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Spice Road

カワムラケンジ(THALI/Spice Journal)

第一章 日本のスパイスの玄関口 与那国島

(原話「Spice Journal vol.15」夢のコリアンダー)

空港横にクシティの花畑

クシティはどこから来たのか

 車は祖納集落に入り、複雑な細い道を走る。道の両脇にはところどころ色あせた赤瓦の家々が目に入る。グレイのコンクリートか白やライムグリーンなど明るい色で塗られた家も多く、琉球文化と台湾文化の入り交ざった感じが見て取れる。そして、どの家もさほど高くはないが、ブロックや石積みの塀でがっちりと囲われている。塀のコンクリートや石の黒ずみ、ヤスリをあてたかのような削れた丸みからは厳しい雨風の痕跡が感じられた。

 路地を右へ左へと進み、ついにスミ子さんのご実家に到着した。少し前にお婆さんが亡くなり、宮里善盛さん(以下お爺さん。二〇一七年ご逝去)がこの家に住んでおられるという。中へ通され、まずはお婆さんに合掌してから、隣の応接間へとお邪魔する。お爺さんがぴたっと微動だにせず椅子に腰掛けていた。「こちらがうちのアサです。あ、アサというのは与那国の言葉でお爺さんという意味ね」

 各自、挨拶を済ませ、さっそくクシティについて話を伺う。お爺さんは翌日九一歳の誕生日を迎えるという。実にスローだが言葉も聞き取れるし、背筋がぴしっとして姿勢も美しい。しばしばスミ子さんがお爺さんの耳元に声をかけながら我々との会話が進んだ。

「なぁ~に、クシティ。はぁ~、これはね、台湾からの流れで◇▼◎■&$%」

 一瞬その場の空気が固まり、数秒後にスミ子さんが割って入る。
「台湾からいつ頃からの流れ?」

「うぅん、それはずっと昔……▲%#◇☆&。クシティは好きだよ。このあいだまで作ってたんだけど、今は種がないから……」

 僕はとにかく相槌を打ち、シンプルに聞き直した。「そうですか。では種は買ってくるしかないってことですか」

「あぅ、うん、あぁっとね……」

「最近のクシティの状況についてはお爺さんはわかっていなくて。今はうちの親戚が畑で自家栽培していますからあとで連れて行きますね。種はいろいろなんですけど、今はその親せきが種をとって、また来年という具合で。たぶん納屋に干してあると思います」スミ子さんがそう言うとお爺さんが追いかけるように口を開いた。

「昔はみんな自分の庭に植えて、種を取って、また。ここの前にも…うっふっふっ、はっはっは、○&%■#!」

 思わず我々はスミ子さんの顔を見る。
「ええ、庭と言うか、家の周辺に、まぁその雑草のように生えてるんで。昔はそういう風にあちこちにあったし、自分の家の庭になければ隣近所のをもらってきたり、そういう自由な感覚だった。でも今はだんだん自家栽培する人も減ってきて。その代わり出荷する人も出てきたので、そういう人から買うことが増えたかな。職業でやってる人はこのあたりでは一軒だけあります。でもまぁ基本的には趣味というか自然の流れでやってる人が殆ど。みんな何事もだいたいだから。人にあげたり、もらったり、そういう習慣がこの島では今でも当たり前なんです」

 少しずつ身体が温まってきたご様子のお爺さんに、もう一度同じ質問を投げかけてみる。「クシティはいったいいつから与那国にあるんでしょうね」

「うぅんと、ずっーと昔だね。こちらから向こう(台湾)へ行き、向こうの人もこちらへ来たりして、いつのまにかやってきたね。昔は雑草のようにその辺に生えていたよ。今は畑で作るようになったね。みんな自家栽培しているよ。年中いつでもできるよ。けど、十月頃に植えて、年末か正月あたりから三月くらいまでの間に食べるね」

