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裏町中華『新大蓮』のチーフ(原版)3

第三幕 三度めの正直


第一幕 メインストリート「イナイチ」
第二幕 店
第三幕 三度目の正直

第四幕 にんげん劇場


1.恋心が人生を導く


 新しく勤めだした店は、こてこてディープの『新大蓮』とは正反対で、何もかもがすっきりサッパリとしていた。ユニフォームは純白のシャツに黒いスラックス、夜は蝶ネクタイをする。男は髭は禁止でショートヘアー限定。接客や注文時の受け答え、メニューの通し用語など、言葉使いも教育される。

 営業時間は午前十一時から夜十一時まで。売りは神戸の名門コーヒー店が焙煎するコーヒーで、注文ごとに豆を挽いてペーパードリップするという当時では稀少な本格スタイルだった。他にもミックスジュースやフレッシュ一〇〇%のレモンスカッシュなどのソフトドリンク。ドイツ系のワイン各種。クロックムッシュや焼きたて卵のサンドウィッチ、手造りケーキ、国内産を使ったビーフピラフ、ドライカレーなどフードメニューもひと手間が利いていてどれも人気があった。

 週末は二階で定期的にフラメンコパーティを、テニスクラブに通う有閑マダムがワインパーティなど何かと派手に開催。そのたびに特別料理を準備するわけだが、最初は先輩の手伝いをするにとどまっていた。が、途中から僕がリードをとることになり、内容もピンチョスやカナッペ、キッシュや魚料理などと西洋系の一品どんどん広がり、パーティごとに色合いや盛り付けもアレンジしていくようになった。

 そしてある時、支配人からお呼がかかる。
「あなたはこれから正社員として働きなさい。ボーナスもだすわ。それで夜間にプロ育成の学校へ行って基本から学ぶのよ。それを終えたら店長にしてあげるから」

 決して社員や店長を目指していたわけではないが、仕事をするほど気がつけばいつのまにかその流れに乗っていて、二年めから本当に社員となった。店を経営していたのは大阪に本社を置く二部上場の商社で、下にいくつものグループ会社が存在し、この店は一応飲食事業部という位置づけだったようだ。

 ということで夕方からは支配人が申し込んだ学校に通う。数あるコースのうち、喫茶、洋食、中華の各コースを取った。

 こんな暮らしの中で僕はひそかにバイトスタッフのある女性に憧れていた。彼女はひとつ年上。いつでも眩しい笑顔で、振り返るたびに腰までの長いストレートヘアーが靡くのを見るとドキドキしてしまう。

 ある夕方、僕は夜のパーティの仕込みに追われ、汗だくになってフライパンを振っていた。すると、彼女はワイングラスをきゅっきゅっと吹きながら、いきなりこんな言葉をぼそっ。

「ケンちゃんて料理しているときが格好いいよね」

 とんでもない発言に心臓が飛び出そうになりつつも、なんとか平静を装い料理の手を動かし続ける。が、彼女は天使のようなスマイルのまま、さらに続ける。

「いや、ほんまよ。料理している姿が素敵やと思う」

 僕の目が一気に泳いで声を上ずらせた。

「そ、そんなアホなこと言わんといて。こんなもんオカマの仕事や」

 すると彼女はグラスを置いて、真顔でこちらへ振り向く。長い髪が窓からの木漏れ日できらきらと輝き、あぁマブシイ。

「あれ、ケンちゃんはわかってないね。女は男の汗に惚れるもんよ。一所懸命に料理をしている姿は絶対に格好いいって」

 俊二に頭の中がぐっちゃぐちゃになった。思わず火を切り、手を拭きながら言う。

「あのぅ、嘘いうたらアカンよ。男が料理してて格好いいわけがないやん。料理の仕事なんて男の仕事やないし。俺、ずっと恥ずかしいもん」

「ケンちゃんはほんまに女のことをわかってないんやね~」

「そんなんわかるか。素敵って、それは男として言ってるわけやないでしょ?」

「ふんっ、男としてよ。女としてそう思うって話よ」

「ええっ、うっそやん」

 僕は絶句し、この瞬間、小学四年生くらいから積み上げてきたペラッペラな、“男とはこうあるべきだ像!” が音を立てて崩れ落ちた。その像とは、男たるものは蟹股で歩き、喧嘩が強く、スポーツ万能、体脂肪が少なくて、何事もタフで、そして大人になったら金持ちで、というマッチョ仕立てだ。つまり、女は男の筋肉に惚れるはずだからして、小綺麗な格好して厨房でちょこまかと動いているようでは男とはいえない、とそういうわけだ。

