見出し画像

お客がお店を育てる


「東京はお店がお客を育てるけど、大阪はお客がお店を育てる」
 
そう言ったのは創業半世紀以上になる大阪のとある名バーテンダーでした。
 
僕は大阪の雑誌の取材で伺っていたのですが(著者プロフィール)、こちらのバーへはもっと以前からプライベートで通っていたので、妙に腑に落ちるというか、大きく納得できる言葉に感じました。1990年代後半のことです。
 
今の大阪は人間模様ががらりと変わってしまって、このような面影を感じることは少なくなりましたが、確かに僕が大衆中華で勤めていた1980年~1990年代の大阪は、お客がお店を育てているのだという気配がむんむんとしていました。
 
というのも、大阪の飲食店の多くが、お客とお店が友達のように見えたものです。
 
だってあまりにもお店の人とお客が気さくに話しているもんだから。これ普通に一見客も入り交ざっていたりするのでその馴れ馴れパワーは半端じゃないです。それに声がでかいし。間に見知らぬお客を挟んでいようともおかまいなしで空中トークが交わされます。
 
そのずけずけと飛び交う言葉の中に、お客から店に対する注文も平気で飛ぶ。メニューじゃないですよ。もっと量を多くしろとか、早く出せとか、逆にもっとこっちのペースを読んで出せとか。エスカレートしていくと営業時間を変えるべきだとか、カウンターの上をもっと片付けておけとか、こんな照明の方が似合うとか、店の姿勢や内装などについても。
 
これは下手するとクレームや言いがかりにも見えますが、実は全員‌が全員、店を愛するがゆえに出てきている言葉なんです。早い話が超ド級のお節介。
 
東京でやったら間違いなく店を追い出されることでしょう。
 
もちろん大阪にもそういった狎れあい、じゃれ合い、でかい声が嫌いな人はいます。馴れ馴れしいお友達会話の中に割って入れないような性格の人もいます。
 
だから、そういう人はその店の常連客には同行しても、単独ではなかなか足が向かない。とにかく店の人とは仕方ないにしても、そこに溜まっている常連客かなんかよくわからない人の干渉を受けないで済むであろう店を探します。
 
大阪にはこのように、ある意味での超濃厚村社会的な飲食店がごく普通に存在したのです。
 
それが、90年代に入った頃から徐々に減少していったように思います。景気が冷え込むほどに個人経営の飲食店が減り、その一方でただひたすらこだわりを売りにする店、食券制やデジタル注文、中大型のファミリーレストランのようなスタイルの店が増えて、人とのかかわりはどんどん減っていきました。
 
でも、このずけずけテンションは近畿の周辺でまだ生きていたのです。
 
僕は色々あって1998年、大阪から三重県松阪市に転居し、日替わりインド料理店『THALI(ターリー)』を開業しました。わずか5坪の狭小な店です。
 
で、開業して間もない頃に、すでに何度か通ってくださっていたご近所の主婦の方が僕にこう言ったのです。
 
「あんたな、ありがとうございます、ではあかんで。この町の人はみんな怖がりやねん。都会の人間が怖いねん。せやからそんなちゃんとした挨拶やのうて、おおきにとか、毎度とか言ってあげて。別にお辞儀せんでええから。あんた大阪人なんやろ?大阪では一見さんでも毎度言うんちゃうの!」
 
いやいやそれは昔のごく一部の話で、今の大阪は普通に「いらっしゃいませ&ありがとうございました」でっせ。
 
とは思ったものの、80年代に大阪のディープな裏町の中華料理店で勤めていた僕は、見知らぬ人と「毎度」調でかかわることはいつでもできます。というわけで翌日から、「毎度&おおきに」調に換えたのでした。さすがに一見客には「毎度」は言わなかったですけど。
 
すると確かに、来店時は恐る恐るだったお客の表情がすぐに柔らかになり、途端にため口になる人も多くいました。なんじゃこいつは、と思うこともたまにありましたが、みなさん昔の大阪のようなノリの方が多くてなんだか懐かしい。
 
その中の一人に中山君という人がいました。彼がうちに来て三度目の時のこと。こう言ってきたのです。
 
「カワムラ君にとってのカレーはこんなんか知らんけど、僕にとってカレー言うのんは、もっととろみがあって旨みと甘みが濃いやつを言うねん。ほら、ククレカレーみたいな。なに?インドカレー。そりゃカレーの本場はインドやろうと思うけど、俺はそういうカレーで育ったから。出来たらそういうカレーもメニューに入れて」
 
おいおい、お前インド料理屋に向かってよくもそんなことをずけずけと言ってくるな、と最初むかつくやらビビるやら。でも、あまりに屈託なく話してくるもんだからつい受け入れてしまった。
 
それから数日の間、どうしたら中山君が喜んで、でも当店のスタイル(あくまでインド式)を守れるメニューができるのか、あれこれと考えました。
 
そこで行きついたのが「カレー天津飯」だったのです。店の売りは、チキンカレーか日替わりのベジカレーのどちらかと、そこにダル(豆)やらサブジ(野菜料理)やパコラ(野菜天ぷら)などがついた定食でしたが、そのチキンカレーをソースとして使うのです。

Photo by Kohichi Higashiya(巻頭の写真共に)

 
中華そのまんまトロトロの卵焼きをご飯に載せて、さらに上からカレーをかける。でも当店のカレーは小麦粉を使わずにさらりとしているので、フライパンで少し煮詰めて仕上げに水溶き片栗粉でとろみをつけます。そして仕上げにごま油をひとたらし。
 
後日、「どうや」みたいな顔をしてやってきた中山君に「カレー天津飯」を出しました。すると「これこれ!やればできるやん!これから俺これ専門にするのでよろしく。何をどうしたのか説明はいらん。とにかくこれが好き」と相変わらずの調子で実に喜んでくれました。ホッ。
 
この後、彼は本当に週一のペースで来店し、やがてスパイスチャーハンに入れ替えるバージョンも誕生。スパイスチャーハンとはスパイスと共に炒めた軽いドライカレーのようなごはんのことで、1991年頃に創り上げた僕の完全オリジナル料理です。今はよく似たものがあちこちにあるようですが。
 
中山君はこの後、週一のペースで通うヘヴィ常連客となりました。松阪『THALI』には中山君のようなお客が他にもたくさんいます。もちろんごく普通の方、インド好きやインド通のお客さんもたくさんいましたが、ここには昔懐かしの大阪風が顕在していたのです。
 
みんな本当に懐かしい。僕は大阪の生まれですが、これが松阪を故郷のように思っている所以です。
 
『カレー天津飯』レシピご参照。ウェブ【MONOQLO by 360LiFE】*カレーピザトーストも載ってます!

top
町の灯り


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?