「お爺さんは今でもクシティを食べますか」

「うんうん、食べるよ。毎年、たくさん食べるよ」

「どのようにして食べますか。生ですか。加熱はしますか」

「あぁ、うぅ……、鰹節と醤油でね」

 スミ子さんが続く。
「アサもそうだけど与那国の人はほとんど生で食べているんですよ。一番はサラダにして。食べる人は丼でたっぷりと食べるね」

「コリアンダーを丼鉢に入れて食べるなんて聞いたことも見たこともない」

「ほかに刺身の妻としても食べるよ。特にカジキと一緒に食べることが多いね。また、いただき物のお返しとかにもよく送ったりするし。でも与那国以外で育てられたものはあまり生で食べる気はしない。香りが貧弱でちょっと硬いというか」

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(↑クシティ)

「さっき空港のレンタカーショップのお姉さんも同じようなことをおっしゃってました。内地のタイ料理店なんかでパクチーを食べても香りも味もないって。そんなに違いますか」

「うん、確かに違うね。私は長いあいだ那覇に住んでいたんだけど、向こうでも与那国出身者なんかが与那国の種で育てたクシティを売っているのをよく見かけました。でも、それでもちょっと違う。私にはよくわからないけど気候や土なんだろうか。みんな与那国産のクシティじゃないとおいしくないっていうんだよね。だから結局は与那国から送ってもらうわけ。私もそうでした」

「何が決定的に違うのでしょうか。香り、味、食感、色?」

「う~ん、全部かな。柔らかで、香りなんて比較にならないくらい。旬の間は町のあちこちからクシティの匂いが漂ってくるのよ。メインは祖納の真ん中の農協。そこにみんなが育てたクシティが連日のようにだだぁっと並ぶわけ。ついこの間まで山積みだったのに、もう旬は終わっちゃったね。あれは与那国の冬の風物詩ですよ」

「コリアンダーは与那国島の冬の風物詩」

「そう、だいたい十二月頃から三月終わりくらいまでが旬。だからみんな毎年楽しみにしてるんです。冬がきたら、あぁそろそろクシティだって思うわけ」

 冬と言っても与那国の十二月から三ヶ月間の平均気温は十九℃(気象庁データ)もある。ちなみに大阪は六.九℃、東京で六.一℃である。与那国島での栽培期となる九月頃から十一月頃までは二二℃から二五℃ほどでちょうどコリアンダーの発育には最適な温度帯となる。

 与那国島はコリアンダーに選ばれた島なのだ。と、そこにいきなり大きな鐘の音がどこからともなく聞こえてきた。
 キーン、コーン、カーン、コーン♪ キーン、コーン、カーン、コーン♪

「うん、五時の知らせね。アサも寝なきゃ」そう言ってスミ子さんが笑う。

 最後にもう一つだけスミ子さんに聞く。
「クシティは与那国ならではの野菜だと思いますか」

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「昔はそうだったと思う。私と主人が那覇に出ていった頃は見たことなかったもん。私は仕事柄よく配達に出てたんだけど、希にお客さんのお家でクシティの匂いがしたり小さな畑で栽培してたりするのを見ると、あ、与那国の人かなて思って。で、聞いてみたらやっぱり与那国出身の人で。最近でも本島の浦添の農協に売ってた商品の裏側を見たら与那国出身の方の名だった」

「クシティがつなぐ与那国の縁ですね。その頃の那覇では、まだクシティは無名だったと?」

「そう、聞いたこともなかった。そもそもパクチーとかコリアンダーなんていう言葉も最近のことだから。今は那覇にたくさんあるね。私の姪も那覇に出てるんだけど居酒屋みたいなんやっててクシティを使ってる。外国料理の影響もあるだろうけど、一番は与那国の故郷の味という感覚だと思うのね」

 お爺さんにも、しつこくもう一度だけ同じ質問をした。
「クシティはいったい、いつから与那国にあると思いますか」

「あぁ、昔は台湾と日本は同じ(統治時代)だったでしょ。その時、与那国の人はみんな台湾へ働きに出たよ」

 スミ子さんも頷く。「うちのおばあちゃんもずっと台湾で生活してたんですよ」

「あぁうぅ、台湾の人も与那国へよく来ていたね。そのときに野菜や肉も行き来していたよ。アグー(豚の種類)もそう。でも、このときすでにクシティはあったね。うぅあぁ、そう、だから統治時代より古いと思うよ」

