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セッターの育成って・・・

セッターって、大事ですよね?
とても大事なんです。
そして、「心技体考」・・・どれも要求されます。
ディグやレセプションが多少乱れても、セッターが修正してくれれば攻撃は達成されます。
スパイカーが思い思いに助走をしても、セッターが合わせてくれることで、攻撃の持ち味が発揮されます。
セッターが相手ブロックとのかけひきで有利に立てば、スパイクは安心して打てます。
とても重要なポジションです。

今日ちょっと話題にしたいのは、セッターを育成するために、どの程度の時間や経験を要し、セッターとしてポジションを定めることのリミットはどこなのか?というお話です。

セッターって、
豊富な経験とそれに基づく技術と思考力、判断力って大事です。
ですから、いきなり「今日からセッターやって」と言われて、自由自在にチームになじんでセットアップができる選手はそうはいません。
バレーボールの「セット」(トス)で必須なオーバーハンドでのセットは、ボールのキャッチやダブルコンタクトの反則との戦いでもあり、ビギナーがそれを克服するまでには、かなりの忍耐と時間を要します。ですから、なおさら早期のセッター発掘や短期間でのセッター完成というのは難しいです。

しかしながら、日本のバレーボール環境は、小学生から始まって、どのカテゴリでも年間スケジュールに競技大会が設定されています。それぞれのチームでは、来たるべき次の大会へ向けて、セッターを整備しておく必要が出てきます。当然、誰をセッターとするか?という判断を迫られるわけです。

以前から書かせてもらっていますが、
練習会や講習会などで数十名、何百人の選手がいる場で、小中高校生のチーム相手に、セッターについて尋ねてみると、まずセッターという位置づけになっている選手がチームに1~2人、そしてセッター練習をしたことのある人は3割いるかいないか、だいたいがこういった状況です。
ですから、大部分の子どもたちは、セッターをやったことがない、またはわかっていないということになります。逆に言うと、小中学生の比較的早期に、セッターをする子が決まり、大体は、進学してもセッターをするという専業化になってしまいます。

しかし、小中学生と言えば成長期のまっただ中、その後どの程度の身長や筋力、身体能力になるかわかりませんね。そういった発達段階で、専業化するのはどうだろう?と思っちゃいます。

中学3年や高校生になってから身長が伸びる選手もいれば、そうじゃなく止まってしまう選手もいます。仮に大型の選手をミドルやアタッカーにして、小柄で機敏な子どもという条件でセッターを決めるとすれば、それは長い目で考えてどうなんだろうとも思います。

※90年代後半では、アメリカのボールやオランダのブランジェなど、2Mを越える大型セッターも登場し、セッターの大型化も進んでいる。

選手一人ひとりのロングスパンを見通した育成はものすごく大事です。
一方で、それぞれのチームで試合に勝つことも大事な目標です。
例えば、春高バレーを控えた高校生チームや、Vリーグ選手において、いきなりセッターに転向というのも、よほどの逸材か、過去に幾何かのセッター経験がなければ、第一線で通用するかどうかは不透明です。ともすると、
「誰をセッターに選ぶか」
「セッター選びの基準は」
「セッターの資質は」
という視点はよく話題になりますが、「いつからセッターをさせるか」、「どのようなプランやスパンを要するか」などといった、見定めのタイミングって、なおざりになってきたのではないかと思います。
つまりは、前のカテゴリで育成されてきていることを前提に、それぞれのカテゴリがセッターを位置づけているため、セッター育成とか、セッター発掘とか、セッター開発が、なされにくい現状にあります。

また、日本における、短期間詰込み型な練習環境では、トレーニング(練習)が、部分的、限定的で、インスタントな突貫工事的な指導から脱却できず、ハンドリングの動作原理が機能しないまま(キャッチ癖等)セッターをすることで、ハイセット能力が育たない問題も生じています。

過去にスパイカー経験豊富な有能な子に、中学2年の冬から4-2システムのセッターの一角にして、セッターをさせたことがあります。正直、中学3年までの間には多くの課題を残したままでしたが、高校で花開いた選手も受け持ったことがあります。

もう一つの思うのは、セッターの専業化というのは、
長いバレーボールの歴史の過程の中で、洗練されたシステムのひとつであって、それがツーセッターであっても、6-6の全員セッターあっても、ルール上の制約もきまりも何もないということです。
そこには、効率化というのも要素としてはあります。その効率化を、どのカテゴリでどの程度求めていくことが、将来性や上のカテゴリでの開花につながるか。そういった、視点を持つ立場もこれからは必要じゃないかと思います。
まさに、点と点が存在する、各カテゴリ各チームがそれぞれやっているだけじゃなく、そいった議論ができる機会みたいなものがあると面白いのではと思います。

(2013年)