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【小説】筑紫国の押領使が毎日大根を二本食べ続けた結果「徒然草」より

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その里は、秋から冬に移り変わろうとしていた。

山へ、冷気が頂から流れ込み、その山腹を冷たく乾燥した風がなでつけ、その風が人々と家屋に容赦なく吹きつける。

山裾を絶えずに流れる川の水も、朝は凍るような冷たさであろう。その水は、地域の田畑を肥沃にし、人々に作物をもたらす。

この川の水を引き、農作物を育てる簡素な武家屋敷があり、ここにひとりの押領使がいた。

押領使とは平安時代に、朝廷より与えられた、地方の治安維持にあたる役職だ。

京の検非違使とは異なり、地方担当である。軍を率いてその任務に当たり、その任務は荒々しいものだったと考えられる。

警察機能はもちろんのこと、朝廷に歯向かう地方豪族も存在していたはずであり、彼の任は重要であった。彼は九州の筑紫国を担当する押領使であった。

その激しい任務とは対照的に、押領使の風貌は極めて柔和であった。

背はその時代の男性に比べて少し高い。コロコロと肉付きがよく、酒は強くはないが、酒席で人と話すことを好み、常に笑みを浮かべたような顔だちをしていた。

言葉には近畿のなまりがある。おそらく関西圏の出身で、ここに遣わされたのであろう。

彼は川の橋のもとに築かれた館の立地にちなみ、橋本の押領使と呼ばれていた。

いやもうひとつ、呼ばれ名があった。土地のものからはこちらの方が馴染み深かった。彼は親しみを込めて大根の押領使と呼ばれていた。

それもそのはず、彼は大根を愛し、旬の冬はもちろんの、春大根も好み、毎日二本の大根を食した。

押領司が住むこの地域は、大根がよくとれた。そして、彼の館ももちろん大根を作付けしていた。基本は細く長い品種であるが、太い大根もときおり採れた。

彼は大根を様々な調理方法で楽しんだ。

まずはそのまま焼く。炭でじりじりと焼いた大根に、醤油(のようなもの)を垂らすと、みずみずしさへ炭の香りと醤油が掛け合わさり、実にうまい。この炭焼き大根には、味噌(のようなもの)を合わせてもうまかった。

また、大根を酢で漬け込んだものを、炊きたての温かい飯に合わせても格別である。

彼が大根の押領使と言われるようになったもうひとつの理由は、大根で剣の稽古をしていたからである。

ところのものが、押領使が大勢の部下とともに、抜いた大根を用いて、剣の素振りを何回も行っているところを見たという。

奇妙な光景だった。押領使とその数十人の部下たちが、全員整列し、真面目な顔で大根を握りしめ、何回も、飽きることなく素振りをしているのである。農家のものが不思議な気迫にやられ、その姿をぼうっと眺めていると、「この大根の太さが剣の素振りにちょうどよいのだ。さぁ、もう行くがよい」と押領使はその柔和な表情をたたえながらぼそりと話したという。

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その年の冬、不思議な出来事とともに、荒々しい出来事が立て続けに発生していた。

まずは点在する複数の農家から大根が大量に盗まれた。盗人は山裾に点在する村から、ただ大根だけを盗み、その他は何も手を付けず、家人にも手は出さなかった。それも全ての大根を盗るわけではない。必ず困らぬ程度の大根はそのまま残されてた。いや、それどころかこの地域では珍しい種類の山菜を必ず残していた。

この話が村中に広がると、村の者たちは自警団を作り、夜間、何人かの若者を集め、寝ずの番についた(冬であるし夜食は煮た大根と酒に違いない)が、犯行はすっと鳴りを潜めてしまう。

そして、村のものがもうよいだろうと警備を緩めると、時を見計らいまた大根が消え、代わりに山菜が残される、そうした事件が旅重なり発生した。

ある晩、夜警の中、一人の若者が、男が背中にいっぱいの大根をくくりつけ、山裾に消えるのを見かけた。

眠る複数の仲間を急ぎ起こして追いかけるが、若者たちも、くくりつけられるだけ大根を背負った男が、妙に陽気な鼻歌とともに山へ向かうのを目にすると、気持ち悪さから気が遅れ、そのうちにかなりの距離ができ、逃してしまった。

不審者は山の岸辺に消えていったことから、土地のものは、これを山裾の変賊(変な盗賊の略で彼らの造語である)と呼んだ。

こうした山裾の変賊事件が起き、たち消え、そしてまた起き消える、こうしたやりとりが何回か起きたあと、冬の最も寒い時期、禍々しい事件が村を襲った。

ある家族が襲われたのであるが、この事件は凄惨を極めた。一家は老若男女構わず殺害され、着古しの衣類も余すところなく、家財、そして家畜、大根も含め農作物も全て盗まれたのだった。それも一晩で二家族が同様に襲われたのである。

あとには山菜が無造作に残されていた。

その凄惨な事件のなか、ある一家の母子だけが奇跡的に難を逃れ生き残った。

母と子はちょうど胸騒ぎがし、納屋の様子を見にいったのであった。親子はその朝収穫した大根が、山裾の変賊に盗まれてはいないかと心配になったのである。そして彼らは母屋での異変に気が付き、すぐさま納屋を離れ、隣家に駆け込んだ。

