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練習に関する一考察

近年は書店にならぶ書籍にもちょっと気になる内容が書かれたものも多く見受けられますが、論文を読むのも勉強になると思います。
指導現場に立つと、なかなか統計学的な実践データの蓄積や、群をわけての比較や考察をする余地は与えられません。だから、こういった研究や論文は、大いに活用すべきだと思います。

私は、数年前から
「やり過ぎスモールステップ」的な練習に疑問を持ち始めました。
それは、文献を読む前のときからです。
スモールステップへの過信は、時間をかけることによる、結果的な時間の限度があり、選手の到達度も限定的になる部分が大きいと思います。「小さな枠にはめた選手」といった感じです。

スキルや戦術の発展や応用は、決してすべてが言われたことや指導されたことから生れるのではなく、選手自身のアイディアやひらめき、一流選手のプレーを見て得たヒントなど、たくさん機会があり、それらが試されたり、自主的に実践できる機会やチャンスこそが必要です。

だから、
「やり過ぎスモールステップ」や「特効薬的練習ドリルの妄想」
はあまり意味がないのだと思っています。
いずれも、思考停止を促進させてしまうのではと懸念しています。

運動やスキルの習得で、自分がよく例え話に挙げるのは、「自転車」と「スキー」です。

自転車は、ほとんど誰もが小さな子どものときに、身につけます。
きっと、補助輪とか親が後ろから支えてもらいながら、何度も失敗を繰り返し、距離を伸ばし、乗れるようになります。一度身につけたら、ずっと乗れます。

スキーは自分の経験談があります。
恥ずかしながら30過ぎてからスキーの練習をはじめた自分は、20代のころに、何度かスキーの上手な先生がそばについて、いろいろ教えてもらったときがあったのですが、いちいち膝がどうだの、身体の傾きがどうだの言われても、気が散ってストレスがたまる一方でした。
ですが、その練習義務から解放され、30過ぎてから自主的に趣味ではじめたとき、勝手に自分で転びながらも試行錯誤した方が、スキル習得ははやかったです。

バレーボールの指導・・・
とくに少年団や部活などの世界では、指導者の勉強というのはどの程度なのでしょうか?自分も含め、足りないことが多いのだと思います。精神論や生活指導と同じくらいに勉強したいですよね。

今回は、二つの論文の引用を掲載させていただきます。
(日本バレーボール学会に掲載の論文より)

バレーボールのスキル指導へのバイオメカニクスの応用

(引用)------------------------------
 多くのスポーツ種目においては,
 戦術についての指導およびトレーニングは,
 技術や体力についての指導やトレーニングのように
 明確に確立して行われていないのが現状であろう。
 戦術の重要性は認識されていても,
 技術を習得した後に戦術を指導するという
 段階的な指導が主流であり,
 基礎技術の習得段階では,
 選手に戦術の認識が欠落している場合が多い。
 このあたりが,戦術的な能力が育たない原因になっていると述べている。

>実戦的な練習あるいは指導と口では言うが,
 具体的にどうすれば良いのか理解していない
 指導者が多いのではないだろうか。
 McGown(1994)は,運動学習理論に基づいた
 バレーボールの指導方法を奨励している。

>選手の情報処理能力には限りがある。
 長く複雑きわまる説明よりも
 むしろ注意して見ることや実際に行うことによって最も良く学習する。

>運動プログラムは特異的であり,
 一つの運動課題から他の運動課題への
 学習の転移はそう多くない。
 また運動課題の一つのバリエーションから同じ運動課題の
 別のバリエーションへの転移に関する研究においても,
 ある研究では転移の量は極めて小さいと報告されている(Schmidt,1975)。
 従って,例えばパスの指導において,
 まず選手に床に膝をつかせ,
 さらに床の上で両手を正しいオーバーハンドパスの位置を作ることから始める。
 次にボールが床の上に置かれ,
 選手は正しいオーバーハンドパスの位置をとるようにそのボールの上に手を置く。
 それから選手は,腰を曲げた姿勢をとり,
 床から手へと繰り返してボールをバウンドさせる。
 さらに座ったり,床に膝をついたり,
 うつ伏せに寝た姿勢での練習の後,段階15 になって初めて,
 選手は実際にお互いに向かい合って立ちパスをする。
 このような長い漸進性は,能率の上がらない,
 効果の少ない方法であり,段階の数がある程度限定されるべきである。

>Dunphy,1988 年アメリカ男子オリンピックチーム金メダル監督,
 は,最も良いスパイクのドリルはパス-トス-スパイクであり,
 最も良いレシーブのドリルはパス-トス-スパイク,
 そしてレシーブすることであると述べている。
 ドリルは,その運動課題の特異な運動プログラムを発達させるよう,
 ゲーム状況を呈するものでなければならない。

