先ほど揚げた魚の上からちゅわーっとかけるのだ。

「ほい、アジのあんかけ。小さいのんは骨ごといけるから」

 みんなで取り分けて食べる。小さなアジはこんがりとせんべいみたいでたまらない。大きな身はさくさくだ。それにしてもチーフがこんな料理を作れるなんてまったく想定外だ。なぜメニューに入れないのか。というか、そもそもこれは中華料理なのか。

「中華料理は魚もよく使うんや。特に淡水魚が多いけどな。同じような料理をサバでやってもおいしいし。でも、ここは小さな店やから鮮度が大事な魚はなかなか使いにくいなぁ」

 チーフの意外な一面も見ることができて、今日はとても楽しい一日だった。高校はつくづくつまらない。

4.パチンコ店長夜逃げ事件


 九月のある祭日の昼下がり。僕は餃子用のキャベツのみじん切りに精を出し、チーフはロンピーをぷかぷかとしながら勝手口からいつものようにバス停方向を眺めている。

「うわぁぁ、あの子たまらん可愛いなぁ。長い髪の毛がくるっとカールしてて、お尻がプリッとしてるわ。カワムラ君も見てみ。めちゃめちゃ可愛いで。あれっ、もしかしてあの子、前もおった子とちゃうか」

 また始まった。僕は背を向けたまま包丁の手元に集中する。
「トントントントン…」

 そんなときである。常連客の柳川さんが自転車に乗ってものすごいスピードでやってきた。近くの工場勤めの方で、平日は夕方五時半から、土日祝日は丸一日浸っている熱狂的なパチンコ好きである。こんな中途半端な時間にいったいどうしたというのか。

「おいおい、パチンコ屋の店長、売上持って飛んだらしいぞ」

 チーフがウサギのように首をぐいっと立てて、自転車を止めて叫ぶ柳川さんを見る。

「なんやてっ、あの紳士が。あの人だけは堅気に見えたんやけどなぁ」

 僕は思わず振り向き、勝手口にたつ柳川さんに声を掛ける。
「飛んだってどういうことですか」

「お前はほんとわかってないヤツだな~。逃げた、ってことだよ。単独で夜逃げ。いま、パチンコしてたらいきなりパトカーがたくさん集まってきて、本日の営業を緊急停止しますって放送があって客は全員追い出された。今は黄色いテープ貼られて中に入られんようになっとる。なにやら五~六〇〇万円いかれたって話だよ」

「ええっ、そんなに売上あったんや。それってやっぱり一日分やろうな。やっぱりパチンコ屋はすごいな。なんかわしら小さな商売しててバカバカしくなってくる」

「そんなチーフは自分で店やってるからまだいいよ。わしらなんて少ない給料のために毎日しょうもない機械を作って。どれだけあの店に投資したことかわからんて」

 そんなことを言うなら行かなきゃいいのに、と思うが行ってしまうのがパチンコ好きなのだ。しかし、金という紙切れのために、なぜ人はそこまでリスクを犯せるのか。どうせつかまることは目に見えているのに。

「いや、そんな簡単に捕まらんで。夜逃げをするような奴はそこいらじゅうにおる。たぶんこのあたりも流れもんが多いからそんなやつがたくさんおると思うわ。よほど返しようのない多額な借金を持っているか、根っからの悪かのどっちかやろうな」

 ドラマや映画じゃあるまいし、今まで乱闘や下着泥棒、窃盗くらいなら身近に何度か見たことがあったが(これももしかしたらあまり見ないものかもしれない)、夜逃げ事件なんて信じられない。いやしかし待てよ。そういえばいつだったか、チーフが誰かの保証人になって逃げられてしまったということがあったような記憶が。

「はぁ? しょうもないこと覚えとるな。あれはほんまに酷かった。信じてたのに」

「いったいどういう人からそんなことを頼まれてしまうんですか」

「ふん、元同僚や。同じ店で勤めてた人で自分で商売してやった。それで自分ところの従業員の給料が払えなくなって泣きついてきたんや。もう後がないって感じやった。わしが貸さんかったら飛んでたか身を投げてたかもしれん」

