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日本のバレーボールを変えるのは「アンダーカテゴリ」が鍵

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日本のバレーボールが世界の中で再び輝くとき。代表チームがメダルを獲る、国内リーグが世界レベルをけん引する。そうなるためには、トップカテゴリの育成強化任せではなく、最も重要なのは小…
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2021年3月の記事一覧

メンタルで勝とうとするから、メンタルで負ける

選手たちがよく言う、「メンタル」の強化ということです。 メンタルを強くする、心を強くする、精神力を強くする。 これって、何なんでしょう?ということです。 練習でお邪魔しミーティングをした際も、選手たちに他に課題は?的な話題をした時も「メンタルを強くしたい」みたいな声がありました。 自分もこれについては、何かを証明したこともないし、実績を根拠にした説得力はないのですが、最近よく考えています。 そもそも「メンタル」ってどこにあるのか?それは、「メンタル」というもの自体が、強いも

「脱ジブンタチノバレー」のはずが・・・それでも型にはめたい?

「戦い方」とか「勝利の原則」とかって何でしょうか? 私たちは、よりよい方法や過程を求め、考えます。 それしかやらない、それしかできないというのが、 「ジブンタチノバレー」と称される、 型はめ遂行タイプ、練習再生タイプのプレーです。 これではいけなくて、 思考力を発揮し、相手に柔軟な対応力を持って、 選択肢を広げた中で、最善をチョイスできる判断力で、相手を上回り翻弄する・・・ これをバレーボールのゲームで目指そうというわけです。 情報の拡散が思考力を奪う?しかし、 ファースト

なぜ「声を出せ!」と言いたくなるのか?

よくバレーボールの指導者は、「声を出せ!」というフレーズが好きなよう?です。 やたら言いたがります。しかも怒鳴り気味で言うことが多いです。 でも、なぜ「声を出す」ことが必要で大事なのか、声が出る状況にするためにどんな工夫があるか、声はなんでそれほど重要なのかわかりやすく説明できるか、そういったことをしっかり言える人は少ないようで、とにかく「声を出せ」!となります。 一方、言われた方は、何をどのように声にして発せば良いかわからないので、 (仕方なく)とりあえずの声を出すように

なぜ「考えろ」って言いたくなるのか?

今回関わった4か月のチーム作りにおいては、中学生たちが、限られた時間の中においてでも できることがあることがわかったという成果があります。 クローズドスキルのリピテーションからの脱却練習では、いわゆる「基本の反復」の練習に時間を割くことはありませんでした。 なかったというよりは、選手たちに戦術的な思考や知識を身につけてもらいたいことから、その「考え方」を確認するような練習をする必要があり、こんこんとクローズドスキルを反復練習する余裕が生み出せませんでした。 しかし、大会を終

継ぎ接ぎ練習だけではいけない

「スキルチェーン」と言われていますが、 バレーボールでは、 サーブ ↓ レセプション ↓ セット ↓ スパイク(アタック) ↓ ブロック ↓ ディグ ↓ セット ↓ スパイク(アタック) ↓ ・・・・ と各プレー、スキルの連続でゲームが展開されていきます。 この「スキルチェーン」を視点にベースにした練習が、これからはいわゆる「練習」とか「メニュー」とか「ドリル」というものが、該当するようにするべきだと思います。 または、スキルチェーンにおける、 1つ2つ「前」や1つ2つ

練習に関する一考察

近年は書店にならぶ書籍にもちょっと気になる内容が書かれたものも多く見受けられますが、論文を読むのも勉強になると思います。 指導現場に立つと、なかなか統計学的な実践データの蓄積や、群をわけての比較や考察をする余地は与えられません。だから、こういった研究や論文は、大いに活用すべきだと思います。 私は、数年前から 「やり過ぎスモールステップ」的な練習に疑問を持ち始めました。 それは、文献を読む前のときからです。 スモールステップへの過信は、時間をかけることによる、結果的な時間の限

目指す方向性と「練習のための練習」(コンテスト練習・セレモニー練習)

「無知の知」とか「暗黙知」というものと、子どもたちの実態についてが気になってしょうがない日々です。 さて、練習にはいろんな考え方があるのだと思います。 例えば、「できるようになるまで」 とか 「徹底して」 という考え方です。 オーバーパスができるようになるまでは、徹底して、練習を行う。 などといった考え方です。 逆に別のアプローチとしては、「習うより慣れよ」的な考え方。 とにかく反復練習や変化のある繰り返し、または様々な結合練習やラリー形式の練習によって、個々のスキルの会