>練習内容も単調な技術練習はない。
 サーブには必ずサーブレシーブが付き,
 攻撃の練習はブロックとレシーブの練習がセットされる。
 全ての複合メニューで,一人として息が抜けない。
(引用おわり)-------------------------

スパイク動作に関する一考察

(引用)-------------------------------
>実際の指導場面においては,
 指導者はプレーヤーの変容していく動作を
 視覚的にとらえ,
 運動学的な動作の評価を行う必要があるとしている。
 このことから,
 運動学的研究は指導者の運動を把握する目を養い,
 運動を評価する力を養うことができると考えられるため,
 意義があると思われる。
(引用おわり)---------------------------

テニスの指導本から得る情報も結構あります。
数年前に読んだ、「インナーゲーム」「新・インナーゲーム」
という本も参考になりました。

最近は、「経過分析」と「機能分析」という言葉を目にしました。

◇ 「経過分析」・・・ フォームがどうなっているか、姿勢はどうなっているか、 対象者を観て、外見からの特徴を把握し、それを実践しようとすること

◇ 「機能分析」・・・ プレーやフォームを構成するものの 体の使い方や、しくみ、筋肉や関節の機能を とらえ、実践に役立てること

といった感じなのかなと思います。

テニスでは、「経過分析」的指導の前に、まずは「機能分析」の必要性を言っており、機能分析から入ることを推奨しているようです。

「肩甲骨の使い方を意識して」という観点が、機能分析になると思います。

機能分析と経過分析の融合、
機能分析→経過分析という流れということになるかもしれません。

プロの一流選手のプレーやパフォーマンスを見て、その動作や姿勢を明らかにし、それをいわば模倣しようとすると、特に子どもなどでは、その通りのパフォーマンスにならないどころか、身体に無理がかかって故障などにもつながるそうです。
これはどの種目にも言えることです。フェデラー選手のファアへの回り込みのスピードを計測し、それを他の選手にやらせてもできませんね。
その前に、筋力や体格、発達段階の違いが必ずあって、それを把握しておかねばなりません。

ここでともすると起こりやすいのが「何でもかんでも化」です。
私、いつも首をかしげたくなるのは、これがいいとか、こういう考え方があるなどと、見聞きすると、
どうして人々はそれ一篇通りになるんでしょうか?ちょっと楽をしすぎだと思います。

こういうことを見聞きすると、ワンパターンのように、「肩甲骨を・・・」とか「肘を・・・」とか「骨盤を・・・」という練習や指導だらけになりそうですが、決してそうではないと思います。
先に書いたように、
機能分析と経過分析の融合が大事です。
ですから、テニスなどで言われているのは、「経過分析」一篇通りな状態への警鐘なのだと思います。ですから、その反動的に「機能分析」一篇通りになることも、ダメなのだと思います。

このように、練習や指導のアプローチには、ワンターンな観点ではなく、いくつかの視点からのぞみ、適宜臨機応変に採用していくことが大事なのだと思います。

「問題指向的アプローチ」 か 「目標指向的アプローチ」

「問題指向的アプローチ」「目標指向的アプローチ」について

私は最近特に主張する、
「やりすぎスモールステップ」 とか 「スモールステップ完結的練習」

というのは、その中の「問題指向的アプローチ」になります。

サーブミスは失点になるから、入れとけサーブを打てとか、
リベロのセットはオーバーは飛ばないから、アンダーでいいとか、
相手ブロックを振りたい、1枚にしたいから、返球やセットを低く速くだとか、
スイングブロックでは、空中での姿勢が締まらないからするなとか、
そういったものです。
物事を細分化して分析することは分かりやすいです。そして実践しやすいメリットがあります。
ですが、
全体像を見失ったり、結果的に本質から逸れてしまう点は大きいです。
本末転倒になることも否めません。
だから、
「セッターがアタッカーに合わせよう」
「相手に見せるこちらの攻撃枚数を確保しよう」
「相手の攻撃の選択肢をなくし、ブロックを決定しやすくしよう」
などの、テーマ、「目標指向的アプローチ」
というのがあって、そこに至るまでの過程を、ステップ化していく
ということが必要だと思います。

「機能分析」と「経過分析」
「目標指向的アプローチ」と「問題指向的アプローチ」

こういったもは、勉強しようという意識や、追究する姿勢がないと、人からの請け負いで終わってしまい、結局、そこからの発展ができなくなってしまいます。指導すればするほど、限界や将来性、可能性を狭めてしまっている現状も少なからずあるのではないかなと思います。

オーバーパスを高く長く飛ばせるようにさせたいのはなぜでしょうか?
「飛ばないから」 ではないはずです。
セッターのセットや、51のセット、ハイセット・・・
そういったものにつなげたいからです。
オリンピック選手のスーパースローを見て、その見たものをコピーさせようと小学生にやらせよう・・・そうなるでしょうか?やらせてもボールはうまく処理できません。

