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日本のコリアンダーの玄関口 #6

(原題「Spice Journal vol.15 夢のコリアンダー 与那国島クシティ伝説」)

台湾とそれほどに近いから

考察 海のシルクロードを伝って

 クシティを追う旅を終え、僕なりに考えてみる。
 今回、島民十名以上からお聞きした中で百パーセント出てきた言葉が「クシティは台湾からやってきたに違いない」ということだ。

 台湾と与那国島の関係について少し掘り下げてみよう。

 与那国の歴史をネットでサーチすると、十五~十六世紀にはサンアイイソバという女性酋長が統治していたという伝説があるようで、十六世紀初頭に琉球国の支配下になったとされている。

 これは琉球が東南アジア諸国と日本、朝鮮を股にかけ交易を盛んに行っていた琉球大交易時代(十四~十六世紀)と重なる。この交易を実質的に統率していたのが明であり、自国に利益をもたらすように交易の許可制度(冊封:ルビ・さくほう体制)を敷いたわけだが、東南アジア諸国、後に日本も含め交易を行う諸国のうち、明国に最も進貢(しんこう)したのはだんとつで琉球国が多かったことからも、いかに琉球の交易力が盛大だったかが推測できる。

 (↑与那国島東部の立神岩近く。黒潮ならではの荒々しい海)

 その琉球支配下において与那国島は、石垣島より台湾のほうが近いという立地で、激しい潮流の黒潮のど真ん中にあるとはいえ、当然地の利としては有利であった。

 琉球が交易した国は日本、明以外に、シャム(タイ)、ジャワ(インドネシア)、マラッカ(マレーシア)などがある。交易内容は中国の陶磁器や絹織物、日本の刀や漆器、東南アジアは香料や薬類などとのことだが、当然、当時は時間を要する船旅がゆえに食料が行き来したことは想像に難くない。

 琉球の交易の歴史については、十四世紀以前の十一世紀とか、さらにもっと古くから、などと諸説があるようだが、前近代の中国に対し日本が朝貢するというのはすでに三世紀には始まっていて、六〇〇年代前期に住吉津(大阪)から隋(中国)まで船で渡航(遣隋使)していたことを考えると、その時期にわずか百十一キロの台湾と与那国島が交易がなかったとは思えない。与那国島にその技術がなかったとしても、台湾にはあったのではないか。台湾は海上シルクロードの起源地とも言われるほど海上交通の要衝として歴史がある場所だ。

 こう考えると、トシ子さんの「千年説」もあながち大げさな発言とも言い切れない。それどころか、もしかしたらもっと以前の可能性すらある。

 医学と植物学の面からも考察してみる。

 日本は明治時代まで医学といえば漢方医学ありきだったと言われる。その始まりが、五世紀~六世紀、新羅(朝鮮)からきた大使であり医師でもある金波鎮漢紀武(こんはちんかんきむ)が、時の允恭(いんぎょう)天皇の病を生薬を処方して治したという伝説だ。つまり中医学の伝来だ。そして六一二年には聖徳太子が奈良県高取町で薬狩り(動物、植物共に)を行ったという話もあるくらいなので、少なくともこの時期に生薬を使った医学があったことは想像できる。

 生薬とは薬効の期待ができる植物(動物を含む考えもある)のことである。中国の神話に登場する神農は「百草をなめて薬草を見分け、医薬の道を開いた」(大阪北浜・くすりの道修町資料館)ということからも、元は野山に自生する植物のことであり、物によっては他の地から来て帰化したものもあるだろう。

(↑神農さんゆかりの大阪北浜の少彦名神社) 

 そうだ、コリアンダーもまた薬草として伝わったのではないか、という見方だ。漢方とは中国医学をルーツとした日本の医学のことで、治療方法の柱の一つが薬草を処方した薬膳である。時代が古くなるほど、薬草に対する薬効性の期待は大きかったはず。

