あなたの『表現のチューニング』は狂っていませんか? 【対話力 #13】
今回のテーマはいよいよ「フィードバック」である。これまで、このnoteでは対話力向上に必要な要素として
・傾聴力
・質問力
・理解力
・再構成力
・フィードバック力
の5つを挙げ、上の4つについてガッツリ、たっぷり語ってきた。そして、残る最後の項目が「フィードバック力」である。
ただ、フィードバックと一言で言っても、
「何をフィードバックするのか」
「どうフィードバックするのか」
という “what”と“how” の部分があって、ここでは主に後者の話をする。
何を伝えるのかではなく、どう伝えるのか
この要素にフォーカスしていく。
そしていきなり結論なのだが、対話におけるフィードバックでもっとも重要なのは
「表現のチューニング」
だと私は考えている。
もう一度言おう
「表現のチューニング」 だ!
大事なので2回言ったが、3回でも、4回でも、5回でも言いたくなるほど大切なところである。
たとえば、あなたにはこんな経験はないだろうか。
自分は真面目に仕事をしているだけなのに、
周りからは「不機嫌そう」と思われてしまう・・・
あるいは、
自分は真剣に話しているつもりなのに、
いつも、ちょっとふざけているように思われる・・・
きっと誰もが、多かれ少なかれ似たような経験しているだろう。
これこそまさに「印象のズレ」。
つまり「表現のチューニング」が合っていないのだ。
自分は「ド」の音を出しているつもりなのに、実際には音がフラットしていたり、もっと言えば「ミ」とか「ファ」の音が出てしまっている。
実際の対話の場面でも、相手に「少し厳しいことを言わなければならない」というようなとき、
ちょっとだけ「くだけた雰囲気」を演出しよう・・・
できるだけ優しい感じで、伝えたい・・・
なんて意識することがあるだろう。
意識としてはすばらしいが、肝心の「表現のチューニング」が合っていないと、意図通りの表現ができず、まったく違うニュアンスが相手に伝わってしまう。
結果として、著しく対話の質を下げてしまう。
そんなことはよくあるだろう。
それどころか「表現のチューニング」が狂っているばっかりに、誤解を生み、人間関係にもひびが入るなんてことがいたるところで起こっている。
そのくらい「表現のチューニング」とは重要な要素なのだ。
だからこそ、ギターの弦を調節するように、ピアノの調律をするように、私たちは「自分の音が狂っている」ことを認識し、それを調節しなければならない。
では、どうやって「表現のチューニング」を行うのか。
じつは、私はこれには「演劇的手法を使ったトレーニング」がとても有効だと考えている。
私はかつて演劇ユニットの主宰をしており、演劇ワークショップを何度となく開催してきたのだが、そのなかで「ゼロのウォーキング」という練習を行っていた。
「ゼロ」とは文字通り「何も表現しない」ということであり、
何も表現しないまま、稽古場の端から端まで歩くという練習。
一見単純で簡単な練習に思えるが、「ゼロ」というのは演者にとってもなかなかやっかいで、「ゼロ」のつもりで歩いていても、見ている人には
・なんとなく怒っているように見える・・・
・ちょっと急いでいる感じがする・・・
・なんか不安げ・・・
・微妙にうれしそう・・・
・緊張しているのかな・・・
・楽しそうな感じがこぼれちゃっている・・・
などさまざまな「ゼロ以外の要素」を感じさせてしまっている。
現実的には「完璧なゼロ」なんてものは存在せず、見る人が10人いれば、微妙な印象の差異が生じ、「ゼロ以外の何か」が伝わってしまうもの。
ただし、ここでもっとも重要なのは、
自分が「ゼロのつもり」でやっている表現が、
どんな印象(「ちょっと怒っている」「微妙に嬉しそう」など)を与えているか。
その「ズレ」を知ることである。
「表現のズレ」を自覚し、自分なりに「表現のチューニング」を行う。
このトレーニングは、対話者はもちろん、リーダー、マネジャー、経営者、カウンセラー、ファシリテーター、教師、コンサルタントなど、あらゆる人が実施したほうがいいと私は本気で思っている。
鳴らしたい音が鳴っていないなら、それは楽器として成り立たない。
すなわち、それは「コミュニケーションが成り立たない」のと限りなく同じなのだ。
自分が何気なく行っている「表現」が、
どんな印象を相手に与えているのか。
まずは、それを知らなければならない。
その上で「表現のチューニング」をして、
自分が表現している「○○のつもり」と、
相手が感じ取っている「印象」や「ニュアンス」とのズレを、
少しずつでも調整していくことが必要だ。
あなたは対話者として、
あるいは、カウンセラーとして、リーダーとして、コーチとして、上司として、ファシリテーターとして、コンサルタントとして、そして親として、友人として
「表現のチューニング」は合っているだろうか。
正しく調整された楽器として、心地よい音楽を奏でているだろうか。
もちろん私だって「チューニングのズレ」を感じることはしょっちゅうある。
しかし「表現のチューニング」という意識や概念と、
その調整方法を知っていれば、
「正しい音が鳴っていないこと」に気づき、少しずつでも表現の精度は高めていくことができる。
そうやって「表現のチューニング」合わせるだけでも、
「対話の質」ひいては「人間関係の質」は確実に向上すると私は感じている。
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