 するとパチンコ中毒の柳川さんが言う。

「そんなもん貸したらだめにきまっとるやろうが。俺なんかなんぼ持ってても絶対に貸さないよ。貸すくらいだったらあげるから」

 しょうがない、という表情のチーフに僕はさらに質問する。
「ええ、そんな間柄やのに悔しいですやん。逃げてしまったその人のこと追わないんですか」

「それが店に電話しても通じへんのや。もしかしたらすでに店ごと飛んでしもてるかもしれん。もうほんまにしょうがない。今頃どうしとんのやろと思うけど。死んでなかったらええけどな」

 チーフはやっぱりやさしい。だから最初から騙そうと思ってない人でも、つい甘えて逃げてしまうのかもしれない。

「人は金がなくなったらどんなやつでも豹変するからのぅ。うちの会社の隣にある工場の社長もこないだ飛んだらしい。噂では自害してるとも。追い込まれた人間は心が壊れてしまう。そう考えるとパチンコ屋の店長は相当な食わせ者だったってことだな」

「しかしあの店長さん、元々堅気やなかったことは耳にしていたけど、ほんま誰よりも紳士な人に見えたんやけどな。ショックやわ。ほんまに人はわからんもんやなぁ」

「ところでチーフってどこかからお金借りたりするんですか。やっぱり銀行?」

「あぁ、借りたことあるよ。この店を出す時に信用金庫から。でも一〇年の返済予定を五年で全部返したわ。まぁ、兄弟子に看板代をいまだに払わされてるけど」

「何、その看板代って」と柳川さんが顔をしかめる。

「わしらの世界ではよくあることなんやけど、僕の先輩が先に独立してて、その人の縄張りで店を開けさせてもらったから毎月看板代を払わなかんねん」

「ええっ、なんか嫌な感じですね」

「しゃあない、わしらのいた世界の暗黙のルールや」

「そんなもんチーフ、やくざの門松と一緒じゃないの。なんとか手は切れんの」

「えっ、あの正月の大きな門松? あれ、組から買ってたんですか」

「お前はほんまに世間知らずやのぅ。その付き合いがあるから平和が保たれとるんじゃないか。世の中はそういう風になってんの。よく覚えとけ!」

 まったく脂でべったりのヘアースタイルのくせして、どうでもいいことばかり知ってるおっさんである。僕は依然質問をし続ける。

「ほな、あの若頭のガッちゃんも、実は付き合いで店に来てるんですか」

「いや、ガッちゃんは純粋にうちの餃子と鶏の辛し炒めが好きなだけや。買ってくれと言ってくるのは下の若い人ら。これでも最初の頃の半額にまで減ったんやで」

 値段を聞くと一〇万円とのこと。昔は二〇万円もしていたという。それでも破格なのだとか。まぁこの門松に関しては、時代や地域性が大きいだろうから、一概にどうこうとは言えないし、よくわからない。

しかし、今回の店長夜逃げ事件にはちょっと驚いた。何百万円なんて中学時代の恐喝なんかのレベルじゃない。見た感じ誰よりも紳士的で、四〇代くらいの大人で、もっとも信頼の置ける店長が自らの店の売上をもって消えたのである。パチンコ店の二階に住んでいたのだが、家財道具は丸ごとそのまま置いてあったという話。いったい何があったのか。変なことに投資していたとか、ヤバイ博打を打っていたとか。いや、単に癖だったりして。中学の時に万引き癖のある友達がいたが、ヤツの目的は単に刺激欲しさだった。そんなもんかもしれない。

 なんであれ、金を代償に、信頼という金では買えないものを捨ててしまったわけだから、きっと他に何か大きな理由があったのだと思いたい。それにしても、この地域では空き巣や車上嵐なども含めて、他にも金のトラブルが多くあった。いったいどうなっているんだ。

5.常連客の仲にも礼儀あり


 あれは確か日曜か祝日か、僕が1日通しで入っていた日のことだった。なんと常連ナンバーワンを争う柳川さんからこともあろうに出前の注文が入ったのだ。

「おぅ、俺だ、柳川。ちょっと出前を頼みたいんだけど」

「え、なんで、パチンコは。あ、もしかしたら身体を悪くされたんですか」

「いちいちうるさいやつだな。風邪を引いたんだ。焼きそばと餃子1人前たのんだぞ」

「風邪くらいで出前ですか、はぁ、わかりました。すぐお持ちします」

「いや、すぐでなくていいんだよ。三時頃。で、必ず電話いれてほしいんだ。出るときに電話だぞ。わかったか、電話」

「へぇへぇわかりました。電話すればいいんですね。はいはい」

 時刻は昼を過ぎていた。電話しろだの、三時だのってやっぱり常連客は面倒くさい。そもそも僕はバイトの身だから三時からは休憩なのだ。柳川さんのまさかの電話をチーフに伝える。