 ひと呼吸おいて彼女は再びグラスを拭きだし、僕も鍋を振り出し、しばらく無言の時間が続いた。

 そして夕方六時に彼女はいつものスマイルに戻って「お疲れ様!」とだけ言ってバイトを終了し、店を出て行った。七時からのパーティに向けてさらに追い込みをかける僕は、頭の中が彼女の革命爆弾で見事なまでに壊滅状態となっていた。

「料理をしている男が格好いいなんて話、生まれて初めて聞いた。まったく知らなかった。そんなことに女は惚れるのか」

 それまでの日本は「男厨房に入るべからず」の考えがまだ色濃く残る時代で、男性はホテルや有名なレストランの厨房ならありだけども、町の喫茶店やレストランなんかは女性の世界、といった雰囲気だった。ましてや僕は、レーサー挫折の落ちこぼれ男という屈辱からまだ抜け切れていない時のこと。

 しかし、これは恥じなくてもいいのか、いや、それどころか格好いいのか。そうか、そうなのか、彼女が男として格好いいと言ったのだからそうなのだ。

よし、俺は今日から料理の鬼になる! もっともっと勉強するっ。そして、とことんうまい料理を作って、そして、いつの日かあの人と。

 完全覚醒した僕はこれ以来、貪るようにして店の仕事とプロ育成料理学校に情熱を注ぐ。学校では和菓子と洋菓子、日本料理、経営学、衛生法規などのコースも追加。そしてある時、学校の特別講師であった尊敬する先生にこんな相談をする。

「あらためていちから料理を勉強したいのですが、なにからやればいいのでしょうか」

 その先生は大阪で台湾料理店を営み、当時はテレビにもよく出てくるような有名な方だった。

「そうやね~、贔屓するわけやないけど、やっぱり中華がいいと思うね。中華は火や包丁の使い方がとことん多彩で、使う素材の幅もすごく広くて深い。ここから進めばどんな料理にも通用すると思うよ」

 なんと中華だって。と、その瞬間びびびっと頭に『新大蓮』の名前がスパークする。

そうだ、あらためてチーフに弟子修行をお願いできないだろうか。

 高校卒業以来、殆ど顔を出していなかった僕は久しぶりにチーフと再会する。そして怪我をきっかけにレースの道を断念したこと、通りがかりの見知らぬ店に就職したこと、プロ育成の学校のことなど堰を切ったように話しまくった。

「そこで、あらためて料理を学びたいと思うんです。お願いです、なんでもやります。給料は要りません。だから僕にとことん教えてください」

 そう言うとチーフは腕を組んで一瞬考え込み、昔と変わらぬロンピーをふかす。

「ほほぅ、レースを辞めたか。やっぱりカワムラ君は料理の道なんやな。よし、うちでよかったらもう一度おいで」

 以来、学校のある週四日ほどの夜十時頃から深夜二時くらいまで、また休みの日は通しで、再び、いや今度は修行として『新大蓮』に通いだしたのだった。僕の心は彼女のことでオーバーヒート寸前。アクセル全開で突き進んだ。


2.『新大蓮』の進化


 三年も経つと『新大蓮』もそれなりに変化がある。まず、田上君の姿がない。なにやら一度辞めてまた戻り、でもその後また辞めて、しばらく消息を絶ったかと思うと、どこかのヤバい組に入ってしまったと言う。もう二度と暖簾をくぐれないから堅気最後のご挨拶、と言って顔を出したらしい。