「ハウツー」の実行だけでは絶対そうならない

練習や指導の在り方については、「何をやるか」というハウツー的な話題より、「どう考えていくか」というものへの話題が、情報としては、焦点化されていくことは、バレーボールの現状ではみんなで考えていくべきだと思います。 例えば、こんな話題はどうでしょうか?・・・ 「オーバーハンドパスの練習」というテーマだとすると、 その練習やドリルの「メニュー」とか「やり方」ではなくて、どのように練習の視点を持つか?とか、 どのようなポイントで「練習を構成」できるのか、ただ形づくられたものを提示し

やる気がないわけではない、負けたいと思ってやる人などいない

「スポ根」からの脱却をはかる自分の指導観や、中学生へのアプローチは、近年大きく変容したと思っていますが、改めて、こうしてチームを預かる立場で中学生を見ていると、やはりまだまだ「自分自身へのストレス」とどう向き合うかというのが難しいなと感じます。 それはやはり「大会」という「リミット」が迫ることへの焦燥感が絶対あるのだろうと思います。 そのあたりがまだまだ自分には未熟な点です。 他方で、やはり中学生ともなると、彼らの「メンタリティ」というのはとても難しいと感じています。 昔か

セッターの育成って・・・

セッターって、大事ですよね? とても大事なんです。 そして、「心技体考」・・・どれも要求されます。 ディグやレセプションが多少乱れても、セッターが修正してくれれば攻撃は達成されます。 スパイカーが思い思いに助走をしても、セッターが合わせてくれることで、攻撃の持ち味が発揮されます。 セッターが相手ブロックとのかけひきで有利に立てば、スパイクは安心して打てます。 とても重要なポジションです。 今日ちょっと話題にしたいのは、セッターを育成するために、どの程度の時間や経験を要し、セ

ミスありき、されどミスの差によって

「ミス」に対する考え方やとらえ方を変えるだけで、チーム作りや選手へのアプローチ、戦術の構築は変わってきます。 明らかなのは、「ミス」に対するハードルを上げる・・・ Aパスでなければならない、つねに低い返球でなければならない・・・ となれば、精神的なプレッシャーも大きくなり、難しい局面になればなるほど、ミスを生みます。 カテゴリが下げれば下がるほど、スキルのレベルは未成熟となります。 経験値も浅いので、ゲームに対する不安や自身の無さも目立ちます。そうなると、眼の前で繰り広げ

その指導、本当にそうですか?と思うこと

バレーボールのコーチ・・・特に中学生の指導に携わってきました。それだけでなく、おかげさまで、小学生、高校生、大学生・・・いろんなカテゴリの指導者の方々と、交流させてもらう機会がありました。 指導の考え方や、方法などには、意見が分かれるものもたくさんあり、そういったものは、一方が一方の考えを批判とか否定するのではなく、それぞれが、思うようにやってみればいいのだと思います。 ある程度長期間の運動の積み重ねによって、その議論の問題は、大した問題ではないことも多いように感じます。ただ

子どもたちへの練習アプローチ

何のための練習かが明確で理解が共有されているか?練習やプレーをやらせるとき、「A か B か」 などの二者択一的な発想や、「型」のはめ方の度合いによって、練習効果には大きな差が出ると思います。 身近な例を挙げるとすれば、 ◇「パス練習」   特に、バレー経験や運動経験の少ない子にとっては、 ボールが飛ばない、コントロールできないというのは、本人にとっても、外から見ていてもストレスに感じるものです。ですから、まずは   ・高さを出せるようにする、   ・反則を取られないハンド

型にはめるより修正。カタチはできあがっていくもの。

ゲームセンス、ゲームシチュエーションの練習で例えば、4人対4人でのそれぞれ4―4のシステムで 全員がすべての役割をやるよう、ローテのルールを相談してゲームをやるとします。 あと条件をつけたのは、フロント2、バック2、ブロックを跳ぶとしたらフロントのライト側の1枚、 という条件です。誰が何をするかとか、フォームや構えをどうしろとか、時間内ではほとんど指摘しません。しかし、頑張ったプレーや、想像力ある工夫には、必ず即座に「今のイイネ」と返します。 ベーシックに手取り足取り、細か