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「在宅で長く過ごす」ためのサポート➃

 L さんは、70 代の女性です。夫と別れて子どもが独立したあとは1 人暮らしをしていた時期もありますが、長男夫婦が家を新築したときに同居。以来、共働きの長男夫婦のためにL さんも家事の多くを担い、3 人で生活をしていました。L さんの健康状態は少し血圧が高いくらいで、大きな病気の経験はありません。

 そんなL さんに「あれ?」と思う症状が出てきたのは、4、5 年前だそうです。もともとは掃除好きだったのに、部屋の中に物が散乱していたり、冷蔵庫に同じような食品が詰め込まれていたりするようになり、あるときはL さんが買い物に出たまま自宅に帰れなくなり、地域の人に連れられて帰宅したこともありました。
 その後、地域包括支援センターから依頼を受け、当クリニックで支援に入ることになりました。
 まず医療連携室がL さん宅を訪問し、L さんに、医師が時々訪問し、血圧や健康状態を診させてもらうことを説明しました。Lさんも納得した様子で、訪問したスタッフにお茶を入れてくれるなど、愛想よくふるまっておられたようです。とりあえずは軽度の認知症ということで、在宅医療チームで生活の見守りを行っていくことにしました。

 半年あまりが過ぎた頃、長男夫婦から「L さんのことで困っている」という連絡を受けました。
 長男夫婦のお話では、このところL さんの言動に振り回されているとのこと。L さんにはもの盗られ妄想が出ており、「お前がお金を盗っただろう」「下着を嫁に盗まれた」などと、長男夫婦に繰り返し訴えるそうです。長男夫婦が「そんなことはない」と反論すると、激高して物を投げるなど、暴れることもあるそうです。
 ほかにも、夜遅い時間に家を飛び出し、隣家の戸を叩いて「ご飯をもらえない、助けて!」と叫んだこともあります。
 長男夫婦は、ほがらかで働き者だったL さんが変わってしまったことに戸惑い、どうすればいいかわからない様子です。

 長男夫婦の話をお聞きしたあと、私たちからは認知症という病気についてのお話をしました。
 認知症では、本人には病気によっておかしな言動をしている自覚がないことも多く、自分は悪くないのに、なぜ家族に怒られるのかと被害意識が強くなったり、ますます混乱してしまったりすることがあります。そうしたL さんの心身に起きている状況を解説すると、長男夫婦も少し腑に落ちたという顔をされていました。
 それから、認知症の人への介護者の対応について看護師がアドバイスをする、周りの接し方によって本人が落ちつきを取り戻す場合もある、暴言や暴力行為が収まらないときは軽い薬を使うケースもあるが、薬は慎重な使用が必要である、といったご説明もしました。

 もう1つの提案として、介護保険サービスで時々ショートステイを利用してはどうかというお話もしました。
 ショートステイを利用して数日から数週間、L さんと離れる時間をもつことで、介護をするご家族に休養してもらう方法もあると伝えると、「そういうサービスもあるんですね、知らなかった」と長男夫婦の表情にも少し明るさが戻ってきました。


【解説!】

脳の本来の働きが失われ、さまざまな症状が出現

 認知症の症状の現れ方は、人によってそれぞれです。
 認知症の種類(アルツハイマー型、脳血管性、レビー小体型など)や進行度によっても違いますが、その人のもともとの性格・性質や周囲の環境、人間関係などによっても変わってきます。
 ただ認知症のほぼすべての人に現れる中核症状としては、次のようなものが挙げられます。

・記憶障害
過去に経験した出来事の「いつ・どこで・何をした」というエピソード記憶や、一般的な知識・常識などの意味記憶に障害をきたします。
・見当識障害
現在の日付や時刻、場所、季節、人物などがわからなくなり、よく知っているはずの場所で道に迷うなどの症状が起こります。
・言語障害
言葉が出ない、言い間違いが増える、相手の話している言葉が理解できない、などの言語障害が起こることもあります。
・実行機能障害
物事を計画し、順番に進める作業が難しくなります。料理をしていて途中で手順がわからなくなる、洗濯機の使い方がわからないなど。
・失行
身体機能に問題があるわけではないのに、ボタンをはめるといった通常の日常動作ができなくなる症状です。
・失認
目や耳などの感覚器官などに異常がないのに「見えない」「ものを認識できない」という症状が起こることがあります。

 こうした中核症状によって、本人は強い不安や焦燥感、混乱などを覚え、怒りっぽくなる、攻撃的になる、もの盗られ妄想といったさまざまな周辺症状(BPSD)が出てくると考えられています。
 認知症の周辺症状が強く現れてくると、介護をするご家族も対応に追われ、疲れや苛立ちを感じるようになります。追い詰められた家族によって家庭内暴力や虐待が起こる例もあります。

 在宅医療チームの訪問看護師や介護スタッフは、認知症の介護についても専門的な知識をもっています。在宅生活で困った言動が出てきたときは、一つひとつの症状にどう対応すればいいのか、看護師らに指導を求めるといいと思います。


ショートステイやレスパイト入院で、家族も休養を

 また認知症の人を介護していると、L さんの事例のようにご家族は予測できない言動に毎日振り回され、夜間も休日も気持ちの休まる瞬間がありません。そこに仕事のストレスなどが重なると、ご家族のほうが心身のバランスを崩してしまう例も珍しくありません。
 認知症の人の介護は、5 年10 年と長期にわたって続くケースもよくあります。家族の方々は時折、介護から離れる時間をもつようにし、意識して心身を休めることも重要です。そうすることで、要介護者との関係もより良くなることも多いのです。

 介護保険サービスでは短期宿泊ができるショートステイがありますし、介護者の休養のために一時入院させるレスパイト入院という方法もあります。施設を利用することで家族の立ち位置を変えることもできるので、在宅医療チームと相談し、上手に休養を取っていただければと思います。


【事例12で知ってほしいポイント】

●「 お金を盗まれた」などの“もの盗られ妄想”は、認知症の人によくみられる症状の1 つ。家族もショックを受け、対応に悩むケースも多い。

● 認知症の中核症状としては、記憶障害、見当識障害、言語障害、実行機能障害、失行、失認などがある。

● 認知症の周辺症状(BPSD)には、怒りっぽい、もの盗られ妄想、徘徊、暴力・暴言、意欲低下、うつ状態などがある。

● 認知症の人に困った言動が増えてきたときは、具体的にどうすればいいかを在宅医療チームに相談するとよい。

● 認知症の介護では、介護者が介護を離れて休養することも重要。方法としては、ショートステイや、レスパイト入院などがある。

引用:
『事例でわかる! 家族のための「在宅医療」読本』
著者:内田貞輔(医療法人社団貞栄会 理事長)
発売日:2021年6月1日
出版社:幻冬舎