 次に椅子とテーブルが別のものに入れ替わっている。テーブルは前の朱色から焦げ茶色のものになっていて、椅子はパイプではなく木製だ。はっきり言ってダサい。それをチーフは自慢げに言い放つ。

「これ、ええやろ。解体業者の客が居酒屋のお下がりをくれたんや。ただやで」

「そうかな。中華料理屋の気配がまったくない。演歌丸出しですやん」

「カワムラ君、今やBGMも進化しとるんやで。なんと有線に歌謡曲専門のチャンネルができたんや。今はそれを主につけてる」

 モノラルスピーカーからはキョンキョンや中森明菜、少年隊などがヘビロテしている。これを聞きながら、酢豚や餃子を食べる仕組みだ。

 進化、四つ目が電話。前は黒電話だったのだがダイヤル以外にボタンが10個くらいついたプッシュフォンになっていた。さらに子機つき。山椒塩などを並べた棚に本体を置き、レジ横に子機が置かれてあった。確かに通路はアクロバティックに狭いのだが、全体で7坪、客席は4.5坪のスペースに子機は要るだろうか。そもそも数々のボタンをチーフは使いこなせるのか。答えはもちろんちんぷんかんぷん。単なるトレンド購入というわけだ。

 喜ばしい進化もいくつかあった。ひとつは前にも述べた、店で一番の欠陥スポットであるトイレをついにリニューアルしたこと。錆び錆びのブリキ箱から綺麗なプラスティック製の箱になっている。そしてピストルタイプの水洗機と、便が落ちる穴に蓋がついた。殆どが水洗になっていた一九八〇年代半においてまだ汲み取りのままだが、これだけでも近代文明の仲間入りを果たせた感じがあった。

 さらに、中古とはいえ出前用のスクーターが買い換えられていた。前のパッソルの進化型で、名をパッソーラという。以前はエンジンを始動させるのにキックペダルしかなかったが、今回はセル付き。これでエンジンがかかりにくい朝や冬も怖くない。

 そして、もっともめでたいのが赤提灯が新調されていたこと。前のものは排気ガスで真っ黒に煤呆けていて所々裂けかけていた。鮮やかな朱色に大きく太い文字で『新大蓮』と書かれてあり、威風堂々としていて実に気持ちがいい。

 このようにいろいろな進化があった中で、ひとつだけシャレにならない気がかりなことがあった。それは二階に人が住みだしたことである。あのような部屋でよくもまぁ住む人がいるものだ。きっとただならぬ者に違いない。

「そんなことないでぇ。まぁごく普通のおっさんや。松田さんと言うてな、空本くんのお母さんの、ほら、これやわ」とチーフは親指を立てた。

「ええっ、うそでしょ。空本のおかん、気は確かですか。あいつん家は店から歩いて五分なんですよっ。タイレンの二階に自分の男を住まわせるなんて正気とは思えない」

 空本のおかんとチーフは古くからの知り合いで、その縁があるから空本はここに勤めることができたし僕もチーフと知り合えたわけだが、僕がバイトしていた三年前まで空本のおかんは殆ど顔を見せたことがなかった。

「最近またちょくちょく店にきてやるよ。で、ある時にこの人を上に住まわせてやって、って頼まれたんや。まぁスジの人やないし、かまへんかなと思ってな」

「そんなっ、ダメでしょう。ほんまに大丈夫ですか。最近は見た目は普通でも頭の中がぐちゃぐちゃなヤツがぎょうさんいるし。というか、よくもまぁあんな危ない部屋に住みよるな」

「ちょっとクセのあるおっさんやけど悪い人やないやろうし、空本くんのお母さんが言うことやから」

 空本のおかんはいわゆる保険レディーだが、見た目はウルトラ怪獣のピグモンと瓜二つ。それなのに、その松田のおっさんとやらも、もしかしたらチーフもそのまんま言いなりになってしまうのはなぜだ。

