井上ひさしと多和田葉子の作家性も実は似ている気がする。どちらも日本語(標準語)ではない別の言語(方言)を求め続け、日本語の拡張に努めてきたのではないかと思う。井上ひさしはその意識が方言に向かった一方で、多和田葉子の場合はその意識が外国語に向かったのではないか。これも記事にしたい。

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