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日本のコリアンダーの玄関口 #4

(原題「Spice Journal vol.15 夢のコリアンダー 与那国島クシティ伝説」)

Top Page スパイスジャーナルという本
1.コリアンダーは伝統野菜
2.空港横にクシティの花畑
3.クシティはどこから来たのか
4.台湾とそれほどに近い
5.考察 海のシルクロード
特別編.クシティの味わいとレシピ

4.台湾とそれほどに近い

 4月24日朝、いよいよ農協前まで行く。昨日のスミ子さんの話では「クシティのことを知るにはここがもっとも熱くていい」とのこと。各季節の野菜をはじめ島の伝統的なもの、そのほか農に関するあらゆる情報が集まっているというのだ。ちょうど今日は木曜市とやらで主要メンバーの方々が終結するという。と言っても毎日のように同じメンバーが集っているらしいが。

 宿から車で五、六分。農協の建物は濃緑の木々に囲まれ、たくさんの野鳥の囀りに包まれていた。

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与那国島農業の総本部

 農協スタッフの方にはすでにスミ子さんから連絡が入っていて、我々の取材に躊躇なく興味を示していただいた。さっそく品物を売りに来られた70歳台くらいの女性を紹介してくださる。その女性は入口前の5メートルほどのスペースにあった台の上に野菜や作りたてのまだ温かい豆腐を並べている。

「うんうん、クシティのことを内地ではコールアンダーということは聞いていますよ。でもね、これも色々なの。同じクシティでも台湾のと与那国のがあってよ。やっぱり与那国のが香りもよくておいしいとみんな言うね。身体にもいいし、おいしいんですよ」

 ふむ、台湾のと与那国島のクシティとは味が違うと。

「う~ん、わたしはよくわからないけど。みんなそう言ってるね」

与那国島、沖縄本島、石垣島、それぞれ違うという話はあちこちで耳にしてきましたが。

「確かにみんなそう言ってるね。でも私は与那国のクシティしか食べたことがないから違いが本当にわかってないよ」

 どういう食べ方をされるのですか。

「ほんとに色々ね。シーチキンと一緒にポン酢で。酢の物。鰹節と混ぜてそのまま。カジキの刺身と一緒にもよく食べてるね。味噌汁にもいれる。お年寄りとか歯が弱い人はお汁に入れて柔らかにして食べることが多いよ。旬の間は一日3食でも食べるね。土産物として買って帰る人も多いね」

 一日3食クシティとはさすがの本場。クシティはいつからあると思われますか。昔からありましたか。

「さて、私が子供の頃にあったかどうかは分からないね。家にはなかったかな。たぶん親戚からもらってくるとか、こういうところで買ってきてたんじゃないかな。でも歴史は古いと思いますよ」

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島の豆腐は重要なたんぱく源

 話しているうちにいつのまにか隣で野菜を並べる帽子姿の女性も加わってくださった。こちらの方も70歳代かと思われる。内地でホテル経営を大きく展開する(レトルトカレーも出しているあの名物社長)女性社長にそっくりだ。

「クシティはずっとずっと昔からあるよ。台湾と日本が一緒だった時代から、与那国の人は中学を卒業するとみんな台湾へ渡って、礼儀や作法、料理、着付け、洋裁などすべてを学んできたのよ。そのまま行ったきりの人もいたくらい。でも殆どの人は何度も往来しているからね、その頃に入ってきたと思うよ」

 これはスミ子さんのお父様、宮里善盛さんと同じ意見である。

 と、そこに今度は奥から若い男性がやってきて屈託のない笑顔で挨拶してくださった。沖縄県農業改良普及課の富村さんだ。

「僕は石垣島からこちらに赴任しているんですが、コリアンダーは石垣島でもたくさん栽培されています。でも与那国の人は味や香りが違うって言うんですよ。実際、那覇の人でも与那国のほうがうまいと言う人は多いんです。与那国では2、3のプロの農家が栽培されていて(2014年4月当時)、居酒屋などにも卸されてます。それ以外は自家栽培が常識的。毎年、農協前で地元の方が種も販売するんですが、足らないくらい人気があります。みんな甘口の醤油やポン酢をかけてサラダ感覚で食べてますよ。シーズン中はその辺の飲食店でもどこにでもあります」

 いつのまにか白色の丸いテーブルとお茶、いくつもの椅子を出していただいていた。農協入口前が取材会場と化している。

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 帽子の女社長が続ける。
「ニンニクの葉とあえて食べてもおいしいですよ。結局は匂いのきついもの同士があうんでしょうね。香りが弱かったらクシティじゃない、おいしくない」

