見出し画像

なぜ「考えろ」って言いたくなるのか?

今回関わった4か月のチーム作りにおいては、中学生たちが、限られた時間の中においてでも
できることがあることがわかったという成果があります。

クローズドスキルのリピテーションからの脱却

練習では、いわゆる「基本の反復」の練習に時間を割くことはありませんでした。
なかったというよりは、選手たちに戦術的な思考や知識を身につけてもらいたいことから、その「考え方」を確認するような練習をする必要があり、こんこんとクローズドスキルを反復練習する余裕が生み出せませんでした。
しかし、大会を終えてみると、選手たち個々のスキルは確実に伸びていましたし、選手たち自身も上達を実感しているようです。そこが面白いところです。
よく「量より質」という言葉を聞きますが、こういうことなのかなと思ったりします。

最近は、書籍やDVDだけでなく、こうしてネット上のあまたあるサイトから、誰でも簡単に情報を入手することができます。バレーボールの知識も同様で、
例えばブロックに関する「バンチ」とか「デディケート」などという言葉も浸透してきました。
でも今回の私のチームでは、バンチやデディケートなどといった用語は一切用いていません。
なぜなら、他の方法でもバンチやデディケートの状態になりますし、それだけにとどまらない対応を導くことができるからです。
もう一つブロックに関していえば、ボールへの反応方法として「リード」とか「コミット」という用語も定着しています。
ですが、個人スキルにおける反応の指導で止まっている例が多いと思います。

(選手)自らが使いこなすまで

大事なのは、そこから先の「組織化」や、「対応力」の定着までいかないと意味がないと思います。
せっかく選手個人がリードとコミットの違いを理解できても、思考判断が間違えば意味がありませんし、となりのブロッカーとの組織的な連動になっていないと、ブロックはずたずたに分断されてしまいます。

「バンチ」のやり方、「デディケート」のやり方、
「リード」のやり方、「コミット」のやり方、
・・・などなど、
それらを伝達し、やらせるだけでは練習としては不十分です。
大事なのは、それら「材料」をどのように組み合わせるか、どのように組織化するか、その組織化を選手ができるかどうか・・・そこまでもっていくことが、指導であり、練習なのだと思います。
練習は、「やること」を教える以上に、「考え方」を教えること、あとは選手がやる、やってみる、自然とそうなった・・・そういったものを目指すべきなんだろうと思います。
今回のチーム作りでは、
ブロック、攻撃の組み立て、サーブ、トータルディフェンス・・・それらでは特に、こだわりのあるチーム作りと、従来型の指導にはない、選手の対応力を引き出すことに成功したと思っています。

指導者(コーチ)は「考えろ!」とよく言うが・・・

とある方と、「普段選手たちには『考えろ』って言うんですけどね・・・」という話題になり、「でもよくよく考えると、考える材料や方法をしっかり学ばせていないよな」という方向に話が向き、お互いうなずいたところでした。

よく言われる「考えろ!」という言葉がけは、おそらく(というか自分も昔そうだったが)選手の自主性、自立性、思考判断をうながすために言うものなのかな?と思います。
ですが、そもそも自主・自立・思考・・・などというものは、人から言われてからやる時点で、遂行したことにならないわけです。指示待ち、受け身姿勢を打破すべく、「考えろ」と言うことが、実際の効果は真逆の、自主性や自立性を奪うことにもつながりかねません。
つまりは、何をどうしたらよいかという「経験のストック」がないため、解決策を選択することができなく、「だったらどうしろというんだ!?(教えてくれ)」!という、ますます他力本願、他律思考になっちゃうんだと思います。
人間誰しも、人から「考えろ」って言われて考えているわけじゃないですよね。
「考える」という行為自体が、自発的なものであるはずです。
だから、子ども(選手)たちが「考えていない」ように思えるとしたら、それは、考えることができないのであって、なぜ考えることができないかというと、方法や材料、選択肢を持てるスキルがないからなのだと思います。よくメンタル的なゆとりがなくなったと言いますけど、それは結果そうなっているのかもしれませんけど、メンタル的に追い込まれているというのも、結局は、選択肢や思考方法が限定されてしまっているからそうなるのだと思います。
だから、日ごろから選択肢を持たせたり、選択肢の中から判断・決断して選択する場面を経験させなければなりませんし、経験させるためには、まずは知識や情報、判断材料を提供しなければならないのだと思います。
スパイクには、「テンポ」や「スロット」による使い分けがあります。
ブロックには、リードかコミットか、ゾーンかマンツーかによる使い分けがあります。
フロアディフェンスシフトは、ブロックの状態やオフブロッカーノの位置で変わります。
レセプションシフトは、相手のサーバーの特性やこちらの仕掛けたい攻撃によって変わります。
・・・
などのように、「変化を理解する」、「対応を身につける」・・・こうなって初めて「考える」なんだと思います。

試行錯誤や探求を嫌がる大人でいいのか?

「今すぐ食べられる魚を与えるより魚の釣り方を教えよ」

「Give a man a fish and you feed him for a day.
     Teach him how to fish and you feed him for a lifetime.」

ということは、どんなことにも大事なのだと思います。
これさえやれば大丈夫
これをやっていたら勝てる
これをやれば上手くなる
そういうものを求め、やっていては、いつか必ず息詰まり、手詰まりになります。
なぜなら、そうならなかった時に、打つ手がなく、改善も好転もできなくなるからです。
そうなった時のメンタルの傷やモティベーションの低下のおそろしさたるや、自分はとてもよくわかります。

勉強でもスポーツでもダイエットでもなんでもそうですが、
特効薬や必殺技を探し求め、
目に見える結果をほしがっていても、
結局は、そうならないことのほうが多いのじゃないでしょうか?
バレーボールの練習でも、「今すぐ食べられる魚」ではない、「魚の釣り方」を経験し習得していくことに当てはまる要素には、どんなアプローチやコーチングがあるのか、その点が少しずつ議論されはじめてきているように思えます。


(2013年)