地元の卒業証書授与式に参列した。

地元の卒業式に参列した。
批判したり、批評するつもりもない。ただ、一言感じた事を綴っ
てみる。

春なのに、まだ雪の舞う今日の朝だった。それでなくとも体育館という建物は寒い。これから先、建てるモノには、是非床暖房をお願いしたい。被災時の避難場所にもなるのだから。もっとも、そういう場に、学校などの体育館は、すでにとっても適していないと思うけれど。
その体育館で、およそ2時間の儀式でした。父兄でもない私は、学校運営協議会の委員ということで参列したのです。学校運営協議会。

しっかりと何度かリハーサルをしたことでしょう。一歩一歩の足の運びも、原稿を読むことも。この晴れの日に、その成果を発揮されたと思います。
正直窮屈な面もあっても、それがあの厳(おごそ)かな空気を維持していたのです。くだけていればいいというものでは、けっしてありません。
節目は、真面目真正面でなくては、いかんでしょう。
ただ、その完成度ゆえに、何か危うさを思ってしまう。
感情。ハプニング。その場でしか起こらない感動。みたいな、自然な流れ。そういうものを排除しているのではないか。

この日に、それって必要?

確かに要らないかも知れない。ただ、学校という学び舎で為される事に、今日何かを思った。

後半には、感動もわけてもらいました。ああだこうだと思っても、思いつきで意見するばかりではいけない。
   2024.3.4.ひとことでした。


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