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技術史

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物作りの歴史・様々な身の回りの製品の歴史を簡潔に紹介します。
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2023年5月の記事一覧

『技術史』ロケットの発展4

『技術史』ロケットの発展4

アメリカのロバート・ゴダードは、気球で到達できる高度よりも、さらに高く飛ぶことを目指して、ロケット技術の研究を行いました。1920年に、「極限の高度に到達する方法」という著書を発表し、ロケットで月に積荷を送ることができると説きました。当時は嘲笑われましたが、ゴダードは「すべての構想は、それを達成する人物が現れるまでは冗談にすぎない。」と返しています。
ゴダードは、このときまだ誰も成功していなかった

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『技術史』ロケットの発展3

『技術史』ロケットの発展3

ロケットを含め、動く物体に働いている科学的な原理は、ニュートンが1687年に提唱した運動の法則によって明らかにされました。

1:物体は、力が加わらない限り、静止し続けるか、同じ方向へ同じ速度で動き続ける。
2:物体に力が作用すると、物体はその力と同じ方向に動く。物体の速度と方向の変化の大きさは、力の大きさと物体の質量に依存する。
3:すべての作用は、同じ大きさの反作用を伴う。ある物体が、他の物

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『技術史』飛ぶ椅子(ロケットの発展2)

『技術史』飛ぶ椅子(ロケットの発展2)

伝説によると、ロケットを輸送手段に使おうと考えた最初の人物の一人は、16世紀の中国の役人である万戸でした。彼は、2つの大きなタコと47本の火矢を使って、ロケット推進式の「空飛ぶ椅子」をつくろうと考えたようです。
ロケットに火がつけられると、轟音とともに巨大な煙雲が立ち上がり、煙が晴れた時、飛ぶ椅子の姿は、どこにもありませんでした。木っ端微塵になってしまったのか、どこかに飛んでいってしまったのか、そ

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『技術史』ロケットの発展1

『技術史』ロケットの発展1

太陽系の果てまで探査機を打ち上げている現代のロケットは、10世紀の中国で使われた火矢が起源になったと言われています。宋の軍隊がモンゴル軍に対して、燃えさかる火薬管を矢柄に仕掛けた「飛火」などの火薬装置を使い始めていたようです。
宋はその武器を内密にしようと画策したが、火薬とロケットの技術は、中国から広まって行きました。

1242年、ヨーロッパで最初に火薬の実験を行った人物の一人、フランシスコ修

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『技術史』映画

『技術史』映画

1891年、トーマス・エジソンは、見る人に画像が動いているような錯覚をもたらすキネトスコープという装置を開発しました。小窓を覗き、セルロイドのフィルムに映し出されて次々とコマ送りされる画像を、レンズ越しに見る仕組みでした。

1895年、リュミエール兄弟は、シネマトグラフの特許を1895年に取得します。
シネマトグラフは、カメラとプリンターの機能を備えた軽量映写機でした。リュミエール兄弟は、日常

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【技術史】写真・映像技術4

【技術史】写真・映像技術4

写真がより身近なものとなった1880年代、ジョージ・イーストマンはロールフィルムの生産を始めました。壊れやすく、かさばるガラス板に比べ、軽くて壊れにくいフィルムは、持ち運びにずっと便利でした。1888年、イーストマンは自社のコダックのカメラを初めて発売するにあたり、この軟質フィルムの利点を活用しました。カメラの購入者に、撮ったフィルムを工場に送り返してもらい、現像するようにしたのです。以来、デジタ

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【技術史】写真・映像技術3

【技術史】写真・映像技術3

ダゲレオタイプの難点は、露光時間と画像の複写ができないことでした。イギリスの科学者ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットは、自身の科学的観察を正確に記録するために、写真の現像法の発明に取り組みました。1835年には、紙を食塩水と硝酸銀の溶液に交互に浸して表面に酸化銀を生成し、感光紙とする手法を考案しています。露光した塩化銀によって、暗い銀のネガが形成されたのち、新たに処理済みの別の加工紙と重

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【技術史】写真・映像技術2

【技術史】写真・映像技術2

カメラ・オブスキュラ(暗室)で得た像からスケッチ画を作成していた舞台背景画家のルイ・ダゲールは、ニエプスとの共同研究で、より優れた画像の保存方法を探りました。
1835年、ダゲールはヨウ化銀を塗った金属板に画像を写し出す方法を発見します。銅板に銀メッキをして、その上にヨウ化銀塗ることで、露光させた時に画像が保存されるというものでした。この手法はダゲレオタイプ(銀板)写真といわれ、それまで8時間かか

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【技術史】写真・映像技術1

【技術史】写真・映像技術1

写真技術の原型は、10世紀、一方の壁に小さな穴の開いた箱型の暗い空間(暗室)に、穴から光差し込むと、反対側の壁に外の景色が反転して映し出され、それを画家が筆でなぞることで、投影された風景を記録できるというものでした。

その後、1727年ドイツの化学者ヨハン・シュルツェは、塩化銀が日光にさらされると暗く変色することを偶然発見しました。シュルツェの発見から100年後、フランスのアマチュア発明家ニセ

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【技術史】ルイ14世の欲望が作り出した、マルリーの揚水設備

【技術史】ルイ14世の欲望が作り出した、マルリーの揚水設備


17世紀、フランスの王位にあったルイ14世は、巨大なものが大好きな王でした。1661年8月、王がボールビゴント城に招かれた時、城を見下ろす丘から見た庭園の噴水の見事さに魅せられ、自分の城にも壮大な噴水を作りたいと思うようになりました。王がパリ中心から19km離れたベルサイユにあった父ルイ13世の狩猟用の館を城に改造するとき、ここに王の権威を象徴するような噴水を作る決意をします。
しかし、噴水に

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