 僕は今まで、チーフが誰かの連帯保証人となって逃げられるなど、その優しさが仇となるシーンを何度も目撃してきた。今回もまたなにか起こらなければいいが。



3.秘伝、鶏屋は鶏に似るの巻


 三度目となる今回の『新大蓮』生活では、特に料理について踏み込ませてもらった。中でも鶏の解体とスープ作りは『新大蓮』の核である。

 週に二度ほどのペースで鶏専門業者がごっそりと素材を納めにやってくる。二つの籠があってひとつは、いわゆるマルが入っている。マルというのは羽毛を剥ぎとり、頭部を落としただけの鶏そのもの。そしてもうひとつがガラ(骨)のこと。双方とも見た目はグロテスクだが、前者は肉となり、残りをスープとし、後者はすべてスープの素材とする。これぞ店の血と骨である。

 まずマルだが、こいつを解体するのが職人技。昔は丸太を輪切りにした分厚いまな板の上で作業したものだが、保健所の指示で、今は抗菌のプラスティック製に変わっている。ここに水洗いしたマルを一羽ずつ置いて解体を始める。

 まず、尾っぽを切り取ってから背中の真ん中に切りめをいれ、ひっくり返してモモに刃を入れる。そこに指を突っ込んでばきっと割きながら最後の皮を刃できりとる。次にクビの皮を切り、胸の真ん中に切りめをいれ、肩というか手羽の上部の筋を切り、指を突っ込んで割る。胴体のムネ側を外し、その両脇にあるササミの筋を抜き取る。その後は手羽とムネ肉を別けるのだが、このムネ肉とササミが鶏の天ぷらや辛し炒め、うま煮になる。残ったモモや手羽の部分は、中華包丁でダンッダンッと骨ごとやや大きめに割って、別の容器に入れて唐揚げ用にする。最後は残った胴を流水で洗い、ガラとあわせて、直径八〇センチ深さ一メートルほどの大きな寸胴鍋の中にいれる。

 寸胴鍋の中に水を少しずつ入れ、同時に火をつけるのだが、最初は弱火。そしてガラがひたひたになるまで水を入れたら、今度は青ネギと生姜、卵の殻を入れる。卵の殻を入れることで濁りを取ることが出来るとチーフは言う。

温度が上がり、しばらくするとアクや屑が浮きあがってくるのでそれをこまめにオタマで掬い取る。スープが完成するのは暑い時期でざっと六時間ほど、寒い時期ならプラスもう一、二時間はかかっただろうか。だからその日の昼間の分を朝に仕込んでいたのでは間に合わない。

 スープについては前々からよく「沸かすな、触るな」と聞いていたが、これはつまり澄んだ上品なスープをとるためだった。ぐつぐつと沸騰させてぐちゃぐちゃに混ぜてしまうと濁ってしまいアクが混ざってしまうのだ。

 煮出してからしばらくはアクを取り続け、その後は触らずにちまちまと煮続けると、何時間も経ってから上面に鶏のゼラチンが浮かんでくる。これがしっかりと出切るとスープ全体が透き通った黄色になり、ゼラチンがちかちかと光るので金色に見えるのだ。高級店になると、これと干し貝柱などの戻した汁などを合わせると言う。

 時代はあらゆるものをごった煮にしてとにかく濃厚が流行りつつあったがそんなのチーフはお構いなし。すっきりで透明の、自称「清湯(チンタン)スープ」に徹していた。

 このように、チーフが実はちゃんとした職人であったことを思い知ると同時に、基本的にはやはりどうでもいい話で盛り上がった。

「カワムラ君にええこと教えといたろう。あのな、鶏屋のおっさんって、鶏にそっくりなんやで。これは不思議なことなんやけど、ほんまの話や。わしは昔から気付いとったんや。そりゃたまたま似てる、ということもあるかもしれへん。けども配達に来るあのおっさんも会うたびに鶏に似てきとる。実はその前の配達人も鶏にそっくりやった。これ、豚も同じやで。豚屋で働く人間は豚に似てくる。牛肉屋は牛や。最初から似てる人もいるやろうけど段々と似てくるんや。不思議やで。ほんま笑かしよる」