「スモールステップ」というのは、行動変容理論に関連して考えられたもので、何か複雑な行動を学習すときに用いられている方法です。これは、行動を細かく分解して、それを系統的に強化していく方法です。行動を学習するには、達成可能な小さな行動から始める必要があります。

健康行動を身に付ける場合に、望ましい行動が全て完璧にできるまで強化がなければ、その人のやる気がなくなり、達成感を得られずリタイアする可能性が高くなります。そのような強化の方法では、行動は学習できないこともあります。
従って、その人が達成できる範囲の行動を小さなステップにして、順序立てて学習することが大切です。それぞれの小さなステップにおいて、速やかに強化がされていくことはその人の達成感に繋がります。また、することができるという自信を比較的簡単に持つことができるようです。これが、最終的に結果として行動を学習する近道となります。

このような方法は、自信や達成感を伴い、「やればできる!」という実感を持てるよい方法とされています。また、更に自分のペースで複雑な行動を学習することができそうです。
この方法を用いる場合には、明確で解りやすい目標設定が必要です。
始めから、いくつもの目標を提示したり、高すぎる目標設定をすると逆効果です。
その人が「やればできる!」という範囲の目標を提供すること、まず小さな目標から達成することが大切だとされています。

※「ステップ・バイ・ステップ法」ともいうようで、一度にハイレベルな目標を達成するのではなく、 小目標を立てて段階を追って実施していく方法です。少しずつ成功体験を積み重ねることで自己効力が高められると言われています。
・・・・・
それで、
スポーツにおけるスキルの習得、スポーツの指導現場でも、この「スモールステップ」が採用されていることが多いです。確かに、必要な方法のひとつであると言えると思います。
しかしながら、「運動の習得」というものを考えたとき、この「スモールステップ」がどうなのかと考えるのです。

少なくても私の身の周りでは、「スモールステップ信者」というか、可能な限りスモールステップを行うことが指導である・・・と思っている人がけっこういるように思えます。
プレーやフォームを可能な限り「細分化」することが、練習の効果を高めると考えている人もいると思います。
ここで、誤解のないように言いますが、スモールステップは、時には必要です。
特に「フィードバック」においては重要です。

しかし、実際はというと、指導者があらかじめスモールステップ化されたメニューやドリルを、対象者に与え、画一的に行うスタイルがほとんどです。
わたしは、そういったスモールステップの中に、「別になくてもいい不必要なステップ」や、「細分化されたことによって、かえって自動化を妨げるもの」、「やることで、おかしな癖がついてしまうこと」があるんじゃないかと思ってきました。
スキルの習得のための練習を考えるとき、スモールステップを考えるのと同じように、考えてみたステップが果たして適切かを検討し統合するのも大事な作業だと思います。
スモールステップが悪いとは思わないが、ただスモールステップしさえすればよいとはなりません。

成功するスモールステップと そうでないスモールステップ

(引用)↑↑↑
>個別指導にすれば、行き届いた教育が行えるというのは、幻想です。
>それと同じように、
 何でもかんでもスモールステップにすれば成功するというものでもないわけです。
>学びの本質と、子どもの今が見えてこそ、
 限りなく未来に続くスモールステップの階段が目の前に現れてくるわけです。

とくに「運動」とか「運動スキル」というのは、
機械の部品やパズルのピースのごとく、
全体をすべて細分化できるものでもないし、
それらをつなぎ合わせれば、全体の一連の運動が再現される
とは限りません。
ひとつのステップから次へと移行する際、
前のステップができずに、
次のステップに移行・統合できないこともあります。

ですから、「やり過ぎスモールステップ」には同意できません。

まずはスキルや運動の「全体像」や競技に求められる「本質」を抑え、
次に、目の前の選手の現状レベルを把握し、指導者の持つ指導の「引き出し」=(スモールステップ)の中から、選択、統合して、全体像に近づけることが必要です。
または、プレーの中でのつまづきの原因や修正点を探る手段として、
フィードバックとしての、スモールステップの採用はありだと思います。

特に小中学生の練習では、「練習」=「スモールステップ」 という固定観念に縛られていないか懸念をしています。
「自分たちのスタイルを貫く練習」と「やり過ぎスモールステップ」。
これらが指導現場で当たり前とされている中で、見落としてきたことや、妨げとなってきたことって、
けっこうたくさんあるのではないかと思うのです。

木を見て森を見ずではありませんが、
全体像や本質から逸れてしまうことや、
本当はそこまでやらなくても習得できるのに、
やり過ぎスモールステップによって、
「長い目で見た効率」をかえって悪くすることがあるのだろうと思います。
細分化することが目的になってしまってはいけないのだと思います。

やっぱり勉強していくことは大事だと思います。


(2013年)