「今まで何度か行ったことあるよ。家は確か安威川の向こう側やわ。時間が中途半端で悪いけど行ったって」

 いつもと同じようにルーティーンの仕事をこなす。土日は、平日のように行列ができるほどのことはないまでも、だらだらと客足が途切れることはなく、常に半分ほどの席が埋まっている。

 やがて時間が経ち落ち着きを取り戻した頃、チーフが柳川さんの注文に取り掛かった。僕は釣銭とメモと出前号パッソルのエンジンを掛けておく。ブゥィ~ンブァンブァンッ。

 店の中へ戻り、料理にラップをして岡持ちに収納してパッソルに載せる。
「カワムラ君っ、飛ばしたらアカンでぇ」

「は~い、わかってま~す」

 イナイチに出て、インターチェンジ方向へ走る。交番前を通り過ぎ、ラブホテル街の路地を左折し、突き当たりの堤防を左に曲がり、橋を渡って安威川を越える。岡持ちの門を地面に擦りながら調子に乗って猛スピードで駆けて行く。

 路地を曲がると、そこに柳川さんが住む社宅があった。ところどころに水垢が染み付いた古びた建物が四、五棟並ぶ。昼間なのに通路は暗く、子供の声も聞こえてこない。聞いていた棟を探し、バイクを止めて岡持ちを片手に足早に郵便受けを確認する。

「あったあった柳川さんの名だ。そうか、賑やかなパチンコ部長はこんな地味なところに住んでいたのか」と思いつつ部屋の前に到着。インターホンを押すがどうやら壊れているようである。

 コンッコンッ。コンッコンッ。
 分厚いスチール製のドアを強めにノックし、直後にノブをひねると鍵が開いていた。ガチャ。
「あ、柳川さ~ん、タイレンですっ。カワムラで~す」

 中を覗くと手前が四畳半くらいの台所で奥にもう一部屋あり、そこに頭がつるっぱげのランニングシャツ姿の誰かが向こうをむいて胡坐をかいていた。あれ、部屋間違いかと思ったその瞬間に「こらっ、電話しろっていっただろうがっ、はよぅ閉め」と大きな声が飛び、僕は慌てて外へ飛び出てドアを閉めた。

 ドアを閉めるその〇.五秒ほどの間に確かに見た。ランニングシャツ姿のお坊さんが鉢をかぶったかのようなアクションを。その直後、全身からゆっくりと血の気が下がっていくのがわかった。

「ま、まさか、柳川さん、ヅラだったのか」

 とても長い沈黙に感じた。数秒が経ち、ドアがゆっくりと開いた。ランニングシャツ姿で微妙にずれた髪型の柳川さんは僕ではなく、手に持った焼きそばを見つめている。

「おぅ、なんであんだけ電話しろって言ったのにしないんだ」
 不機嫌そうに焼きそばと餃子を掴みとる。

「す、す、すみません。いつもの調子で出てしもたんでついうっかり。ほんますんません」

 柳川さんは何も言わずにお金を支払い、僕も気まずい感じでお釣りを渡す。
「ガッ、チャン」
 重たいドアが閉じられた。

 うなだれるようにして僕はパッソルに向かう。そして、ゆっくりと道路を走り、裏道から抜けていく。

 イナイチの赤信号の間、茫然自失。「生まれて初めてヅラの人を見た気がする」。

柳川さんはいつも夕方五時半にこの道をパチンコ屋へ向かって猛スピードで駆けて行くのだが、そうか、乱れないわけだ。髪型が絶対に崩れない理由がようやくわかった。

 店に到着し、複雑な気持ちをチーフに伝える。
「あのぅ、柳川さんを怒らせてしまいました」

「なんやどうした」

「出る前に電話しろって言われてたんですけど忘れたんですよ」

「あのおっさん、それくらいで怒ったらあかんわ~」

「いや違うんですわ。柳川さん、ハゲやったんです。それもツルッパゲ。髪の毛ゼロですわ」

「えっ、そういえばあのおっさん、いつ見てもきっちりと七三分けになっとるな。髪型が変わったことないわ。むふっ、むふふふ、あっはっはっはっは」
 チーフは大声を上げて笑い出した。と同時に僕もなんだか笑えてきた。
「えへ、あはは、あはははははは」