 本土ではゲテモノ扱いからようやく物好きの食べ物という感じになりつつある状況なのに対して、こちらではすぐに売切れてしまうほどの人気野菜というのは凄いギャップである。それも地産地消。農協のスタッフの若い女性が加わる。

「いえいえ、与那国にも嫌いだっていう人はやっぱりいるんですよ。あれだけのクセのある野菜だから。特に子供の間は嫌いっていう子はけっこういるかも。でも、どちらが多いかというと圧倒的に好き派が多いわけ。それに嫌いだって言っても親が色々工夫して食べさせるしね。かき揚げにして混ぜちゃったりね」

 クシティは大人の野菜ということか。

 ただ、与那国では冬の風物詩として愛されているとか、山盛りサラダ感覚で食べるとか、そういう生活面のことはよくわかったのだが、ずっと霧がかかっているのがそのルーツである。こればかりは人それぞれ説が違う。

 富村さんが応える。
「実はさっき上司に聞いてみたんです。その上司は与那国出身で現在は石垣に勤務中なんですが、歳は60歳前かな。その彼によると、年代はわからないけど、その上司のお婆さんが子供の頃から食べていたことは間違いないといってました。でも、その前のことまではわからないと。それを整理した資料があるという話も聞いたことがないし、詳しい話を語れる人はもういないのではないかって言ってます」

 と、そこに、つやつやの褐色の肌でしっかりとした眼差しの、とても存在感のあるお婆さんが現れた。杖を突きながらゆっくりと椅子に腰掛ける。みなさんが「大先輩」と呼ぶだけあって、確かに年齢もワンランク上のようにうかがえる。あらためて大先輩にクシティについて尋ねてみた。

「さて、いつ頃からあるんだろうね。やっぱり台湾との関係があるんじゃないのかな。統治時代があったから。でもたぶんそれよりもっと古いよ。だって私が子供の頃からもうあったから」

 こちら、なんと先ほどの富村さんが話していた上司のお母さんだというではないか。お名前はトシ子さん。レディに不躾に年齢を聞くわけには行かない。60歳前のご子息がいて、70歳代の女性陣が大先輩ということは80歳前後、いやもしかしたらもっと上の可能性もある。台湾が日本の統治国だったのは1895年から1945年までの約50年間だ。仮に御歳90歳としたら統治時代の真っ只中のお生まれということになる。

「統治時代よりももっと昔から台湾と与那国は付き合いがあったと聞いてるよ。だって石垣へ行くよりも近いんだからね。植物の種は乾燥するから、わざわざ運んで来ようと思わなくても、たまたまどこかに紛れてやってくるってこともあるしね。種は死なないから、こちらで落ちればそこで花を咲かせるよ。だから、うぅ~ん、もしかしたら千年位前からあるんじゃないのかなぁ」

 実に張りのある元気な声で、御大の説得力のあるお話を聴くことが出来た。

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年齢不詳の大先輩トシ子さん

 ところで大先輩のトシ子さんはクシティをどのように食べるのだろうか。
 
「生でポン酢や醤油で食べるね。ほか、ニンニクの葉と混ぜたり、大根おろしと一緒に食べてもおいしい。でも、小さな子供なんかはあの匂いが嫌だって言う子も多くいるね。だからそんな時は天ぷらなんかにしてあげるといいよ。揚げると匂いがやさしくなるからね。冬になるとまたクシティの季節がやってくる。今では身体にいいというから一所懸命に食べてるけどね。え、どういいかって、 さて、細かいことは知らないね。みんながそう言うから、わっはっはっはっはっ……」

 トシ子さんの大らかさにつられるようにして我々も笑った。

 一息ついた頃、先ほどの若い女性が思い出したようにトシ子さんに声をかける。

「そうそう、彼女はスミ子さんの親戚の、ほら上運天の……」

 上運天(かみうんてん)とはマキちゃんの旧姓だ。

「ええっ、あの上運天の孫だってっ」(トシ子さん)

「そう、私は○○の孫で、いま大阪に住んでいます」(マキちゃん)

「なんだ、あんたは与那国の血を継いでいるんだね~」(トシ子さん)

「あれま、私の息子も大阪にいるよ。コーコクダイリテン?そういう会社に勤めてるよ」(女社長)

 この後、話がクシティから一気に遠ざかっていったことは言うまでもない。

 だが、最年長のトシ子さんの答えが大きな成果となった。
 少しだけクシティのルーツが見えてきたような気がした。
 農協前は相変わらず野鳥の囀りが賑やかであった。

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 5.考察 海のシルクロード へつづく



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