「そういえばチーフも鶏にそっくりですやん。それって徐々にそうなっていったんですか。毎日こうして鶏をいじくってるから呪いみたいなもんがかかってくるんですかね」

「なかなか言うやないか。実はよう言われる。わし、やっぱり鶏に似てるか。不思議やなぁ。魚屋のおっさんは魚みたいな顔になってくるし、八百屋のおっさんはなんや優しい顔になっていくし。そうか、わしはやっぱり鶏か」

「ふむ、呪いですわ。殺生して生きてるから、いずれバチがあたるかもしれません」

「それもまんざらやない。わしの兄弟弟子の梅さんおるやろ。彼はそりゃもう昔はオタマで人をしばくような負けん気の強い性格やってんけど、年に一度だけ、供養や言うてスタッフ全員連れて神社へお祓いに行きよるねん。生き物をたくさん料理してるから言うてな。えらいやつや、ほんま」

「へぇ、意外な話ですね。そんなこと本気で思ったことないですわ」

「いやいや、わしらはぎょうさんの動物でメシ食っとる。特に中華はなんでも料理してしまう。これらはみんな生き物やいうことをわかっとかなあかん」

「やっぱり生き物には魂があると」

「さぁ~よう知らんけど、顔が似てくるのはほんまやな。ほら、飼ってるペットが飼い主に似てくる言うやろ。あれ、飼い主もペットに似ていくんやで。生き物の謎や」

 このような無駄話こそ面白いし、後になってみると記憶に残っているものである。

4.目指すはパラパラ炒飯

 あらためて『新大蓮』が立つエリアは裏町というのに相応しい。そういう場所には必ずと言っていいほど、そのスジも存在する。

 二つの組があって、ひとつは地元で認められているというと変な表現だが、とにかく脅威に思われる存在ではない。しかしもう一方の組は何かと荒っぽくて流れ者も多いことで知られていた。双方の組は所属している源が同じなのだが、こうも違うかというくらいに違うのだ。地元的には、出来が良いのと悪いのと、という風に見られていた。

 前者の組の面々はだいたい来る時間やパターンが決まっていて、チーフが慕っていた例のライオネル・リッチー似の若頭ガッちゃんは週に一回昼の二時か二時半頃に一人でくる。そして親分さんは月に一回か二回夜に限っていて、来店する一時間前に舎弟から電話が入る。たまにお孫さんを連れて賑やかな食卓になることもあった。

 が、後者の組は常に得体が知れない。というのも、いかにもなチンピラしか見たことがないのだ。親分さんや若頭などがいるはずなのだが、誰も知らない。そんな寄せ集めの組織なので、来る時間も食べ方もはちゃめちゃだ。

 ある日の夕方五時前のこと。その日の僕は朝から通しで入っていて、休憩から帰ってくるとなんだかチーフの様子がおかしい。いつもは「おかえり!」と元気に声をかけてくれるのに、ぼそぼそとつぶやいただけでフライパンの中の油に浮かぶ酢豚用の豚の天ぷらを睨みながらオタマでかき混ぜ続けている。顎の下に何重ものしわが出来るほど口をぎゅっとしている。

 あれれと思った瞬間、カウンターに違和感を感じた。見るとさもありな若い男が二人座っていた。一人はシルバーのテカテカのスーツを着ており、もう一人は白い半そでシャツ姿で腕から刺青が見えている。彼らは椅子を二つあけてカウンターを牛耳るような格好で食事中。高架下の居酒屋かと思うほどもデカい声で話している。なにやら、務所送りとか、集金が何千万円とか、超一流ホテルでパーティだとか、内容もいちいちデカい。伝票を見ると三五〇円のラーメンと五五〇円の炒飯だけ。