 クシティーは与那国島が台湾と深い関係を持っていたことの象徴の一つというわけだ。ただのハーブ探検が思わぬ歴史ロマンに魅せられていくのであった。

 とても素敵なお話をたくさん聞かせていただいた我々は、お爺さんに挨拶をしてスミ子さんと共にその場を後にした。

 車に乗ってスミ子さんのご兄弟の畑へ向かう。畑はわずか五分ほどのところにあった。ぱっと見た感じ一反(約千平米)ほどの広い畑でクシティが花を咲かせていた。向こう側には馬が草を食んでいるのが見える。

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「今花が咲いてるでしょ。これをこのまま枯らすわけ。で、ある程度まで乾いたら刈り取って、今度は日陰で逆さに吊るして種が自然に落ちるのを待つの。その落ちた種でまた次も栽培するわけ。自分たちが食べて、種を取るために残しておいてまた次回。与那国の人間はみんなこれを延々と繰り返してきているのね。売るためじゃなくて、自分たちが食べるためにやってる。クシティはあって当たり前のものなの」

 この後、車で三分ほどの場所にあるご主人の親戚のお家に行く。家と倉庫の間の屋根の下に、クシティの束が二つ吊るされていた。お庭でクシティ談議に花を咲かせることができた。

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 次に、ケーキとパンの店『田島商店マーブル』へ行く。店主の田島さんは地元の素材を駆使し、他にはないものを創り上げるのが得意な方とのこと。年齢は六〇歳前後に見えるが。何か知っていることがあるのではないかとスミ子さんが連れて行ってくれた。が、先ほどとはあまりにも違う意見が返ってきて我々は戸惑う。

「は、クシティの歴史だって。それは台湾じゃなくて、どこか他の国からクシティを持ってきたと聞いたことがあるよ。少なくとも私が小さい頃には食べた記憶がない。だから島に入ってきたのはごく最近のことだと思う。与那国島ならではのハーブというならそれは長命草でしょ。これなら間違いなく昔から与那国にあるから。美容や健康にいいとかで、大手の化粧品会社が錠剤やドリンクにして売ってますよ。ま、私はクシティにそんなに興味はないけど、たまに内地の人から種を送ってくれって頼まれるから送ってあげることがあるのね。でも誰からもうまく育ったという話を聞いたことがない。クシティは与那国島以外で育てるのが難しいのかね。食べ方は鰹節にポン酢が普通じゃないのかな。味噌汁や沖縄そばに入れる人もいるみたいだけど、私は好んで食べようとは思わないよ」

 撃沈の思いだが、田島さんもまたマキちゃんの遠い親戚だったようで、一押しの長命草ロールケーキを頂いてしまった。緑色が鮮やかで、餡子と生クリームのピュアな甘みが最高だった。

「なんだかわからなくなってきたね。もうすっかり暗くなったから、すぐそこの居酒屋で乾杯しようか。実はうちの主人も明日誕生日なんだね。ちょっと一緒に乾杯してくれないかしら」とスミ子さん。

 店の名は「国境」と書いて「はて」と読む。当然のようにオリオン生ビールで乾杯。人気の筆頭メニューはカジキの唐揚げだそうだ。まさに日本の果て。地球の動脈ともいえる豪快な黒潮が駆け抜けるところにいるという気配が満ちている。ほか、カジキのハラゴ(腹部)の刺身、揚げた島豆腐に手造り長命草油味噌をつけて食べるカリカリ豆腐など。ところでクシティを使った料理はないのかと、店の女性に尋ねるとこう返ってきた。

「クシティは冬の野菜だから、特に十二月から三月頃まではたくさん使いますよ。カジキと一緒に食べるものだからね」

 狭い島なので一様に思ってしまうが、人それぞれ好き嫌いや好みの食べ方があるようだ。

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台湾とそれほどに近いからへつづく



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カワムラケンジ(THALI/Spice Journal)
著述・スパイス料理研究家 10代から大衆中華、カフェ、ラウンジ、築地魚河岸、バー経営、日替わりインド料理店経営など飲食の現場一筋。行動でしか学べない体質を改善するため20代後半から縁あって文系ワーカーに。 https://www.kawamurakenji.net