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特別支援教育③ 【いただいたコメントから】 「特別支援教育が要らなくなる!!??」

先日もお伝えした
「特別支援教育」への
わたしなりの

深い深い、想い

これを再度お伝えした上で
ここからは
本日いただいたコメントから感じたことを
書いていきたいと思います。

コメントは ⇓

こちらの「小林ゆうき様」からいただきました。

すばらしいご経験とご実績をおもちの方から
コメントをいただき

また、拙い記事に共感していただき
大変光栄です。
ありがとうございます!!

社会はさまざまな人々で構成されているのに、
なぜ、日本では、特別支援学校、特別支援学校と謳って、学びの場を切り離すのだろうかと、疑うようになりました。
(アメリカの全ての学校がインクルーシブであるかは定かでは無いですが、)

これも、知識偏重型教育の弊害なのかもしれません。

小林ゆうき様のコメントより 一部抜粋

おっしゃり通りだと感じます。
子どもたちは学びの場を

『切り離されている』

そして、これらは
子どもたちが望んだことではありません。

小林様がおっしゃる
「知識偏重型教育の弊害」
間違いなく

『大人の都合』です!!


前回の記事

小林様の投げ掛けを受けて
こちらで書かせていただいた
当時、栃木県の
特別支援教育拠点校とも言えた公立小学校での
わたしの経験をさわりの部分だけお伝えします。


この学校には「病弱」という
特別支援学級がありました。

車椅子に乗っていたり
ヘッドギアを付けていたり
手足が思うように動かなかったり
麻痺があって
コミュニケーションが難しかったり
様々なお子さんたちが
支援教室で学習していました。

いわゆる「発達障害」と違って
または知的障がいとも違って
言い方は申し訳ないですが
一目で障がいと分かるお子さんたちです。

こうしたお子さんたちが
教科によってではありますが
交流学級、つまり「通常学級」に
支援教室の先生や支援スタッフと一緒に来て
当該学年クラスで学習します。

当時この学校には
看護師の資格をもつスタッフも常駐して
万一に備えていました。

行事、例えば運動会でも一緒に演技したり
一人ひとりの心身の状態に合わせて
競技にも参加します。

こうした中で
障がいをもつお子さんたちだけでなく
通常クラスの子どもたちも
自然と多くのことを学びます。

詳しくは
後ほどの記事で書かせていただきますが
お子さんたちから
わたし自身が学ばせていただいたこと
心を震わせた経験が
本当に、本当にたくさんありました。

余談かもしれませんが
当時4年生を担任していた
わたしのクラスに
文科省の役人の方々が
視察に来られたこともありました。

この時期だからこそ
子ども同士だからこそ
感じられること、学べることがあると
わたしは思います。

しかし
そこに欠かせないのは
大人のリテラシーです。

大人がいかに
本物の特別支援教育』を知っているか
命とは何か
人権とは何か
障がいとはいかなるものなのか
深い知識想いをもって
いかに適切に子どもたちに伝えられるかが
「肝」
になると考えます。

そう考えると更にこちらでも
お伝えした通り

悲しい現実の中で
今ここで

安易に教員の質を
落とすようなことが
あってはならない

とも感じます。

そして、現在日本では
多種多様な言語を用いる
また、様々な背景をもって
外国から来ている子どもたち
年々すごい勢いで増えています

それぞれがもつDNAごとに
見た目が日本人と異なることは
言うまでもありませんが

日本語がよく分からない
発達時期的に母国語が何かが
はっきとしない子どもたちに
どうやって学習を定着させていけばよいかも

特にここ首都東京では、ある意味で
深刻な状況になりつつあると言っても
過言ではないと感じます。

こうしたことからも
広い視野で俯瞰して見つつ
深い洞察をもって
早急に日本の公教育を
今の子どもたちに合った形に
変革していく必要がある

子どもたちを
取り巻く状況は
刻一刻と変化している。
のんびりとしてはいられない。

わたしはそう感じます。

こうしたことを我々大人がしっかりと捉え
必要に応じて新たに学び直し
それを踏まえて
子どもたちに適切に伝えた上で
日々の授業を行っていれば

つまり

『本物の特別支援教育』を
行っていれば
本来いじめなど
おこるはずがないと
わたしは考えます。

『本物の特別支援教育』
『本来のインクルーシブ教育』は
障がいをもつ子にも、不登校の子にも
不適応の子にも、病弱な子にも
ありとあらゆる全ての子どもに優しい
教育なのです。


小林様から
このようなコメントもいただきました。

今月まさに学んでいるトピックがUniversal Design for Learning (UDL) と言う考え方でして、全ての生徒のニーズを満たすために、授業を構成すると言うアプローチです。

小林ゆうき様のコメントより 一部抜粋

素晴らしい考え方、素晴らしい研究です!!!

そこには障がいをもつ人も
一見障害が無いように見える人々も
全ての人に何ら違いはなく
○○さん(先生も含む)、○○くん、○○ちゃん
という人が存在するだけだという

しつこいようですが
先日のこの記事 ⇓

何度も恐縮ですが
わたしはここへ戻るのです。

小林様から更に ⇓

このようなお言葉もいただきました。

現在、アメリカの大学院を通してインターナショナル教育を学ぶ中で、多様性の中で学ぶことは、生徒の「寛容性」だけでなく、人との「違い」を問題、障壁、脅威と捉えない「受容性」も促進すると主張された論文を読み、ハッとしました。ここで語られている多様性とは、人種や文化の違いのみならず、知性や身体に関しても言われています。

小林ゆうき様のコメントより 一部抜粋

これまでわたしが述べてきた通りだと
まさに小林様がおっしゃられているとおりだと

わたしの言いたいことは
こちらのコメントに集約されていると
気付き
心から嬉しく感じました🍀

日本の公教育が
『本物の特別支援教育』
『本来のインクルーシブ教育』
になれば
子どもたちの未来だけでなく
大人たちの未来も変わる

いや、変わらざるを得なくなるのではないかと
そんな想いも抱かせていただきました。

小林様、ありがとうございました!!!


ここまでお付き合いくださった皆さま
本日も拙いわたしの文章をお読みいただき
本当に、本当にありがとうございました🍀

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