 それにしてもこんなチンピラなら見慣れているはずなのに、チーフのご機嫌が異様なまでに斜めである。揚げ物の油を今にでも撒き散らしそうな殺気に満ちていた。

 僕は何事もなかったかのようにいつものようにキャベツを並べてルーティーンワークをこなす。五分ほどが経った頃、二人の男がすくっと立ちあがった。

「おい、なんぼや」とスーツの男。

 客席側に回って「ラーメンと炒飯で九〇〇円になります」と言うとスーツ男がううつむいたまま「別々や」とぽつり。

「はい、ではラーメンが三五〇円で、炒飯の方は五五〇円になりま~す」

 二人は爪楊枝を咥えながら、暖簾を掻き分け颯爽と出て行った。扉の隙間からイナイチを行きかう車の音が響いてくる。二人の姿が遠ざかるの確認してから僕はどばっと吹き出してしまった。

「態度はデカいが注文がせこいっ。笑えて仕方がないです、チーフ。あれは××組の新人やろか。漫画見てるみたいやったですねぇ」

 するとチーフがやれやれといった表情でため息をつく。

「ほんましょうもない連中や。むかつく。あいつら入ってきて、いきなりカウンターの上に足のせよったんや」

「えっー、まじですか。こんな狭いところでよう足載せれたもんや」

「エナメルの光る白い靴や。で、その後がまたむかつく。炒飯を食ってたテカテカスーツが“この炒飯パラパラやないか”って言ってきよったんや。わしは“わざとパラパラにしとるんや”って言い返したった」

「パラパラなんがええのに。チーフもよう言い返しましたね」

「そやろ。でも、わしがそう言うたらその後何も言いよらん。あいつはパラパラの魅力がわかっとらん。あぁ、思い出したらまた腹がたってきた」

「それで張り詰めた空気やったんですね。でもチーフ、これ見てください。炒飯一粒残さず平らげてますよ。あのパラパラ炒飯を蓮華だけで残さず食べるのはけっこう難しいはず。ラーメンももやし一本も残ってないし。実はうまくてしゃーないのとちゃいますか。素直にご馳走さん言うて帰ったらええのにね」

「ほんまチンピラめ。ややこしゅうなったら嫌やから、それ以上なんも言わんかった。ひょっとしたら親分さんとこの連中やったら気を使うし」

 ここで言う親分さんとは、先述前者の地元で認められている方の組の親分のことである。親分は店の常連客で、来店の際、必ず一時間ほど前に舎弟から電話がある。混雑している時は時間を変えるか、場合によっては来ないのだ。

「一発、ガッちゃんにたれこんどいたほうがええかもしれませんね」

「いや、ガッちゃんに言うと逆に迷惑をかけてしまうかもわからんし。もうええ、忘れよう」

 チーフはそう言って、いつものように勝手口に片足をかけて、ロンピーをふかしながらバス停中河原南口のほうへと目をやった。

 ちなみにガッちゃんという人は身長が一八〇センチほどあって、機嫌の悪いライオネル・リッチーみたいな顔つきなのでどこからどう見てもやばい感じである。だのに、チーフのみならず町の人々から慕われているところがあった。その理由は「パチンコ一七一」で実際に起こったある事件がきっかけだと言われている。

 それはパチンコ屋の店員と客の誰かが結託してイカサマをやっていることが発覚した際に起こった。何も詰まってもないのに、玉が詰まったと店員を呼び出し、台の扉を開けさせて玉をわんさかと入れさせたという、あまりにもしょぼい悪巧みだ。

 が、我を失うほど夢中になる客からすればとても許せない情事。イカサマの現場をたまたま見たある客が怒り出して、店内で激しい口論になったという。そして、少し離れたところでパチンコをしていたガッちゃんがいきなり立ち上がり、つかつかと歩いていって何も言わずに店員を一発で殴りたおし、騒動が一瞬にして治まったというのだ。

スジの人が悪党を倒してしまったという珍事件。以来、特にパチンコ屋に入り浸っている者のあいだで、ガッちゃんを英雄視する人が増えたのだった。

 そんなガッちゃんも愛していたのがこのパラパラ炒飯だ。

 で、これを料理するのが実は難しい。どうしてもチーフが作る炒飯のようにパラパラと、かつ香ばしくならないのである。バイト時代もまかないで幾度となく作らせてもらったのだが、いまだにチーフと同じように出来たためしがない。