 そもそも植物は種という形にすることで軽量化できるし、ポケットに入れておいてもそう簡単に腐ることはない。これほど持ち運ぶのに楽なものはそう多くはない。あとは気候さえ合えばいくらでも栽培が可能だし、そもそもコリアンダーは温度帯さえ合えば播種から一か月ほどで収穫できてしまう早生種の一年草である。おまけにコリアンダーを含めたセリ科の多くは連作障害のリスクも少なく、少々やせた土地でも天候不良でもおかまいなしに育つタフさもある。

 実際、畑にコリアンダーを実験栽培してみると、気候に合わせて勝手に花を咲かせ、枯れ、種を落とし、また勝手に発芽し、三年も経つと群生化する。すべてにおいて人の手は不要だ。

 台湾から医学とセットで種も伝来してきた可能性は相当に高いのではないか。

 これは他の月桃やニシヨモギ、ゲッキツ、ニガウリなど、与那国名産として知られるハーブや野菜についても、原産はインドや中国、東南アジアいったいが原産なので、同様のことが考えられるのではないかと思うのだ。

 コリアンダーの薬効については、スパジャー本誌スパイスを科学するコンテンツ「スパイス宇宙の旅」をコラボしていた近畿大学薬学部の、博士と生徒二人による調査ではこのような結論に至った。

「リーフ部分は生ドライ共にビタミン類が豊富で、他にカルシウムやマグネシウムなどのミネラルも含まれ、香気成分は個性の強い脂肪族アルデヒドが主流。ついては疲労回復や美容、抗不安作用が期待できる。一方のシード部分は血中のコレステロールを抑制する働きがあるとされるオメガ六系不飽和脂肪酸類が含まれ、香気成分は柑橘系が主。つまり双方ともに特にシーフード料理に使うと、臭い消しになるし、栄養的にも優れている」

 ほか、元ハウスフーズ・ハワイ㈱取締役社長であり農学博士である齋藤浩(さいとうゆたか)氏による「スパイス読本」(新風舎)によると、薬効は「健胃整腸作用、咳止め、媚薬、解毒作用」とあり、さらに「紀元前一五〇〇年頃のエジプトでは医薬用や栽培の目的で使用されていたと『エバース古文書』にも記されています」と書かれてある。

 ポイッと蒔くだけで一か月後には食べることができてしまう薬草、それがコリアンダーでありクシティなのだ。

 台湾と与那国島がいかに深く古くからの関係かを知るのに、ひとつ興味深い話がある。それは葬制文化だ。与那国島の葬制は火葬ではなく風葬であり、そのルーツは崖の上から棺を足らず崖葬であったという。これは中国、インドネシア、フィリピン各国の一部地域の風習と同じである。この風葬文化はついこのあいだ、戦後まもなくまで続いていたと、島の何人かの方からお話を伺った。

 この風葬文化を持つ国々はすべて大交易時代(十四~十六世紀)の関係国である。こう考えると十九~二十世紀の台湾統治時代などはかなり新しい話に見えてきてしまうのであった。

 以上のことから、与那国島は台湾と切っても切れない特殊な関係を持つ間柄であり、シードの形がまん丸タイプの台湾・中国系のコリアンダーであるクシティは、まずもって台湾から伝わり、その始まりは千年を超える可能性も十分にあるということだ。

 そういえば、今回の与那国島の訪問でもう一つ気になったものがある。それは古代から長い間、まん丸の胡椒と混同して扱われてきたヒハツモドキ(ヒバーチ。ナガコショウとも呼ぶ)だ。

 乾燥させた実を粉末にし、八重山式の沖縄そばなどにそれこそ胡椒のように振りかけて食べるものである。庭や畑の脇にあったクシティとは違い、道路脇や家の横の石垣、駐車場の脇などに無造作に自生しているのを何度も見かけた。

 が、実は与那国島では食用とせず石垣島などへ輸出し、地元では葉のみを野菜として食べるのだそうだ。八重山諸島の各地に分布するハーブスパイスだが原産は東南アジア。これもまた海のシルクロードを伝ってやってきたかと思うと胸騒ぎがしてしょうがない。



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