 柳川さんに申し訳ないが笑いを堪えることができなかった。

「しかし、そんな本気で怒ることないのになぁ。ハゲでも堂々としてたらええのに」

「逆にヅラせんほうが男っぽくてええかも」

「他のメンバーは知っとるんかな~」

「さぁてどうなんでしょう。しかし、ヅラをかぶる人を見たのは初めてです」

「聞くところによるとヅラもピンきりらしいで。ええやつは毎月どっかにいって散髪みたいなことをするらしいわ。そのままでは不自然やからやろな」

「へぇ、手間がかかるんですね」

「柳川さんももしかしたら何ヶ月かごとに調整とかしてるかもしれん。まぁ、ボーナスが入る頃やろう」

 もちろんこの一件は僕とチーフだけの秘密である。お客のプライバシーだから。

 それにしても僕は大きな失敗をしてしまった。確かに柳川さんは念を押して「出る前に電話をくれ」と言っていたのにすっかり忘れていた。ドアを開けてしまった時のあの怒った口調は本気だった。とても申し訳ないことをした。

6.ガキの愚行に頭を下げるチーフ


 ここだけの話だが、十八歳になる前から僕はたまに車を使って出前や皿下げに出ていた。運転するのはもちろんチーフの軽自動車。そろそろ自動車教習所へ行こうとしていた頃で、今のうちに運転に慣れておけば少しでも楽に試験にパスできるのではないか、というまったく浅はかな理由である。

 大人のチーフがよくも高校生に車を貸すものだと思われるだろうが、実はチーフは気付いていない。チーフの家は店から歩いて一分のマンション。たまに家に帰ることがあり、そんなときにちょっとだけ。

 だって車の鍵は小物を置く棚の上に置かれていて、いつだって自由に持ち出せるし、車はカナブンみたいな形をしたかわいいものだし。また車内も気を使わない雰囲気だった。

 後部座席は常に倒したまま。アルミやプラスティックの大きなバットなどが詰まれていて、テイクアウトの折り箱や割り箸など店の小道具がごっそりと入っている。

 一九八〇年代はまだ、殆どの自動車がマニュアルである。運転席の左側にシフトレバーがついていて、左足でクラッチペダルを踏みながら、アクセルを開けると同時に左足のペダルを離していくのだ。そしてスピードを上げるほどにギヤを上げていく。両足両手がずっと忙しい。ま、それが楽しいといえばそうなのだが、それなりにテクニックが必要。公道を走るとなるとやっぱり緊張が走る。

 交通量の多いイナイチだけに、まずスタートを切るのがもっともびびる。まずは発進時にエンストを恐れブイッブイブイイイイイーーーンと執拗な空吹かし。

そして、道路に出る際、迫り来る車に不安なものだから今度は一速ギアのまま思いっきりペダルを踏み込んでしまう。オエエエエーーーーンとエンジンを唸らせながら二速、三速へシフトアップ。

 交差点の手前でウィンカーを出し、ブレーキを踏みながらクラッチも踏んで、ギアを三速二速へと落としてハンドルを切る。あぁ忙し。

 坂道発進なんて最悪だ。実際、4、5回後続車にぶつかったことがある。が、青信号に変わっての発進時のことで、車外に出てスンマセン!と頭を下げたら許される、そんなインドじゃないけど寛容な時代だった。

 こうして出前や皿下げに出かけるのだが、ちょっと慣れてくるとこれがもう自分でも嫌になるほど有頂天になる。

 その日も左ペダルの右ペダル、はい、左シフトの右ハンドル!などと調子にノリまくっていた。さらに、店に居ついていた子猫を、この日は膝の上に載せ、無理して片手運転しては撫ぜながら運転していたのだ。

 皿下げを済ませ、さて店へ戻ろうという段階になり、ふといつもと違う路地を通ってみたくなった。そこはバイクでしか通ったことのないS字カーブが続く細道。右手には鉄工所があり、左手は田んぼ。

 右へ左へと気持ちよくハンドルを切っていたら、いきなり鉄工所から何か大きな物音が聞こえた。グァッキーーーーン。

 と、同時に僕の太ももの上にくるまっていた子猫が驚いて、そのまま太ももの内側に思いっきり爪を立ててズレ落ちたのだ。

「ぎゃぁぁぁああああ」

 股間に目が覚めるような痛みが走った。と、その瞬間ハンドルを切り誤り、ノーブレーキでまっすぐ田んぼへダイブ。道路から五〇センチほど低くなっていて、地面が軟らかだったからそれほど衝撃はなかったが、子猫は「うぎゃっーーーオギャっァア」とパニック状態で車の中をぴょんぴょんと飛び跳ねている。

