典の雑談記2020

岐阜の山奥で陶芸をやっています。かといって、そんなに高品質なものを大量に作っているわけ…

典の雑談記2020

岐阜の山奥で陶芸をやっています。かといって、そんなに高品質なものを大量に作っているわけでもないし、むしろマイペースでのほほんと暮らしております。妻は畑で野菜を栽培しています。そんな日々に中から、どうしても文字にしたいことを書いていきたい。

最近の記事

完成度ではない。

今度の個展は陶器はもちろん並べるけれど、紙による絵や文字でも作品として出してみようと思う。ずっと思って来たことなのだが、今一つ徹底できていなかった。個展というものは、きっとそういう挑戦的なものが大事なのだろう。 さてその方法は、となると。まずは紙を選ぼう。和紙であったり藁(わら)紙であったり、気にいったもので行く。出来れば、綴じた本のようなものも並べたい。それは、きっと手作り感のあるもの。 和紙に墨でとりあえず良いのだけれど、あの描かれた紙のしわしわ感が、どうにも困ったものだ

    • 手を使って、造るという行為。

      周りには、出番を待つ材木がいっぱいある。木という素材が大好きだし、作るという時間の中で、刻々と形を成してゆくところが面白い。手作りというけど、ほんとそうなのだ。 設計図に従って作るのもいいけど、そういうもの無しで、端からずんずん作ってゆくというやり方も、いいと思う。そこには、自分でも予期せぬ展開が待って居たりする。結果それなりに満足のいくモノに成ったりするのだ。                        2024.3.9.典栄

      • 地元の卒業証書授与式に参列した。

        地元の卒業式に参列した。 批判したり、批評するつもりもない。ただ、一言感じた事を綴っ てみる。 春なのに、まだ雪の舞う今日の朝だった。それでなくとも体育館という建物は寒い。これから先、建てるモノには、是非床暖房をお願いしたい。被災時の避難場所にもなるのだから。もっとも、そういう場に、学校などの体育館は、すでにとっても適していないと思うけれど。 その体育館で、およそ2時間の儀式でした。父兄でもない私は、学校運営協議会の委員ということで参列したのです。学校運営協議会。 しっか

        • ひとの一生とは。

          ひとつの生。いのち。 生まれ、生き、そして死んでゆく。一生。 身近な悲しみ。遠くにある悲しみ。 突然の終わりは、誰も知ることも出来ないだろう。 寿命もあれば、事故もあれば、犯罪もある。 なんぴとも、人を殺めてはいけない。 人の命に、大きさの違いは、あるものなのか。 大切な人と大切でもない人が、いるものなのだろうか。 時代の中で、 国境のあたりで、 権力と民の間で、 何かが起こり、そして守るといい、攻めるという。 人という、厄介な生き物がいる。 守るという名目で、

        完成度ではない。

          正直、ふあん。

          とうとう、この日を迎えてしまった。 名古屋での3人展。 いわゆるギャラリーでの発表は、ひさしぶりだ。 3人のうち、私だけが間違いなく、こういう場では試されている存在である。ひょっとすると場違いになりかねない。 モノをつくり、モノを売って、生活を立てて来た。 そこには何の不備も感じなかったし、誇りを持ってやって来た。 ところがだ。今回の場は、簡単にそうはいかない。 大袈裟な言い方をすれば、ストリートでやってきた者が、コンサート会場でやるようなもの。 対面でやってきた露天商が、

          煩悩とは。

          人は煩悩に支配されているらしい。 それは太古の昔のお釈迦さまが説いているらしい。ふむふむ。 昨年の大晦日に、除夜の鐘を叩く機会を得た。浄土真宗のお寺に生まれ、育ったオレ。大きな鐘は、戦時下にお国に差し出したから、無かった。 ごおーんーー。という重厚な響きに、心に来ました。お寺の存在意義、そういうものが今見直されようとしている、と思う。が、この音は、じかに響き納得するものでした。説得力がある。 なにかしら、便利ばかりがもてはやされ、伝統も伝承もないがしろ。 それでいい

          ふりかえると、反省。

          あれもこれも出来ると思う自分がいる、とする。 さて、本当にそうですか。 まだ出来てもいないのに、すでにそこに居る自分はヤバいでしょう。未来に向けて肯定的に進むのはいいのだけれど、まわりも含まて好循環しているな、などと感じていたら、要注意です。 軽く、スマートに生きることができたなら。 オレは、ちなみにスマートという言葉は嫌いです。だから、いまだにガラケー。きっと、泥臭いの方が好き。焼き物やだからってことではなく。順調に行っている時は、嬉しいかも知れないけど、すでに下降

          ふりかえると、反省。

          絵本をつくろうかと。

          長い文を読むのも書くのも苦手なオレ。それなら、と、絵本に挑むことになった。のだが、 なかなか始まらない。ストーリーが要る。物語がなければ、成り立たないだろう。テーマが大事。何を言おうとしているのかが、大切。ここまでは、分かる。で、 足踏みをしているわけだな。なぜか、静かにわくわくしている自分が居る。あわてて出来るはずもないし、時間はかかるだろう。普通に。 題材として、今、樹齢1300年と云われる根尾の淡墨桜があります。この銘木巨樹のサクラの樹で描こうということに成ってい

