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子どもたちへの練習アプローチ

何のための練習かが明確で理解が共有されているか?

練習やプレーをやらせるとき、「A か B か」 などの二者択一的な発想や、「型」のはめ方の度合いによって、練習効果には大きな差が出ると思います。
身近な例を挙げるとすれば、

◇「パス練習」 
 特に、バレー経験や運動経験の少ない子にとっては、 ボールが飛ばない、コントロールできないというのは、本人にとっても、外から見ていてもストレスに感じるものです。ですから、まずは
  ・高さを出せるようにする、
  ・反則を取られないハンドリングを身につける、
  ・位置を制御できる、
 という個人練習や反復練習を重ねる必要がありますが、それだけでは、練習のための練習になってしまいます。
  
 「セッターにパスをする」 
  セッターの位置を確認したり、
  セットアップの間合いをとってやる、
  攻撃のテンポを意識して呼吸を生み出す・・・
 パスの練習のその先には、そういったものも考えなければなりません。

◇ 「セッターのセット」(トス)
 セッター個人の練習に焦点を絞ると、ボールを飛ばす、狙った位置にボールを出せる・・・
 という視点の練習になるけれども、トスは、次のアタッカーのスパイクを生み出すもの
 であると考えれば、 必然的に、個々のスパイカーに「合わせる」、「生かす」
 という練習が必要
になってきます。
  
◇ 「声を出す練習」
 確かにやっている人間も、外で見ている人間も、 きっと活気があった方が、やる気も出るでしょうし、 闘争心とか高揚感も増すのだと思います。
 ただ、声を出すことが目的の練習をやるよりも、 声を出す必要性、必然性を感じる練習をした方がいいのだと思います。
 ただでさえ、コミュニケーション能力や自己表現が不足気味な子どもが増えている中で、頭ごなしに機械的な声を出させても、そこから意志の伝達や、モチベーションの伝播は起こらないと思います。
 しかし、そもそも、腹から声を出すとか、人前で言葉を発すること自体に不慣れな子もいることを考えると、どうしても最初は、何らかの初歩的な段階もいるかもしれません。その際は、声を出す必要性や意義などを丁寧にレクチャー(判断・指示・確認・意志表示・激励・・・)することも大事なのだろうと思います。

◇ 「テンポと攻撃」
 セッター側だけの視点では足りません。 スパイカー側だけの視点でも足りません。
 相手ブロッカーとしての視点も必要です。


◇ 「スパイク練習」のデモンストレーション化
 相手ブロッカーを立たせず、ノーブロック状態で、 練習では気持ちよく真下にスパイクを叩きつけておきながら、いざ試合になって、2枚ないし3枚ブロックにつかれると、ことごとく打てなくなる選手がたまにいます。
 それでは練習の意味がなくなってしまいます。
 クイックや複雑なコンビネーションもいいのですが、そもそもタイミングが合って、スパイクを打っても、そこに破壊力というか打ち切る力が伴っていなければ、意味がないわけです。

練習を意図的かつ効果的にデザインする構成力

とにかく練習やプレーを考えるときは、マクロな視点とミクロな視点を、シフトチェンジする作業が重要だと思っています。
マクロからミクロへ移行した時に、気づく修正もあれば、
ミクロからマクロへ移行した時に、気づく修正点もあります。

個のプレーだけでなく、次の人間や相手を想定することで、見える修正点も出てくると思います。
よく練習の形態としては、
全習法 ⇔ 分習法
全体練習 ⇔ 部分練習
個人練習 ⇔ 複数人練習
結合練習 / 複合練習
スキル系統による練習配列

などいろいろな組み合わせがありますが、ともすると、チーム内では一斉的な練習で終始しがちです。
それ自体、悪くはないと思いますが、時によっては、そういった固定観念から脱すると、新たな発見や、以外と練習効率が上がったりすると思います。

例えば、ある一人は、
ブロック待機から下がり、オフブロッカーの動きからディグ。
指導者は、そこにボールを打ちます。
続けて、指導者は別の選手にトスを上げます。
もう一人は、逆側のサイドにブロック待機し、
ディグされたのち、スパイク準備を行い、
上げられたトスを打ちます。
それを交互に繰り返します。

