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ムードメーカー二男の乳幼児期

へんてこ我が子達三人は、
今の時代に少ないタイプの性格で、

立ち直りがはやい
楽観的、前向き
できなくても気にしない
根拠ない自信がある
プライドは最低限
まわりの目は全く気にならない


のような特徴があります。
そのような子供達がどんな乳幼児期を過ごしていたのか?
今日はトラブルメーカー兼ムードメーカー二男のお話です。
小さな頃はムードメーカーなことが多かったかな?
長男と9歳差、長女と6歳差ある末っ子だったので、
一人っ子のような…
また赤ちゃん時代は孫の世話をしているような感覚でした。
二男には三人の中で一番気楽に接したし、適当さに磨きをかけた育児でした。

二男が一歳を過ぎた頃、泣き声がうるさい、騒ぐ声がうるさいなど、
あちこちからクレームを受け、
家にいたら隣人からいつまたクレームくるか分からない、外に出て遊んでいてもクレーム言われたことがあったので、
私は次第に育児ノイローゼ気味になっていました。
一体どうしたらいいんだと…泣き止んでと幼児に言ったところで、言うこときくわけないしね。
そこで、私は二男が三歳になる春に保育園に
いれることにしました。

二男はすぐに保育園に馴染みました。
この頃の二男の問題は、
思う通りにいかないときにすぐにすねる、地団駄踏む、一人の落ち着いた時間を与えないと気持ちが切り替えられない、悪いと認められない、友達とはしゃいでいるときにはテンションが上がって指示が入らない等がありました。
小4の今になっても、気持ちの切り替えには少し時間がかかるし、即座に悪いと認められない場合があるし、
すぐにすねるのも変わりませんが、
少しずつましにはなってきています。

またシュタイナー幼稚園のお母さん方と全く違い、
保育園のお母さん方はまだ普通の感覚のお母さん方が多かったので、
とても付きあいやすかったです。
そもそもみんな働いているので、幼稚園時代のようにお母さん方と
深く関わる機会もほとんどなかったけど、
送り迎えの時に世間話を少しするぐらいはしました。
それぐらいの関係性が、私には気楽に感じました。

二男が年長の年、西日本大豪雨がお泊まり保育の日に重なりました。
大豪雨がくると大きく報道された後、同じ日にお泊まり保育を予定していた近隣の他の園全て、
お泊まり保育は中止になりました。
しかし、二男の保育園だけは決行することになりました。
この子達にとってお泊まり保育は一生に一度だから…
と主任の先生がおっしゃっていました。

西日本大豪雨の中、外で行う花火やキャンプファイアーのイベントは軒並み中止、園内で急遽、買い物ごっこをして
その材料を使った料理…なんだったっけな、カレーだったかな…をみんなで作ったそうです。
何とか天候を見ながら、お風呂がわりの温水プールはできたようです。

いよいよ西日本大豪雨が本格的に到来しだした時間、
保護者のクラスラインでは一部の心配した保護者から、なぜこんな日にお泊まり保育やったんだという
保育園への不満が爆発しはじめていました。
預ける前から心配だったけど、他の子達はお泊まり保育いくのに、自分の子だけ参加させないわけにはいかなかった、というのが
不満がある保護者達の気持ちのようでした。
そして、そのうち一部の保護者達が心配のあまり
不安がエスカレートして、翌日お迎えの時にクラス保護者一同として
保育園に西日本大豪雨の日にお泊まり保育決行したことに対する
クレームをいれようと言い始めました。

でも私の考えとしては、
西日本大豪雨の当日だと分かっていて保育園に預けたからには、
保育園に苦情をいれるべきではないし、先生方に任せるべきだという考えでした。
先生方だって大変だったはず。
電車が運休で、保育園にこれなかった先生もおられました。

そこで、私はその前年度に一緒に役員をした、信頼できるお母さんに電話をして、
保育園へのクレームはクラス一同ではないし、
先生にクレームを言いたくないということを
お互いに確認しました。
そして一部の保護者に保護者一同として
クレームをいれさせないよう、
グループラインの空気を二人で変えていこうという作戦をたてました。
具体的には二人の片方がラインで、
アンケートとして気持ちをそれぞれが書くという提案をして、
すぐにそれに同調する返信をする、というもの。
そして、作戦は大成功。
他の人も何人か同調してくれて、
保護者一同としてクレームを保育園にいれることは
避けられました。

そして翌年2月のある日、今日夕方、お迎えのあと残れる人は残ってくださいという伝達が
年長のクラスでありました。
一体何なんだろう?と思っていたら、
何とお泊まり保育でできなかった打ち上げ花火を
サプライズで先生達が上げてくれました。
子供達は大喜び、私もめちゃくちゃ感動しました。

園の現場を実質仕切っている主任の先生は、
正直ちょっとした子供の体調悪化ですぐに保護者に連絡をいれる先生で、
保育園の意味ないやん、と思ったこともありました。
機嫌の浮き沈みも激しい人だったし…
でも、子供達の一生に一回の思い出になるからって
大豪雨の中、お泊まり保育を決行してくれたり、
季節外れの花火をサプライズで上げてくれたり…
保護者の中にはその先生と合わない人も一定数いたようですが、
私はいまだにその先生には感謝しています。
普通の、どの地域にも昔からあるような保育園で、
何とか保育なんていう、大層な理念も何もありませんでしたが。
結局、一番大切なのは保育方針や場所でなくて、
そこにいる人なのですね。

今回は詳しく書きませんが、
私が人生で一番か二番目くらいに辛かったとき、
誰よりも私の気持ちに寄り添ってくれたのも
この先生。

だから…多分ですが、主任の先生が子供がちょっとの体調不良で保護者に連絡いれるのは、
子供が体調悪いからと園から連絡をしても、子供の心配等せず、なかなか迎えにこない保護者がいたからなのかなと思います。

本当にこの主任の先生は、
純粋に心から子供の幸せを願ってるんだなぁと、
人生捨てたもんじゃないかも…と思わせてくれた出来事でした!

花火の日に仲良くなった、二男の仲良し友達のお母さん。
私と性格合うかな?と思ったんですが、
結局合わなかったんですよね…
私からすると、過干渉過保護です。
四年生になってるのにその男の子、いまだにおばあちゃんと途中まで登校一緒にしているそうです。
特にその子の精神に問題があるというわけではありません。
まぁ、心配なのでしょうね。
そのわりに、子供が嫌だと泣き散らした習い事をすぐにやめさすのは嫌だと保育園児に
無理矢理続けさせ、
子供が途中で習い事をやる気になったからよかった、と私に話してくれたこともありました。
また公園で親子で一緒に遊んだときには、
子供が
「いつもお母さんはそう!僕の話を聞いてくれない!」
と悲しそうに泣きながら言っていたこともありました。

高齢出産で男の子一人っ子だから、多少仕方ないかもしれませんが。
そういえば、シュタイナー幼稚園の勘違いいじめられっこの子の家も、 
高齢出産で男の子一人っ子だったなぁ。

二男が生まれてから、本当に過保護過干渉なお母さんが増えたなぁと思います。
クレームは二男の声がうるさいだけかもしれないけど、
クレーム受けるようになったのも二男が生まれてから。
ここ十年くらいの話です。
上二人の時代のお母さんと子供達と
末っ子の時代のお母さんと子供達は、
ちょっと質が違う傾向があると感じます。

今のお母さんは神経質で過保護過干渉気味。
子供はお利口さんが増えたと感じます。

そして我が家は何の影響もうけない、マイペースな育児です。
















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