関東モノレールの旅、第1回「多摩モノレール」後半です。
こんにちわ! 関東のモノレールとその周辺を紹介いたします。
前回は多摩モノレールの前半ということで、「多摩センター」駅から乗り、日野市の程久保と高幡不動を紹介しました!
けど、最大のスポット「多摩動物公園」駅について紹介出来てません。
子連れ、カップル連れ、そんなキャピキャピしたディズニーランドさながらの夢の宝箱のような場所。
そんなところに、陰キャでその辺ブンブン飛んでいる羽虫であり道端にこびりつき干からびたカマキリの如き、つまりは中年妖怪チビデブハゲの僕が乱入しパシャパシャ撮影するのは憚れます。
ああ、けど、東京モノレール、上野動物公園とディズニーリゾートラインというラスボスがいますね。この企画を考えた以来、ずっと頭抱えているところです。
まあ、最悪「参考資料」として載せますのでそのあたりは御勘弁ください…
あと、グルメネタはほとんどありません。地形と歴史要素ばかりです。
グルメを求めている人は、京王線高幡不動駅で食べられる山形県天童でつくられた「鳥中華」をお楽しみください。
さあ、多摩地区最大のターミナル駅「立川」駅に向かいましょう!
合言葉は、「立川市はハンマーヘッドシャーク」!!
北立川と南立川
モノレールで日野市の程久保~高幡不動~万願寺の駅を抜けますと、多摩川を越えます。すると立川市へようこそ、まずは柴崎体育館駅から立川市の駅が皆様をお出迎えです。
柴崎体育館駅周辺を降りたら、歩くとすぐに多摩川河川敷です。
遊歩道を歩きながら立川公園に向かう途中にグラウンドやテニスコートもあります。
あまり歩くと、すぐにあたかも日本国が作った都市名のような国立市(国分寺市と立川市の間という意味)に入りますが、この辺りで立川市に戻りましょう。
念のため、多摩モノレールに立川駅はありません。多摩地区最大の乗降者数である立川駅はJR中央線で、多摩モノレール駅はすぐ近くの2つの駅。まず「立川南」駅は、JR立川駅の南口。続き「立川北」駅は、同北口に面してますが、まず1つ目の目的地は立川北駅が最寄りのあのスポットです。
昭和記念公園です。
昭和天皇記念館では昭和天皇の御遺品や資料などが展示されており、なぜここに昭和天皇の記念館があるのかがよくわかりませんが、この地が実は立川市繁栄のきっかけになった場所なのです。
その謎はあとで紹介するとして。僕が最も尊敬する歴史の偉人である昭和天皇、1度来たことはあるのですが、この記事を描くにあたって、改めて学び直しをしたいと思い訪問しました。
さあ、こちらです!!
はい、すいませんでした!! 明日まで臨時休館日のようです。
代わりに入口に掲示されていたパンフレットをお見せします。
さて。どうしたものか。
立川市で最も見せたいところが、見られません。ということで、
完
いや、もちろん、これで終了なわけないですね。安心してください、|穿《は》いてますよメインスポットはこちらです。
立川歴史民俗資料館へ。
ここで立川市の歴史をおおまかに確認します。
そうです、僕の趣味です。
いや、面倒くさいでしょうね。わざわざnoteで刺激とか楽しみを求めている人にとって、お勉強の時間とか。前述のとおり、僕は立川市の歴史を見てみたく。
ただ、ぜひ読んでいただいてくれている皆様に、立川という場所の「土地の面白さ」を感じてほしいのです。
なので、観光名所とか娯楽施設やグルメに興味がある人は、別の方の記事を
本当に大雑把に。薄く浅く、ほんの少しだけですが。
立川の町とそれを一望できる多摩モノレールの魅力が伝われば、と思うのです。
立川市からも出てますが、昭和記念公園を突っ切って最寄りのバス停を目指します。ただ、「曙町一丁目」バス停が僕はどうしても見つからず、「富士見町二丁目」にて乗れました。「西郷地」バス停から歩いて15~20分くらいでしょうか。
大きな坂を下ったあたりで立川歴史民俗資料館がありました。
お見せしたいのは、この周辺の景色ですね!
何が見えるでしょうか。
行ってみるとすぐわかるのですが、ここはちょっとした崖になってまして。
立川歴史民俗資料館は、この崖こと「立川崖線」を背中にして麓に立っています。
僕は、GoogleMapを使い最短距離の抜け道の急坂を下っていきましたが、車道はつづら折りの道で、そこから見える多摩川低地の景色も良きものです。
多摩モノレールではあっという間に多摩川を越え、柴崎体育館を素通りして立川南と立川北で「繁華街・立川」を感じるのでしょうが、神奈川側と東京側を大きく二分する「多摩川低地と立川崖線」をふと感じてみてはいかがでしょうか。「自分は多摩を縦断している!」と思えるでしょう。
…え? あ、はい。地味ですね。
いや、これで終わりじゃありませんがな。もう少しお付き合いくださいまし。きっとスゴイものが見れると思いますよ! きっと多分おそらくは…!