 車は前につんのめったまま。バックギアを入れても何をしても抜け出すことが出来ず、ついに僕は外へ出た。するとすぐに鉄工所のおっちゃんが出てきて「おいおい、大丈夫か。何でこんなところに突っ込んだんや」と心配そうに車を覗き込む。

「いやっ、あのっ、ね、猫が」

 僕は慌ててしどろもどろ。おっちゃんは僕の白衣の胸元を見て「あれ、そこの中華屋さんかいな。料理がひっくりかえっとんのとちゃうか?」。

「おっちゃん、すんませんけどちょっと電話を貸してもらえますか」(当時は携帯電話は存在しない)

工場の黒電話をお借りする。ジーコ、ジーコ。
固唾を呑みながらコールに耳を澄ます。プルルルル、プルル。

「はい、タイレンですっ」とチーフがいつものように勢いよく出た。

「あっ、チーフ、ごめんなさい、車で田んぼに突っ込んじゃいました。子猫を膝に載せてて、ぎゃーって股間を引っかいて、痛くてうわーってなって、そのまま突っ込んだ」

「あほっ、また勝手に車に乗ったんかいっ。なんでパッソルを使わんのや。しょうがないやつやな。怪我はないのか」

「怪我はないんですけど車がつんのめってどうにもならない。今○○鉄工所の電話を借りてます。こっちに来てほしいんですけど。す、すんません」

 この後、すぐにチーフはパッソルに乗って駆けつけてくれた。そして鉄工所の人たちも一緒になって総勢五、六人の男たちに車を道路まで引き上げてもらい、なんとか復活出来たのだった。見るとバンパーがへこんでいるだけで機能的には問題がなさそうだった。

「えらいすんませんっ。ほんまに助かりました」とチーフが頭を下げ、僕もぺこり。

「ほれ、車はわしが運転して帰るから、カワムラ君はパッソルで戻れ」

 パッソルにまたがりヘルメットをかぶる。ふと子猫のことを思い出し周囲を見渡すが姿がない。見限られたか。

 それからしばらくして僕は教習所へ通い出し、無事に免許を取ることができた。チーフのおかげである。


7.はぐれ者の拠り所


 年が明けて少し経った頃、『新大蓮』に一人の新人がやってきた。名を田上という。僕より二歳年下で高校を退学してやってきたのだと言う。色白でやや細身、角刈り頭で目は細くてつりあがっている。先輩として後輩に仕事を教えつつも、一応は僕はバイトの身分であるからして、従業員として入ってきた彼にどこか遠慮を感じていた。

 その上、田上が実に不器用というか、はっきり言って使えないものだから余計に疲れてしまう。キャベツのケン切りは太くて短く、ゴボウの笹掻きみたいになってしまう。左手の添え方や送り方、右親指と人差し指のバランス、刃を落とす角度やリズムもつかめない。ニンニクを包丁の腹で叩いて潰すとか、青ネギの小口切りなんて到底無理。餃子を包むなんてのはもってのほかである。

 ある時、チーフにこう漏らす。
「田上のことですけど、あれではあかんでしょ、ぜんぜん包丁ができへんし、酒をコップに注ぐことすらできません。この前なんて僕がお客に酒を入れて、すぐに厨房へ戻ってきて仕込みにまわって、ぜんぶ僕一人でやってました。そのくせ、あいつは客とずっとしゃべってる。相手によってはごっつう偉そうな態度で。こう言うと何ですけど、あいつは何しにきとるんですか」

 今まで何度もイラつく場面があり、そのたびに厳しい言葉も放っていたのでチーフは僕のストレスに気付いていたはずだ。しかし、チーフの口からは思わぬ言葉が返ってきた。

「あのなカワムラ君、仕事いうのんは出来るか出来ないかだけやないねん。あの子は一所懸命やっとると思うよ。まぁ大きな目で見たってくれへんか」

 期待していた言葉とまったく逆で愕然としてしまった。苛立ちが限界に来ていた僕は過激な言葉を吐いてしまう。

「なんであんなやつを雇ったったんですか。もう切るべきやと思います。『新大蓮』にあんなやつは要らない。口ばっかりで実際には何一つできへんのやから」

 するとチーフはこう返した。
「ええか、あの子はな、苛めが原因で学校を辞めたんや。えらいつらい思いをしたらしいねん。親は離婚してて血のつながってない男の人が一緒にいてるらしく、こないだも家に帰ったら布団にくるまってエッチしてたらしいわ。家にも学校にも自分の居場所がないんやと。確かにこの仕事は向いてないかもしれんし、いつまで続くかわからん。けど、本人がここにいたいうちはおったらええと思うとるんや」