スパイク練習でも、2人ないし3人のグループが、
セッターとしてのトスと、スパイクと、フォローとの役割を、
入れ替わりながら練習をしていくと、
試合のなかの動き、運動の切り替え、そして運動負荷をかけられるなど、
画一的な練習より効果が見える場合もありそうです。

ディグは一斉にディグ練習、
スパイクは一斉にスパイク練習にとどまらず、個人の課題や、優先順位に応じたり、またはそれぞれを組み合わせ、総体としては、全員がまんべんなく練習経験を得られる工夫もあっていいのでは
と思います。
特に、能力が低く、少人数での環境では、いろいろ練習方法に気付かされることがあります。

練習に正解や必勝はないからこその試行錯誤を保障する

中学生などの時期は難しいのだと思います。
ただやらせておくだけでは、きっと習熟は遅いでしょうし、変な癖を持ってしまうかもしれません。

時どき、誰からも教わったわけでなく、ただ何となしにやっているだけで上手い人やチームを見ることがあります。
それは、きっと、自分たちでやって、そして上手くなるために、できるようになるための、モチベーションや、自分を見つめることがあるからだと思います。
だから、周囲ではしっかり真面目に練習していないじゃないかと見えても、そのチームや選手には、
「勝ちたい」「こんなプレーがしたい」「カッコいいプレーがしたい」という思いから、スキルがアップしていくのだと思います。

それも良し。
一方では、「人として成長するため」「感謝」「誰かのために」を掲げ、
ストイックとも言える状況の中で、己やチームを高めようとするのも、スキルアップの手段としてあり得ます。

または、
一つのスキルを行うのに・・・例えば、スパイクを打たせたいという時に、
スイングを身につける、助走を身につける・・・などがあって、それを行うまでの段階を一つひとつをクリアしていく、階段を上るような練習をしようという考え方と、

まずは下手でもいいから、スパイクを打たせる。
いくらぎこちなくても、空振りをしても、やらせてみる。そうする中で、タイミング良くアドバイスを入れたり、焦点化された練習を入れてみる、フォームチェックや、見させる時間を与える。やらせる中に、練習を入れるという考え方もあります。

これらの手法には、
私は、どっちがいいかという議論に終わりはないと思うし、ここ最近の自分の経験では、そういう議論は疲れるだけだと思っています。
しかし、発達段階の違いにコミットする必要はあると思います。
小学生は、ゴールデンエイジですから、ひたすら身体に浸み込ませるような運動や練習ドリル、
そしていいものを見せるというのが大事になってきます。

高校生以上になって、筋力や骨格がある程度完成していくと、一つのスキルを段階を追ってクリアさせながら、スキルアップをさせていくのも有効だと思います。

その中間にある中学生は、どっちがいいとも言えないと思います。
いろんな立場の人から、いろんなことを言われますが、とにかくやらせる。下手でも何でもいいから。そして、その中で焦点化された練習や課題を設定する。ボール投げができるまでは、スパイクを打たせない、とか、パスができるまでは、ゲームはさせない、そんなこと言ったら、中学生はバレーボールをする前に、卒業してしまいます。

ただ有無を言わせず、ひたすら身体を動かし、ドリルをさせては、スキルアップは期待できるかもしれませんが、中学生あたりだったら、「思考停止」状態の選手を生むと思います。
ただ、理屈を伝えるだけでも、なかなか思うように身体は動きません。スモールステップのやりすぎでは、ますます身体がぎこちなくなります。動きやプレーに巧みさを持たせるためには、
中学生の場合は、「ほどよい」反復練習 と 「試行錯誤」の保障と「観察」、「ほどよい」フィードバック、そして、下手でも取り組ませる。
鳥瞰的な練習と虫瞰的な練習をスパイラルさせるイメージだと思います。
そして適宜、俯瞰させます。

まずはやってみる。できなくてもやってみる。
Practice makes perfect は、
『継続は力なり』とか『習うより慣れよ』
と言いますが、
「まずはやってみる」 と 「機が熟すまで待つ」
を上手く使い分けることが、特に中学生あたりでは賢明なようです。


(2012年)