立川歴史民俗資料館の展示品により、立川の歴史をダイジェストで見ていきます。
まず、遠い遠い昔。実はここまで海だったようだが、縄文時代あたりでこの辺りの地形も完成されていく。
①原始時代は多摩川沿いに遺跡があり、人々が多摩川で漁労、そして山の方で狩りをして生活し、特に崖線の湧水を利用していたことも推測できる。
この辺りに、立川市が無かったころの柴崎村ができる。
やがて、律令制を経て、武士の時代。
②武蔵武士団で多摩を支配していた西党(武蔵国府こと府中の西にあった)の一派、立川氏がこの辺りで勢力を持つが、戦国の乱世で滅亡。あとは北条氏や豊臣氏や徳川氏がペロリたいらげる。立川という語源は、この一族の名、または「府中から見て多摩川が縦(北)から曲がって(東へ)流れる」からつけられたとか。
③徳川の江戸時代になると、玉川上水を引く一方で周辺の新田開発が進む。
すると五日市街道沿いにある砂川村が発展。立川で農業が発展していきます!
ちなみに、このような短冊状の田畑や住宅は街道沿いなどに多く見られるようで。以前、埼玉を記したときの三富新田とかも思い出される。
この地域は、こういう形状の田畑となっているのが、以前見学した羽村市の玉川上水の源流と郷土資料館でも見られた。
まあ何が言いたいかというと、この辺りは生活に必要な麦や野菜などを作っていただけでなく。江戸~東京に売るための近郊農村地帯として発展。
とりわけ、武蔵野台地は火山灰地ですので、根深く地面の下まで伸びていく根菜類が多かったようで。
立川は、ウドが現在でも有名です。僕はウドも大好きなのですが、立川周辺に姪っ子が住んでるのですが、ごちそうになったとき感動しました。
まあ、以上は歴史を鑑みて、多摩モノレールでそんな妄想をしてしまう僕のマニアックな世界で。
皆様は、「あ~、立川はウドがおいしいのねぇ…?」ぐらいですね。
そんなあなたに、これも妄想してみましょう。
さきほど、この辺りは数100万年前は海だったって話をしました。
なんと、この辺にクジラが泳いでいたようです。
隣の昭島市郷土資料室より。アキシマクジラが最近4歳の子と親によって160万年前の地層で発見されました。あと、この資料室にも、この辺の資料館(入間市や狭山市など)にもありますが、この辺りはアケボノゾウの生息地。
て、そんな歴史的妄想はどうでもいいのでしょうかね。
いえいえ。ここからが、多摩地区最大の乗降者数を持つ立川駅とその周辺の根本と、それを素通りする多摩モノレールのすごさの話になります!!
実は、立川には飛行場があり、この立川飛行場から立川市が発展。そしてその施設跡が現在の立川のランドマークにもなっている。
それを多摩モノレールは一気に見下ろしながら通ることができます。すごいでしょ!
立川飛行場
話を整理すると、立川は江戸時代まであくまで寒村で、柴崎村と江戸時代に五日市街道と玉川上水沿いに発達した砂川村がある程度、あとは雑木林。
しかし、明治時代に甲武鉄道(甲斐と武蔵をつなごう!)が作られる。
まずは新宿~立川間、そして立川~八王子(甲斐と武蔵をつなぐ江戸時代までの要所で生糸を横浜につなぐ中継地)に延伸。
これにより柴崎村周辺も改名し「立川」となる。
ここから「進撃の立川」物語が始まる。なんといっても大正時代に「立川飛行場」が建設されたこと。これにより軍需産業でこの周辺が発達。
太平洋戦争では立川はそのため空襲の対象となり、さらに戦後は米軍に基地を占領され、裁判史上に残る事件「砂川闘争」などが発生します。
しかし、それもあり、立川の米軍は、となりの福生にある横田基地に接収。立川飛行場は一部が陸上自衛隊の駐屯地となり、それ以外は立川のメインスポットとなりました。
立川メインスポット、立川飛行場あとに沿って~高松駅、立飛駅
さて突然ですが、ここまで立川を見ていくうえで重要なキーワードのおさらい問題。多摩モノレールには「立飛」という変わった名前の駅があります。どう読むか、どういう意味なのかわかりますでしょうか。
または「立川立飛」とも言います。そう、立川飛行場を略して「立飛」ですね。
そういえば、ある国の名前に似てますね。
タヒチです。
ひょっとして立川に、タヒチがある??
実はあります。その名も「タチヒ・ビーチ」! 人工のビーチですが、多摩にもビーチがあったのですね。
…さきほど言ったように、僕はビーチだと焦げて消滅してしまう陰キャなのでタチヒビーチには寄りません。せめて外観だけでも、ですが。
しかも陰キャらしく夕暮れに乗ったため、
これをタチヒビーチだと思い込んでいるぐらいです。あれ、たぶんこれダヨネ?