 どんな人種もハマるパラパラ炒飯を早く作れるようになりたい。


5.身体で覚える鶏の辛し炒め

 いくら修行と言ってもまかない以外、つまり本番で料理させてもらえることはそう多くない。さすがにアバウトな性格のチーフでも鍋だけは簡単に譲ってはくれない。それは教えたくないとか信用がないという意味ではなく、一言で言ってチーフの体質である。7坪の小さな店で日々鍋を振り続けてきているのだ。客とのキャッチボールみたいなもので、いきなり次からお前がボールを投げてみ、と身体のリズム的にそうはいかない。

 それがわかっているから僕は「作らせてもらえますか」といちいち聞く。で、間が許せばたまに作らせてもらえる。

 食べるのも作るのも、最も楽しいのが「鶏の辛し炒め」という料理だ。これは鶏の天ぷらに豆板醤と醤油味のすっきりとしたスープがとろりと絡み、酒のつまみにもご飯のおかずにもなる主菜である。鶏の天ぷらからエスカレートして、いつのまにか好物になった。ちなみに同じ辛し炒めを豚肉でやってもすこぶるうまい。

 作り方はこう。まず鶏ムネ肉を四、五センチの大きさにスライスし、ササミ肉は筋を取ってやや厚めに斜め切りにし二切れのみ入れ、塩少々、片栗粉、水、わずかな卵で衣付けして揚げる。

 肉が揚がるまでに、ピーマンやしいたけ、白菜を斜め切りにし、青ネギの白い部分は縦に半分に切ってから五センチ幅にカット。あらかじめボイルしておいたニンジンと水煮のヤングコーン二本も笊の中に入れ、最後にニンニク半分を包丁で潰しておく。

 肉が揚がったらあとはスピード勝負。フライパンを火にかけ、揚げ油を少しだけたらし、豆板醤をいれてチュワッ。これを菜箸でチョンチョンと油の中でほぐすようにして炒める。すぐさまニンニクをチリチリと炒め、焦げないうちに野菜もスチャッーーー。

カンカンッ、サッサッ、と数回フライパンを返しながら次は醤油を加えてまたすぐに、カンカンッ、サッサッ。

瞬く間に目の前に並ぶ調味料を入れていく。右から塩、コショウ、旨み調味料。秒単位で野菜が萎えてしまうから少しの迷いも禁物だ。すぐにスープをザッパーと注ぎ、味を確認する。味見はおみくじみたいに一度だけ。二度目を頼っている暇はない。何が足らなくて多いのか、瞬時に判断し修正をする力が不可欠だ。

エイヤッーーーと味を決めたら今度は鶏の天ぷらをフライパンの中に加える。ひと煮たちしたら水どき片栗粉でとろみをつけ、火を切ってからごま油をたらす。一回かき混ぜて、皿によそって出来上がり。

ちょっと作ったくらいでは理解もできないし深まらない。チーフはいちいち余計ないことは言わない。まかないの際、たまに何か言ってくれる程度。何十回、何百回作ってようやく何かが見えてくる。そうやって身体が少しずつ理解していくだけの機会を与えてくれていることが有難い。


6.チーフの餃子は食べる造形芸術


 何度見てもリズミカルでスピーディ。チーフの餃子作りほど見ていて気持ちのいいものはない。

 さっと左の手の平に餃子の皮を広げたかと思うと、右手にもったステンレス製のヘラで餡を掬い取り、素早く皮の真ん中に塗りつける。そして、両手の指できゅっきゅっきゅっと摘まむ。

 一つを包む時間は四、五秒か。何個包んでも同じ形をしているところがまた凄い。その美しい湾曲のフォルムに見蕩れてしまう。餃子はまさに食べる造形芸術なのであった。

 包む量は日によってまちまちだが、一回の仕込みでできるのはおそらくざっと三〇〇個以上。一人前が八個入りだから約四〇人前かと思われる。宴会や大量のテイクアウトなどがある時は軽く七~八〇人前は出ていただろうか。そんな日はひたすら仕込みに追われる。

