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おいしいという魔除け

おいしさほど手軽で簡単な邪気払いはないと思うんです。

これは店からの目線であれ、客からの目線であれ、家で家族のために作る側であれ、ご馳走になる側であれ、一人暮らしで自分で自分に作るときであれ、すべてのケースで言えること。

おいしさは瞬時に心の埃を一掃する。それほどにおいしいもんというのは心地よくて壮快なんだと思います。

そのことを実感したことが数えきれないほどあります。例えば三重・松阪でやっていたインド料理、定食の店『THALI(ターリー)』の時代にこんなことがありました。

ランチ営業がひと段落し、さてそろそろ夕方の準備でも始めるか、などと思っていた頃に、低音を利かせたラップをばんばんに鳴らした黒いクラウンが店の前に着いたんです。

うわ、こってこてのヤンキーやん。場所柄、というとそうでない方々に失礼ですが、そのあたりはけっこうな確率で純度100%のヤンキーの車・人というのが多くいる地域でした。

そして車から降りてきたのはもうイメージ通りそのまんまのド派手な男女。二人ともゴールドカラーヘアで、男はぼさぼさの野人という感じ、女は吉本新喜劇の池乃めだかもまっつぁおなほどの底の高い靴にカラフルな長い爪。

が、なにやら二人には距離感があって、隅っこのテーブルに腰掛けたのはいいですが、女はチッと舌打ちして男から目を背けるようにしているのです。

ははぁこれは先まで喧嘩してたな、という気配で、まさかお前らここで延長戦するんじゃないぞ、と思いながら注文を聞くと、男が3種あるランチの説明を求めてくる。

Aは定番のチキンもも肉のカレーと野菜の汁気のないカレー。Bは豆のカレーと野菜の汁気のないカレー。Cはスパイスチャーハンと言ってドライカレーじゃないけどいい香りのするごはんとチキンカレーか野菜カレーと野菜の汁気のなカレー。全部にヨーグルトと辛い漬物がついてます。

すると男は「お前なにすんねん!?」と女に強めに言い放ち、女は「はぁ?お前は」などといって斜めに男をにらみつけ、うわやっぱりこいつら延長戦かなピリピリ感。

「はぁ?ほんなら俺はAで」

「ふぅん、じゃ私はCでええ」

はい、わかりました。と僕はそそくさと厨房へ戻ってとっとと支度します。といってもわずか5坪の店。全部で無理から4つのテーブル(電線コードを巻くドラム)を置いてまして、どこに座っても息が聞こえてくるような狭さです。

二人は一切の会話がなく、時折横目で見ると、二人とも外を眺めたまま。店は入り口側全面が冊子のドアになっていて、常に全開状態でした。

おお、こりゃ早く出してとっとと帰ってもらおうっと。な気持ちでさくっと料理を済ませ二人に提供。すると、なんじゃこりゃ~という具合に二人はそれぞれの自分の皿の上を覗き込み、その直後お互いの皿の上も覗き込みました。

当時、小麦粉を使わない本格的なインド料理は非常に少数派で、さらに店名でもある「THALI」というのはインドの定食という意味なのですが、カレーや副菜や漬物などいろんな料理をワンプレートの上に載せているものは大都市でも皆無に近い状態でした。

でも、それが面白いってことで、我が『THALI』は地元をはじめ、名古屋や東京のメディアからも取り上げられたりしていたのです。

ヤンキーの二人は恐る恐るスプーンを口に運び、しばらくねちゃねちゃと舌を鳴らした後、他の料理にも手を伸ばし、実に不思議そうな、でもなんだかけっこういける、ってな表情で食べ進んでいきました。

そしてしばらくしてから、どちらかが「ちょっとちょうだい」となって、相手の皿の上にスプーンを伸ばしもぐもぐと。お互いがちょいちょいお互いの皿の上に進出し、食卓はいつのまにか大忙し。

やがて「これ変わったカレーやの」(男)「ほんまやな。こんなん初めて見たわ」(女)となり、「お前の炒飯もうちょっとくれ」「ほなあんたのチキンちょうだいや」「お~これうまいもんやな」「カレー言うても不思議な香りしてるわ」「おぅ、辛いねんけどうまいもんやな」などと先までのピリピリ感はどこへやら。

最後には「チャイてなんですか」というので、インドのミルクティと応えると「ふたつ」追加注文が入り、それもまた鼻を近づけたりまじまじとのぞき込んだりしながらずずっー。

気が付けば「今からどこ行く?」とか「天気ええから海みたい」などと、何やお前らすっかりご馳走さんやないか。

お勘定は一応男が格好つけて払いましたが、席を立ち上がったらすぐ女の方から男の手をつかみ、ぎゅっ。うわぁ羨ましすぎる~という話です。

このとき僕は心から思いました。

やっぱり料理やってきてよかったな。お店やっててよかったな。おいしいと思ってもらえてよかったな。二人が仲良くなってよかったな、と。

おいしいもんは本当にすごい力を持っていると思います。

これは店のみならず、家のごはんでも同じこと。

うちのカミさんは隙あらば何かしら理由を持ってきては僕に切れまくるのですが、そんな時においしいもんを作るところっと人格が変わります。

結婚した最初の頃は僕が外で仕事をしていることが多く、その時代は甘い菓子なんぞを買って帰っていたものですが、ある時に「お菓子があれば機嫌がいいと思うなよ!」とぶちぎれられずっとトラウマになっていたのですが、ある時、おいしいご飯を作ることでそれを乗り越えることができました。ま、カミさんの場合は同じ料理でも、酒のつまみ的なものを作ると倍機嫌がよくなるのですが。

おふくろは現在老人ホームに入居してしまってますが、それまでの1年間一緒に暮らすことができまして、その時はアルツハイマー型認知症でしたのでしょっちゅういろんなことを忘れるし、食べていてもテレビや外の音やとにかく他のことが気になって仕方がないということが多くありました。

が、しかし、僕がスパイスを駆使していろんなご飯を作ると、その色や香り、刺激的な味にいちいち反応するんです。で、それがまた全部的確に反応するので、あぁなんだおふくろは全然ぼけてない、と思わされることがよくありました。

以前、近畿大学の薬学部とスパイスにおける共同研究会をやっていたことがあって、その際に「ターメリックは認知症予防に役立つ可能性がある」という話が出たことがあり、すでに認知症となってしまってからでは意味がないでしょうけど、それでも一縷の望みをかけてターメリックをはじめ色んなスパイスでもっておふくろにご飯を作ったものです。

治療なんて大それたものではありませんが、少なくともあの時のおふくろは、おいしいご飯に意識を集中して感動してくれたことは確か。おいしいものというのはどっか飛んでった心を取り戻す力もあるんですね。

スパイスの有無は別としても、とにかくおいしいものというのは人の心を明るくする、霧がかかっていた心を一気に透明にする、気分が揚がることは間違いないです。

ジャンルや立場に関係なく、おいしいもんを作ること、おいしいもんを食べることはあらゆる邪気を吹き飛ばす、もっとも簡単で健康的な最良の方法だと確信します。

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町の灯り


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