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出会ってしまった不世出の鬼才たちへのオマージュ

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情熱の放射 澤田宏重と澤田塾(抄)

情熱の放射 澤田宏重と澤田塾(抄)

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澤田宏重が主宰した進学塾である澤田塾は、三田の慶応義塾大学の北側にあった。慶大図書館裏の崖下の寺院の敷地内にみずほ会館というモルタルづくり二階建ての建物があり、澤田塾はそこにあった。

みずほ会館には、40人ほどが会合し会議できる部屋が数室あり、澤田塾以外にも会合や会議での利用者もいたが、ほぼ澤田塾の教室となっており、平日は夕方から、土日は昼過ぎから、小学校5年生から高校1年生までの

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白川静先生から夫婦について教えていただいた

白川静先生から夫婦について教えていただいた

2006年10月30日に白川静先生が逝去されたことを11月2日に知り、1988年の晩秋に先生のご自宅を訪問したことを思い出した。

京都から先生へお電話して予定通り伺うことをご連絡して、私鉄の最寄の駅で降り改札口を出ると、迎えにいらしている先生の姿が目に飛び込んできて、いきなり恐縮してしまった。

駅からご自宅までの道すがら、「ここは京都のウラ鬼門にあたるところ・・・」とそこに居を構えていらっしゃ

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ゼロ次元「加藤好弘」に関するメモ その1 夢解読以前

ゼロ次元「加藤好弘」に関するメモ その1 夢解読以前

【プロフィール概略】
加藤好弘は、1936年(昭和11年)名古屋に生まれ、多摩美術大学油絵学科を卒業後、名古屋の公立中学校で美術教員を務めながら、生涯の盟友となる岩田信市と前衛芸術集団ゼロ次元を起ち上げ、路上パフォーマンス等で活動していった。

60年代はじめ結婚を機に、上京し、霜取りヒーター類の販売や配電盤の設計製作を扱う明星電機株式会社を経営しつつ、ゼロ次元としては、全裸身体を都会に露出し、意

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ゼロ次元「加藤好弘」に関するメモ その2 夢解読について 《加筆修正》

ゼロ次元「加藤好弘」に関するメモ その2 夢解読について 《加筆修正》

加藤好弘の晩年のインタビューが、WEB SITE「日本美術オーラルヒストリー」で公開されている。

加藤好弘は、20世紀末の数年にわたる滞米生活からの帰国後には、ゼロ次元の肩書を復活させるとともに自らをアジテータと称した活動も行っていたが、本来は、座談の名人と言われるようにミニマルな空間で少数相手にしゃべることを得意としており、インタビューのような形式で、その資質が生きるように思われるのだが・・・

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「今、何をやっとる?」名古屋ゼロ次元岩田信市

「今、何をやっとる?」名古屋ゼロ次元岩田信市

名古屋<ゼロ次元>の岩田信市さんが先月(2017.08)亡くなったことを知った。

謹んで哀悼の意を…と、言ったところで、岩田さんは、こいつは何を言ってるんだかと、あの大きな体のてっぺんにのっかっていたにこやかな笑顔で、そんなことよりも、芸術っていうのは、人間が人間に会った時のスパークだとわしは思うとるよと名古屋弁で即座に新しい会話を始めることだろう。

あのでかい体から発せられた言葉は、ある時は

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秋山祐徳太子さんのかろうじての思い出

秋山祐徳太子さんのかろうじての思い出

秋山祐徳太子さんの訃報を聞く。

秋山さん、ユウトクさんと呼ばせていただいていて、親戚のオジサンみたいな感じだった。

秋山さんもまた、名古屋ゼロ次元の岩田さんのように追悼の言葉が似合わない人だ。

個展会場の最終日に秋山さんを見かけることが多々あった。初日には賑わっていた会場が最終日や搬出のときには人もいず寂しくなることがあるから来てやってんだよと話していた。その目は、後片付けを始めている作家に

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