 一般的に餃子の主な素材は白菜や豚の脂であることが多いと言われるが、チーフの場合はメインがキャベツである。切り方もちゃんとある。

 まず天側と根側で二等分にし、主に根側を使用。天側は大きな笊に入れておき揚げ物などに添えるケン切り仕様とする。根側をまな板の上に並べ、端から中華包丁で幅五ミリ程度に切っていく。それが終わると今度は横に向けて再び五ミリ幅にザクザクザク。後半は芯を取り除いて三倍速でさらに細かく刻む。

 実はこの包丁使いが見た目と違ってかなり難しい。ぱっと見には単純なみじん切りに見えるのだがまったく違う。切り終わったら、笊に入れて上から新聞紙をかけて冷蔵庫に入れておくのだが、チーフが切ったキャベツは新聞紙が濡れず、笊の下から水分も出ない。だが、僕がやると一時間もすると新聞紙が湿り、笊をもつと手が濡れる。押し潰すのではなく、ちゃんと切り刻む包丁使いでないとこうはならない。

 この後、ニラ、タマネギ、ショウガ、ニンニク、そして豚のミンチ肉などの素材を加え、塩と胡椒、醤油、ごま油、わずかな旨み調味料で味をつける。そしてこの和え方にコツがある。手の平を大きくかっぴろげて具を掴み取るようにして返しつつ、細かく和えるけど練り込まない、という混ぜ方なのだ。ここで練ってしまうとせっかく切り刻んだキャベツから水分が滲み出て、その他諸々の旨みも外へ連れ出してしまう。

 もし水分が滴り落ちてしまった具で餃子にするとどうなるかというと、歯応えが弱く、旨みが乏しいものとなる。一方キャベツをちゃんと切り刻み上手に和えた具だと、ざくざくとした歯応えと共に底深い旨みが滲み出す。それでいて素材のメインはキャベツだから胃がもたれることはありえない。キャベツには荒れた胃を修復したり、免疫力の向上や解毒作用が期待され、食べる胃腸薬とも言われる。

 そして最終段階の調理。
 まず鉄板の火を上げて油をすばやくひとたらし。で、ここに餃子を並べていくのだが、すぐに水は入れない。しばらく焼いてから水を加えすぐに蓋をする。その後は不用意に開けない。しっかりと密閉し、蒸し焼き状態にする事が大事だ。

 そしてここからが意外にも時間を要する。これはもしかしたら機械的な性能の問題もあったかも。『新大蓮』のそれは一人前がおよそ五分、二人前でプラス二分、三人前ならトータル七、八分と言ったところだろうか。だから立て続けに注文されてしまうと、最後のほうの人はかなり待たなければならない。

 もっと火力の強い鉄板に代えるか、などと話していたこともあったが、やっぱりこれの方が、しっかりと焦げ目がついて皮が香ばしくなるということで維持。

 カリカリとした餃子は確かにおいしいものだが、その殆どは揚げ餃子かと思うほど油をたっぷりと入れる。そうすることで調理時間の短縮にもなるし技もさほど要らず、香ばしさも増すからだ。でも、チーフは油に頼らない。

あくまで時間をかけて、鼻と耳を澄まして体感で焼き上げるのである。最初は蒸気がモクモク、だんだんと静かになって後半はパチパチ、やがてチクチクと細かい音になったらOKサイン。

蓋を開けると、膨らんでいた餃子がシュルルゥと縮み、中の具が透き通って見える。で、ヘラを使って皿に盛り付けたら出来上がり。

 茶色い焦げめが絶妙な香ばしさを放ち、口に入れるとキャベツのザクザクとした歯応えと共に豚肉と合体したふんわりとした旨みが染み出してくる。サイズは限り無く中間、皮は薄め、油は控えめ、ということもあってとにかく口当たりが鮮やかで軽快。好きな人はテッサを摘まむようにして一度に三つずつ食べる。

 チーフの餃子が多くの人から「いくつも食べたくなる」と人気だったのはそれなりの理由があった。

「第四幕 お客さん」へつづく

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