 ふと空本のことを思い出した。彼の場合は学校で酷い喧嘩をしたことで退学を余儀なくされたわけだが、いずれにしても落ちこぼれの十五、六歳のガキをチーフは拾ってやってるというわけだ。僕も偉そうなことは言えないが。

 いやしかし、空本にはちゃんと自分の意思というものがあったし、自分の責任で行動をとっていた。僕にしても高校卒業を目指し、自分の夢を実現しようと日々頑張っている。それなのに田上は自分の居場所がないからという理由で『新大蓮』に甘えているだけ。そんなやつに給料を払っているチーフの感覚が理解できない。僕は田上のフォローをするためにここに来ているわけではない。

 チーフは話を続けた。
「わしな、仕事いうもんは自由でええと思うんや。とりあえず、やれることをやったらええねん。それが自分に向いてるかどうかというのは二の次の話で。いや、実はわしも最初にした仕事は中華料理やのうて電気工事やったんや」

「はぁ、そんなこと初めて聞きました」

「建物の中の電気の配線をしたり、電柱にのぼってする仕事や。道具をいっぱい腰につけて高いところや狭いところに入っていくあの姿が格好ええ思ってな」

 まさか。それがなぜ中華料理へ変わっていったのか。

「電気の仕事をして少し経った頃、神戸の中華屋へ勤めにでていた先輩が“お前そんな仕事してたら一生会社人間で終わるぞ”と。料理の道へ進めば、いつか独立して自分の城をかまえることができる、って言うて誘われたんや。それで、その先輩が勤める店に転職したということや。その後、先輩はほんまに独立して自分の店を出しはった。よっしゃ、わしも続くぞと思って頑張って、ついに自分の城をかまえることができたというわけや。まぁこんなおんぼろの小さな店やけどな」

チーフは僕より15歳年上。20代後半で独立開業している。

「人生なんてどこでどうなるかは誰にもわからん。まぁ焦らんでもなんとかなる、っちゅうこっちゃ」

 当時の僕には、そんな「なんくるないさ」思考はとても考えられなかった。一刻も早く「これ」というものに照準を合わせ、一分一秒も無駄にせず突進していきたかった。その「これ」がバイクレーサーなのだが。

 とりあえず『新大蓮』での僕の立場はあくまでバイト。なんだかそろそろ潮時か。



8.挫折、骨折、紆余曲折


 高校をなんとか卒業することが出来た僕は、同時に『新大蓮』のバイトも辞めた。よく考えてみれば、田上が入ってきたことはいろんな意味で良いタイミングだった。どうしようもなく不器用な男だが、いないよりかはやっぱりいたほうがいいのである。

 就職した企業は単なる町工場もいいところ。実際には修理や車検、中古車販売が主な仕事で、従業員は十名ほどしかおらず、二輪に興味のある人はゼロ。新規就職は僕一人で社員は最若手が三〇歳過ぎ。四〇~五〇歳代の人たちが中心だ。結局わずか三ヵ月で即退職。

 その後は手当たり次第仕事を探し、昼夜を問わず働きまくる。ペンキ塗り。塗料製造工場。FRP成形工場。電話帳の配布。ケーキのデコレーション。餅屋。酒屋の配達。米屋の配達。浅賀が経営していた鉄工所。ほか裏ビデオのダビングという堅気じゃない仕事など、数え切れないほど。

 やがてレースのライセンスを取得しようとするが、これがまたうまくいかない。親の承諾がとれないのだ。

出て行ったはずの兄貴がたまに帰ってきては、父親面して上からえらそうに説教してくるのである。拳で思いっきり殴られるのは慣れっこだが、隣でお袋が泣いているのがちょっとつらい。結局、僕が家出をしたり、兄貴と喧嘩を繰り返した末、ようやく印をついてもらった次第である。