あ、gdgd感出てきそうな、不穏な空気を感じてますね。
安心してください 穿いてますから、もとい、この周辺のオススメスポットを1つくらいはちゃんと描いていきます!
この高松(立川市高松町は松が多く生えていたためこの地名に)~立飛のあたりは北の立飛から、立川市役所(すぐそばに拘置所もあるのですが!?目の前にタチヒビーチ)、自治大学、立川警察に陸上自衛隊駐屯地、そして検察長立川支部とIKEA(家具店)立川が昭和記念公園の北に隣接しています。
まさに立川駅前の商業中心地につながる立川行政の中心地。
その市役所と自治大学の間に、「国立極地研究所(極地研)」があります。
南極北極の科学館があり、北極南極に興味がある人の聖地であります。
車窓はもう真っ暗で閉館ですが、別日にちゃんと見学済みですので、お届けしましょう!!
僕がなぜ極地研に寄ったかは、このアニメの聖地だからです。
「宇宙よりも遠い場所」こと「よりもい」。
彼女たちの出身地である群馬県館林市は聖地巡礼記事を描きましたが、さすがに彼女たちの目的地の南極の聖地巡礼はできませんので…
北極南極に行った気に「無料で」なれますので、ぜひ。
終点「上北台」駅へ。
さあ、そろそろ締めくくります。昭和記念公園は残念でしたが、立川で北極南極を感じることができそうでしょうか。
旅も最後、終点の「上北台」駅を目指しましょう!
この多摩モノレール、実は延伸計画がありまして。終点の上北台駅から、鉄道不毛地帯の武蔵村山を通過し、多摩湖・狭山湖のふもとを横切り、八高線箱根ヶ崎駅までつなぐという。その様子も見ていこうと思いました!
さあ、終点の上北台駅です。
どんな景色が見られるでしょうか。
う~ん、パッとしませんね。
乗客は2つ手前の「玉川上水」駅で一気に降りていきます。
西武拝島線(西武新宿線)との乗換駅だからです。
そりゃ、ここからの乗り継ぎはありませんので、ほぼ地域住民しか降りる人はいませんね。
けど割と結構、駅回りは店も多く。コープやベルクなどのスーパーもあり、僕も玉川上水から乗り換えるつもりでしたが、上北台の最果てをお届けするのと、延伸がどう進んでいるのか見るつもりできました。
あとベルクでご飯を買いに。
僕は何事も、お尻が大好きです。
変な意味じゃなくて、先ほどのアキシマクジラもお尻から撮影しますし、電車の終着駅もお尻を撮りたくなります。
人のお尻を見たりすると逮捕されるかもしれませんからできませんので。
いや、そんなことはどうでもよく、ここがお尻ということは、「延伸計画」がまったく進んでないと!?
調べました。そしたら、
「開業未定」、小池百合子東京都知事も「(う~ん?)2030年頃」(答弁)でした。
ええ、「絵に描いた餅」じゃん??
(こいつ… 豊洲移転でゴタゴタし都の財政を傾かせ、通勤ラッシュゼロも花粉症ゼロなどマニフェストのはずの「ゼロ政策」も有耶無耶にし。
ダメ政策だけで何の功績も絵に描いた餅RY)
ということで、なんやかんや、すいません。gdgdなまま終わりになりそうです。
上北台編、以上にて終了します。
推し進めているスポットが狭山湖ですが、2年前にダムを調べたときに周辺を歩き撮影した狭山湖です。
上北台から徒歩30分くらいで、もはや「多摩モノレールの近所の話」になりますが、ぜひお越しいただき、「もともとダムができる前は村があったのだ」ということをしのんでみてください。
余韻
上北台、北へ。狭山湖と多摩湖です。
ダムの景色も狭山丘陵の景色も良きところですが、ダムの底にからもロマンが感じられそうです。
狭山湖が見えると、もうここは埼玉県の所沢市です。
もはや多摩モノレールはどこいった?って話ですが、徒歩30分歩いてこういうところとつながるのも良いのではないでしょうか。
以上、多摩モノレールは始発の多摩センター駅にて京王線・小田急線、中心地の北立川と南立川の両駅にて中央線や青梅線、玉川上水駅にて西武拝島線と西武新宿線にもアクセスできます。
気合と根性で30分、狭山丘陵と多摩湖・狭山湖を越えると、西武狭山線と西武池袋線、西武山口線と西武多摩湖線(to国分寺)にも。
ぜひ、多摩モノレールで空から多摩縦断、「丘陵切り開く多摩ニュータウンぶり」と「立川の繁栄と狭山丘陵方面の長閑な景色」を楽しんでいただければと。
次は、あのモノレールです!
(その前に京浜工業地帯に、国府国分寺も描きますのでしばらくお待ちください!)
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