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小説 Memories(メモリーズ)Vol.1

「あなたは大器晩成だから」

妻が生前によく言ってくれた言葉が浮かぶ。

妻は嘘つきだ。

私はこの人生で何も成し遂げることができなかった。

追いかけた夢。心に描いた野心。見果てぬ景色。

どこにも辿り着くことなく私は人生を終える。

でも

なぜだろうか。

この上なく幸せな気持ちで心が満たされている。

なぜなのだろう。

私は、仰向けに横たわっている。

薄汚れたクリーム色の天井が見える。

私は、死の間際にいる。

死の恐怖を感じているかって?

いや、全く感じなかった。

とても安らかな気持ちだ。

薬が効いているからなのかもしれない。

痛みも感じない。

気分は上々だ。

死の間際に気分は上々っていうのも

何だか不思議でおかしなものだ。

でも上々なんだから仕方がない。

私は今、この上なく幸せなのだ。

脳内に次々と現れては消えていく記憶。

今となってはそれが正しい記憶なのかもわからない。

昔見た夢なのか、現実に起きたことなのかそれもわからない。

ただ鮮やかに情景が浮かび上がり、今そこにあるかのように。

目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、口で味わい、手で触れる。

とても懐かしく、やさしく、ただひたすらに愛おしい日々。

母の温もり。

父の安らぎ。

妻の瞳。

子供たちの声。

見える。聞こえる。感じる。

今はとても鮮やかに美しい。

私はこの人生で何ひとつ

何も成し遂げることはできなかった。

ずっと何かを追い求めてきた。

でもどこにも辿り着けなかった。

現実という、社会という、世間というなにか。

そのどこにも、どの場所にも

噛み合うことができなかった。

後悔ばかりの人生だった。

でも

なぜこんなにも全てが愛おしく

胸が苦しいほどに美しいのだろう。

なぜ私は微笑んでいるのだろう。

なぜ涙が頬をつたうのだろう。

私は死にゆくひとりの男。

何にもなれなかった男。

でも今は

そんな自分がとても愛おしい。

息をひきとるその瞬間まで

一緒にいてくれてありがとう。

死の間際のメモリーズ。

今から私は君と旅をする。

もう残り少ない時間でも

きっと記憶は時間を超える。

今から見える景色がきっと

それが本当の人生なんだろう?

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