 こうして公式レースに参加できるようになったはいいが、ここからがもっと酷い状況となる。金はかかりすぎるし、技術も部品も時間も何もかもが常に不足している。

そんなことで三年後にレースを断念してしまう。最終的には怪我がきっかけとなった。鈴鹿サーキットで激しく転倒して手足の骨が折れたのだ。

 結局この三年間という時間は、自分がいかにレーサーとしての能力がないかを思い知るための時間だったということだ。他のスポーツに比べ、レースの世界はその才能の有無や、自分の生まれ持った環境などがものすごく大きな影響をもつ。そういう意味では早く答えの出るシンプルな世界とも言える。

 レース専用のマシンはゆうに百万円以上。毎回色んな部品を取り替える必要があり、中でもタイヤなどは最も高価な消耗品。また、ミラーもテールランプもない完全なるレース専用マシンだから、運搬用の自動車が不可欠。知人の中古車屋からワケありの安物を購入しては故障や廃車を何度も繰り返す。

 これほどの費用が嵩むうえに、どれだけ整備の勉強と練習を重ねても、一度も予選を通過できたためしがない。神経が磨耗し、一重まぶたが二重となり、食いしばりすぎて歯はボロボロ。頭の中はヒーローの夢で一杯なのに、現実は目も当てられないほどのセンスゼロなのであった。

 約半年間の骨折と挫折を噛み締める療養期間を経た。そしてなんとか身体が動くようになった僕は、新たな人生を模索するかのように原付スクーターで近所の道をぐるぐると彷徨う。

そんな時に一軒の高級レストランのような建物に貼られた「スタッフ急募」の紙が目に入り、何かに憑かれたようにふわぁっと店の扉を開けてしまう。

コーヒーのいい香りが立ち込めており、奥から南沙織(一九七〇年代に活躍した黒いストレートヘアーが魅力の美人歌手)にそっくりな女性がでてきた。

「いらっしゃい、あれ、何かご用ですか」

「ええ、外にスタッフ急募ってあったものですから」

「うん、そのことなら上の事務所に行って下さい。裏側に階段がありますからどうぞ」

 言われるがまま階段を上ると、そこに四面の広大なテニスコートが立ちはだかった。

「しまった。俺がこの世でもっとも嫌いなテニスだ」と我に帰るもすでに遅し。隣の事務所からミニスカート姿のお姉さんが出てきて「いま喫茶店から連絡がありました。面接ですよね」と声をかけられる。いきなり「面接」といわれて腰が引けたが、そのお姉さんの足があまりに綺麗なのでドキドキして動けなくなってしまった。

「ええ、まぁしかしその」とどこかで聞いたことのある言葉しか出てこない。

「そうですか。でも、あいにく今は支配人が出ておりまして時間のお約束を」と足の奇麗なお姉さんが言いかけたその瞬間、どこからともなくじゃらじゃらと貴金属が擦れ合う音だけが聞こえてきた。

直後、事務所の奥のドアがガチャっと開いて、そこにマツコデラックスにそっくりな女性が仁王立ち。こちらを凝視する。

「うわわっ。テニスに続いて最も苦手なデカくてアクセサリー好きで香水まみれのおばはんだっ」と心の中で叫んだ。するとすかさず「あなた、スタッフになりたいの。うちで働きたいの」と早口で言い放つ。

「ええ、まぁその。何と言いますかその」

「じゃぁ中に入って。はい、そこに座って」

 そう言って大きなカバンの中からボロボロになった血液型と星占いの本を取り出し、「誕生日は? 血液型は?」などとどうでもいいようなことを聞きながら紙をペラペラとめくり「ふむふむ」なんて頷きながらノートを取り出した。

「あなたの身長と胸周りを教えて。ふぅん、百七十五センチの九〇センチ。大きいわね。で、ウェストは? はぁん、七〇センチ」

 早口の隙間に時折笑みをこぼすのがまたサスペンスでスリリング。不安一杯で緊張していたら支配人がノートをパタッと綴じてこう言った。

「ふぅん、じゃ、あなた来週の月曜からね。シャツとパンツを用意しておくわ。時給は七〇〇円から。よろしくね」と、嘘のような本当の話で新たな仕事が決まってしまった。

 テニスクラブを出て、帰りは喫茶店の中ではなく階段をゆっくりと降りてスクーターに向う。そしてヘルメットをかぶり、一言。
「なんや、また飲食業かいな」

「第三幕 三度めの正直」へつづく


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