
カウンターの隣席 #1
町の灯り
僕の職業はライター、スパイス料理研究家です。
中学時代は水泳部。高校時代はバイクとバイトに明け暮れてました。
一時期は紆余曲折しながらも20歳を過ぎてからはとにかく飲食の現場一筋。コーヒー、ワイン、カクテル、ソフトドリンク、料理は主に洋中、そしてインド。料理のみならずいくつかの市場でも働いてきました。
親友たちからはお金と権力はないけど生き方がオモシロイとよく言われます。も少しだけ覗いてやろう(笑)と思ってくださった方はこちらをご覧ください。
さて、ここでは特にテーマを置くのではなく、日々思うことをそのまま書いていこうと思います。
寄り道ばかりになりそうですが、どうぞお付き合いのほどよろしくおねがいします。
で、記念すべき初っ端は
「インドへ行くべきか」というお話です。
なんじゃそれ?とお思いになるかもしれませんが、僕は今までこのフレーズを何度耳にしたことかわかりません。
多くはお店で聞くのです。お店をやってる人。特にカレーを売りにしている人。今だとオーナーシェフって言うんですか。とにかく自分で仕入れも掃除も料理もやってる人です。
ようするに自分はインドへ行ったこともないのにカレーを売りにしているけど、そんな自分ではあかんのか?ということでしょう。そこには反骨精神、劣等感のようなものもあるのかもしれませんね。
中には何が何でもインドへ行かないぞ!と言い切る人もいます。なんだなんだ、そんなにインドが気になるのか?と思ってしまうのですが、情報過密の時代もここまでになってくるときっとどこかから言われるんでしょうね。
お前インドに行ったこともないのに何がスパイスだカレーだ、と。
その切実ともいえる「インドなんか行かないぞ」症候群のオーナーシェフたちに僕は言いたい。
そんなことどうでもいいっすよ。それよりか、とにかく今も店をやっていることが凄いと。ちっぽけであればあるほど、そこにはあなたの顔がある。それこそ唯一無二の誰にも真似のできないことなのだと。
インドなんか昔は「呼ばれていく国」などと言われていましたが、これだけ情報と合理が極まる時代ですから、いつでも誰でも行けますよ。最近では日本にいるのと同じようにスマホ片手に、ちょっとずつ味見して食べ歩くような旅の仕方をしている人が増えていると聞きます。
日本でやっていることをそのまんまインドに持ち込んでいるだけ。携帯電波やワイファイなんかものすごく発達してますからね、あちらは。
中には日本で複数の道連れを募って、現地で自分は一口だけ食べてあとは道連れの方々に食べきらせてしまう、なんて人もいるそうな。
とにかく隣の庭を見てみたい。ここまで食べにきたという記録を収集したいのでしょうか。破壊や気付き、創造、という未知との自己との出会いのない、そんなの旅と言っていいのだろうか、と思ってしまいます。
どれだけマニアックなところへ、どれだけディープなものを食べたか、ということなんて、それはそれで面白い話だけど、あなたが今その店をやっていることほどのレベルじゃない。
「店をやる」というのはとてもとても大変なことです。そもそも場所探しが既に神がかっている。不便な場所の古ぼけた小さな空き店舗でいい、何てのは昔の話。今は特に個人経営者が入れそうな安価な貸店舗は激減の一途で、この現象はむしろ東京のような大都会ほど遅れていると実感します。
複数店舗の飲食店を展開する親友がいるのですが、彼はよく「場所が自分を呼ぶ」という言い方をします。
これは新たに店を出す時の話です。そこが貸店舗の札が掛けられた場所に限らず、現在経営中のピンサロであれ、長年誰も借り手が見つからないデッドスペースであれ、声が聞こえるというのです。
「お前にここで店をやってほしい」と。ちょっと笑えるオカルトな感じですが、その感覚とてもよくわかります。僕も今までいろんな店を自身で開業したり他者のお手伝いしてきましたから。
こういうのを「場所は縁」というのでしょうね。だからいくら小細工したっていい場所が手に入るとは限らない。仮に店を出せたとしてもトラブルが多かったり利益が上がらず閉店や転業を余儀なくされるとか。
そこで店をやっていることそのことが凄いのです。
その上で何年も継続しているとさらに凄い。途中でリニューアルや営業スタイルを変えていようとも何年もやるってのは同じ神でもかなりハイクラスな神。自分の土地や建物であれ賃借であれ。
現代ほど店がジャッジに晒されてる時代はないと思います。客は日本列島総評論家どころか全国民が採点者であり審査員。ここのところはモンスターやマウンターも増える一方だと聞きます。
もちろんそうじゃないお客もたくさんいるけども、そんな言い草こそ外野の評論家のような発言です。日々剥き出しとなって火の粉を浴びているのは現場最前線の個人経営者なのです。これ、きっと他の業種でも同じことが言えると思います。
イヤならやめろ!という意見もあるかと思いますが、先述のように場所探しから神がかっているわけで、そう簡単に廃業や転居とはいかない。今や不動産情報さえも裏取引が多いという事実もありますし。
このようなジャッジの嵐の中で、彼らは日々仕入れや仕込み、調理、接客、掃除、お金の勘定などに追われ続けているのです。
何よりも僕が感銘を受けるのは、その仕事であなたが、もし従業員がいるのなら従業員が、家族がいるなら家族が食っていってることが素晴らしいし、もし子供がいる人なら子供を育てていること、育ててきたことがもう半端ない偉業だと思います。
インドへ行くこと?どうでもいい。インドにカレーはない?それもどうでもいい。そりゃ行ったなりに現地風の味が出てくればそれはそれでおいしいし楽しいでしょう。けども、現地の味でなくてもおいしくて楽しい味は無限に存在する。
そんなことよりあなたの元気な顔を見たい。元気な声を聞きたいのです。
昨今、コロナ禍で飲食店の役割がすごく見えた気がしているのは僕だけでしょうか。ファストフードであれ、ファミリーレストランであれ。そして個人経営店ならそこの店主の顔が見れなくなった時の寂しさは言葉にならない。
僕は店に育てられてきた人間だから余計にそう感じるのかもしれない。
多くの人(店)が営業時間制限、休業、時には廃業となり、これほどに虚しくつまらない生活はないなと痛感しました。
今日も暖簾をあげている、看板を出している、という行動は町の灯りそのものなんだと思います。
店というものはあってあたり前じゃない。そこにあることが花となり光となっている。そう感じているお客はきっと多いはず。
今も昔もいいお客と言うのは目立たないんですよ。質がいい客ほど騒がないから他の人に聞こえてこない。
これ、店をやっているとなかなか言えないことだと思います。
店は町の灯り。店主が元気を失うと灯りもその分くすんでくる。
これからは情報をもっと制限したほうがいいかもしれません。自分の周波数をもつというかチャンネルを持つというか。なんだったらすべてを遮断してもいいんじゃないかな。
情報に振り回されず、自身の元気を維持する、アップすることに専念してください。いい音を聞き、いい空気を吸うのもいいかもしれません。ヨーガもおすすめです。呼吸は想像以上に自分を調律してくれるから。
えらそういってスンマセン。隣席の戯言でした。
お客がお店を育てる
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