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僕が立ち直るまで その2 愛着障害を知った

前回に引き続き、立ち直った経緯を書こうと思う。
僕自身の整理にもなるし。

岡田尊司先生の「生きるのが面倒な人」を読んで、回避性パーソナリティー障害のことを知った。
その本の中に書いてあったこと。
それが愛着障害だった。

僕はその専門家でもないし、カウンセラーを目指しているわけでもない。
本を書くわけでもない。
ただ、自分がとても困っていたので、どうにか解決したいという一心で、本を探し、この言葉に行き着いた。

今考えると、現在があるのは落ち込んだおかげだと思うし、その時に出会った本のおかげだと思う。


愛着障害という言葉は本を読んで初めて聞いた。
愛着障害とは、
「親や養育者と子供の間に、愛情の癒着が形成されずに、情緒面や対人関係に問題が生じてしまうこと」とのこと。
5歳とかそれぐらいまでの影響が大きいとのこと。

僕は幼少期のことなんて、全然覚えていないからどうなんだろうと思っていた。
一つ理由があるとすれば、僕の両親は実の親ではない。
結婚する時(28歳)に戸籍謄本を取るのだが、その際に伝えられた。
実の母親は、今までおばさんと呼んでいた、父親の妹。
実の父親は、あったことも見たこともない。
離婚したそうだ。

それで、僕の両親に子供ができなかったのもあって、僕は7ヶ月で今の家に引き取られた。これが、愛着障害に当たるのかは定かではないが、母親が変わったことは確かだ。

また、愛着障害の要因も色々あるみたいで、もう少し広義に考えると、以下のような場合になりやすいようだ。(他にもあると思う)

・両親間の不和
・母親の不安定な愛着
・過保護の時期と、その後の関心低下
・養育者の交代や喪失

僕は、特に両親間の不和が大きい。
実は母親がうつ病だ。
今も薬を飲んでいて、心療内科に通っている。
当時は、母親に躁うつの症状が出て、落ち込んだ時に父親が怒鳴ってた。
そんな光景をよく見ていたもんだから、僕はいつもビクビクしていたように思う。
その不和の原因は父親だと思う。

父親は、自分が一番正しいと思っている。
とにかく、自分のいうように行動しないとキレる。
食事中も、よく大きな声を出していたし、僕の生活態度に対して文句を言うのは日常茶飯事。
例えば、
朝、顔を洗ってないだけで、怒る。
朝、起きてこないと怒る。
日曜のアニメを見ているだけで、馬鹿にする。(子供が見るもんだと)
高校の頃は友達の付き合いに口を出された。(あいつとは遊ぶな)



とにかく、コントロールしているような感じ。
こんなに怒るなんて、僕は本当にこの親の子供なんだろうか?
僕は不要なんじゃないか?
そんな風に思うことも多かった。

そして、父親は僕を褒めたことはなかった。今もない。
何をやっても、
「他の子はもっとすごいぞ。」「まだまだだ」
ずっとこの調子。
それに、褒めないどころか、下げてくる。

親戚などの集まり・知り合いの集まりなど・・・
いろんな集まりで、僕は話のネタにされ、
「積極性がない」「引っ込み思案」「成績はよくない」
など、散々言われてきた。
だから僕は親戚との付き合いが嫌いになった。

そんな父親がいたからか、僕は親の顔色を伺うようになり、絶対怒られないように、怒られないように、生きていたと思う。
当たり障りない会話で、家族で食事していても全く面白くなかった。

自分の考えを言うと否定されるので、自分のことを肯定できなかった。

何事も、親が決めて、先回りしてしまうので自分で決めれなくなっていった。


その結果僕は以下のような人間になったと思う。
・自分で決めれない
・どうすればいいかわからないから、人の意見に安易に乗っかる
・自分の価値は、人からの評価でしかない
・正解は父親に怒られない選択と考えるようになった
・言いたいことを言えない
・何事も人に合わせる
・認められたい、褒められたい
・否定されたくない
・人と仲良くしたいけど、そんなに深くは仲良くなりたくない、鬱陶しくなる
・チャレンジできない=失敗したくない
・妻より親の肩を持つ

日常ではいろんなことが決めれなかった。
Tシャツ買うのにも、サイズを考えて、ずっと悩んで決めれない。
靴下買うのも1時間かかったことがある。結局何も買わなかった・・・
妻との喧嘩では、嫌われるのが嫌だから、言いたいこと言わずに、後になって
思っていたことを言うから、さらに喧嘩になる。

ちなみに、奥さんとうちの両親との関係があまりよくない。
昔、僕が常に親の言うことを聞いてしまい、肩を持っているからだ。
妻的には、自分たちも一つの家庭なのに、なぜ親の許可がいるかが理解できない。
今となってはその通りだと思う。
けど、当時は親の言うことを聞かなければと言う気持ちが僕をそうさせていた。

両者の言い分を聞いているような状態で、どう思うかがなく、両者がうまくいくことが僕の意見になっていた。
とにかく、喧嘩は避けていたな。
反抗期もなかったし。
反抗期って、親の意見に反対するわけだから、自分の考えを持つ必要がある。
つまり、これが自立の始まりじゃないかと思う。
僕はなかったから、今になって反抗期www


仕事では日常より多大な影響がある。
自分で決めれないと言うのは致命的だ。
特にトラブルや、判断を迫られる時。
どっちかを捨てなけりゃいけない状況の時。
こんな状況の時には本当に悩む。
ずっと決断できずに、上司や同僚の意見を聞いて、それにしたがってしまう。
これじゃあ、自立できているとは言えない。
到底人の上に立って、先頭切って人を導いていくことなんてできない。
自立できなければ、ずっと、一営業としてそれなりに生きていくしかないだろう。
助けてくれる存在や、決断してくれる人がいないとやっていけないだろう。


話を戻すが、これが愛着の問題と思えたのが、僕にとって良かった点だ。
それまではそんなこと知らないから、僕ができないだけと思っていた。
しかし、
「僕ができないわけではなく、幼少期や成長や親の関わりに理由がある」
「うまく家庭が機能していなかったことに理由がある」

そう思えただけで、自分は悪くないんだ、自分のせいじゃないんだって思えた。
これを克服すれば、人生が生きづらくなくなるとも思えた。

これは大きな前進だった。

刷り込まれてきたので当たり前だと思っていたが、そうではないと気づいたのだ。

そこから僕は愛着のことを調べていくことになる。

そして、アダルトチルドレンと言う言葉を知る。

続きはまた。







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