          絵本をつくろうかと。

          やらねば、失敗も成功もないわ。

          このところ、押し気味である。 そもそも、そういう性格だったのか、控えていたのか、は、定かではない。 欲が出て来たのかも知れないし、天の声からなのかも知れない。いずれにしても、押しているだろう。 失敗は想定している。いや違う。結果が出ないかも知れないのは、予想ずみなこと。なんでも上手くいくなんてことは、ありはしない。自分の頭で考えている程度のことで、世の中に即通じるなんて、思っていたら、おかしいだろう。それでも、そういう訳のわからない自信みたいなものを、持ってもいいという

          やらねば、失敗も成功もないわ。

          もう少しが、遠い。

          光のこと。 いつ頃からか、家の中の電燈は裸電球と決めている。電球がLEDにとって代わっても、相変わらず電球色は、かの黄色のようなオレンジのような、ようは暖色を選ぶ。根っから好きなんだな。だから、我が家の光は今でもすべてその光源。しかも、あまり明るくない。 写真を撮ると、だから、ほんわかそんな色になっている。それでいい、と思っていたのだが、ここに来て、そうもいかない事情が出て来た。 ネット販売用の写真。よく分からんが、どうも白バックがいいらしい。世間の光事情だな。 いく

          もう少しが、遠い。

          よく分からないけど、

          今どきの言葉。ワード。アート。デザイン。 別に新しくもないんだが、この中身がオレが学生の頃に比べると、かなり多様化している気がする。時代によって、環境によって違うものになるということは理解できても、今どきの若者と話するにつけ、意味そのものも変化していないか。 いいでしょう。 オレはモノ作りで、ここまでやってきたし、このままずっと命の終わるまで、そんな事をやっていくと思う。モノ、にあふれ、モノがもう要らないと言うほど、今という時代は、いいかえれば「ゴミだらけ」でもあるだろ

          よく分からないけど、

          その時は、気づかなかったけど

          時間が経ってから、気づくことってある、な。何だかモヤモヤしている頭の中身が分かってくると、今度はイヤーな気分になったりする。 自分の至らなさ、だったり、人に必要以上な期待をしてしまった時。期待は期待でいいことなのだろうけれども、そこに自分勝手な結末を持って来てしまうのは、どうだろう。 相手がいる。多数がいる。知っているつもりでも、実はよく知らない人がいるのだ。先入観が強すぎる。オレは。そんなことを、家に帰って来てから、ずっと考えている。 そんなモヤモヤを吹き飛ばそうと、

          その時は、気づかなかったけど

          ネット販売を始めたけど、

          思っていたよりも、大変だし、準備にも時間がかかったよ。友人の強力な協力があったので、現実のものとなった。そもそも、私、ネットでモノを買ったこと一度もないのです。そんな私が、ネットでモノを扱うことになっている事実。驚き。 SNSという手段は、ここ3年位前から始めてます。「いいね」「超いいね」というマークに楽しみを味わっているのです。ただ、このバーチャルのような世界は、あくまでそこまでのもの、という認識で続いているのです。 そこに加わった今回の「ネット販売」という、今どきの手

          ネット販売を始めたけど、

          書く、描く、くくっ。

          そんなに意味があるとは思えないけれども、描かずにはおられないのは、しょうがない。 なにもしないで、ぼーっとすることは、あまりないかも。あたりを観るし、手を動かすなあ。人がいれば、すぐに話かけるような気もする。なんだろ、そうする中で落ち着きを見つけるのかなあ。 目の前にあるものを観、そこに考えをおよぼし、山を前に落ち着き、流れる水を観て、なにかを探す。道があれば歩き、疲れたら横になる。夕方になれば、酒を飲み、ねむくなったら床に就く。 あれ、なにを書いているんだったっけ。

          書く、描く、くくっ。

          楽しみ半分、こわい、が三分の一。

          火入れの時が、日に日に近づく。これまで、体力まかせで用意した大量の薪を燃やすのだ。ガスや電気の窯とは、ひと味違う興奮がやって来ている。 イメージを持って造ってきたモノを窯に詰める。 そもそも、不確かなものがいっぱいあり過ぎる。でも、そういうやり方でここまでずっとやって来たとも云えるかも知れない。それにしても、そろそろ確かな結果も欲しいのが本音。 焼き物は、第一に燃料が贅沢である。ガス窯だって、家庭で使う量とは、まるで違う。千度を越える熱量があってはじめて、土を石のように

          楽しみ半分、こわい、が三分の一。

          ここを直せたら、いいのに。

          SNSを始めた頃、もう3年位前になるかな。 薪の窯をつくるところから、せっせと投稿したことがあった。薪の窯はすでに2個作って来たから、自信はあったのに、見事に失敗してしまった。新しく作った窯の温度が、思うように全然上がらないのだ。 自身満々の投稿からの転落。もう、このことに触れない事にするしかなかった。情けないったらありゃしない。めっちゃ恥ずかしいし、そうかといってすぐにでも直すという色々な余裕もなかった。 その後考えた。温度が上がらない原因は、考えられる限り何点かは分

          ここを直せたら、いいのに。