彼らは盗賊たちの風体を離れたところから目撃していたが、暗い自分であり、また恐ろしかったこともあり、顔立ちなど特徴は確認ができなかった。

あまりの凄惨な事件であったため、村のものは恐れ、翌朝、母子とともに大根の押領使のもとへ駆け込んだ。

彼らは、今現在は鳴りを潜めている奇妙な大根泥棒の話と、昨晩の凄惨な出来を知る限り話した。そして、両事件ともに山菜が残されていたという手がかりを伝えると、押領使はすぐに何人かの部下を村に遣わし、母子はしばらく彼の館に住まわせた。

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その晩、押領使は、少しの部下とともに、焼き大根の夜食と酒を口にしながら、昨晩の盗賊を捕縛すべく策を練った。

まず彼らにとって奇妙に思われたことは、犯行の手口が、大根泥棒と昨晩の猟奇的事件で全く異なっていることであった。

はじめの事件は大根が盗まれ、代わりに山菜が残された。

昨晩の事件は一家が惨殺され、大根だけではなく家財が全て盗まれていた。残ったのは母子と山菜である。

手口の違いは奇妙ではあったが、まずは山菜を手がかりに犯人を追うしかないと考えた彼らは、山菜の特徴を村民から聞き取り、翌朝早々から捜査を開始することにし、部下を二手に分けた。

まず片手三名は残された山菜の産地を手がかりにした。彼らは山菜が取れる地域を中心に、おそらく大根が貯蔵されているであろう屋敷を探すよう命じられた。

もう片手の十五名は手荒な強盗がまた姿をあらわした際に備え、村付近の国分寺に泊まり込んだのである。

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数日がすぎ、事件が動いた。

まず三名の組が大根を多く蓄えた家屋敷を発見したのだ。

屋敷とはいえ、その家は非常にこぢんまりとしており、不釣り合いなほど大量の大根が納屋に収められていた。そして、もちろんここは事件に残された山菜がよく採れる地域であった。

小屋には一人の男が住んでいた。

男の背はこの時代にはかなり高く、約六尺あるように見えた。またかなり痩せており色白だが、がっちりとした体つきである。顔立ちもほっそりとしているが、目つきはまるで聖護院大根のようにまるまるとしていた。

あまりに不審な量の大根から、彼らはこの男を事件と関係があると考え取り押さえると大根の押領使の館に連行した。

そして、すぐに聞き取りを行った。大根は盗んだものではないか、仲間の存在がいないかなどである。男にはそれなりの拷問が加えられた。

男は「大根は盗んだが家は襲っていない。単独であり仲間はいない」と言ったが、あまりに大量の大根であるため仲間の存在は疑わしかった。

押領使はもう少し手がかりを欲していた。

そこで、母子を男に引き合わせることにした。恐る恐る男の姿を見た母子も、禍々しい夜のことであるため記憶は定かではない。母は全く判断がつかなかったが、子は気丈にも逃げながら母屋の犯人の背丈を覚えており、この男は犯人ではないと言った。「当夜はこの男のように、背丈が高いものはいなかった」と。加えて「もしこの男が先の大根泥棒であれば、私達親子は、結果的にこの者に命を救われたことになります」と言った。

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押領使は大変悩んだが、さらに少しの聞き取りをしたのち、その男、大根泥棒を解放することにした。害悪は無いと見たからだ。

押領使は男に二つの質問をした。

まず「なぜ大根を盗んだ後、山菜を残したのか」ということ。つぎに「誰かにその山菜を手渡してはいないか」ということである。

男は押領使にこう答えた。

山菜を残したのは大根の代金のつもりであった。山菜は時折顔を見せる首に獣傷がある者へ渡したことがある。その者は明らかにみじめな風体で、誰もいない人家や墓のお供えものから、少しばかりの食べ物を盗んで生活しているという。ぼろを着ている彼を哀れに思い、時折自分が目をつけた大根畑について、分前のつもりで何度か話をした。さらに大根をいただいた後はお礼としてこの山菜を残しなさいと。これはいただきものなのだからと。

押領使は続けて「その盗人は数日前にお前の家を訪れたか」加えて「大根畑について訪ねたか」と聞いた。

大根泥棒は「ちょうど私が捕縛される前日に私の家に来ました。山菜を渡し、次はあの山中の村が時期だろうと話しました」と答えると「お助けいただきありがとう存じます。私とあなた様は立場は違えど、同じ大根好きでございますね」と残し、その場を去って行った。

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その晩、六人の賊が、ある山中の村の人家を狙っていた。そのうち一人は恐ろしく表情がなく、首元には大きな獣傷が残されていた。

六人は刃物や鈍器を片手に闇に紛れ、その屋敷裏に潜む。

獣傷の男が耳を澄ますと、人家には物音ひとつしない。

男が目で合図をする。

途端に、六人の賊が荒々しく戸口を蹴り破り、人家に押し入る。

すると間髪を入れず、二十人ほど、押領使の手のものが、彼らの前に立ちふさがった。

何人かの男たちは抵抗する間もなく縄についたが、獣傷の男は仲間を蹴り飛ばし、隙をつくると、乗じた仲間と闇の中に消えていった。

-末-

その日は、きれいな晴天であった。

この日も、押領使は大根を調理していた。

朝から醤油とともに煮込まれた大根はよく味が染みていた。いわゆるおでんのようであり、そのうまさは格別であろう。

押領使は、さてもうひとつは焼いてみようかと、生の大根を手に取る。

すると音も立てずにそろりと近づいてた先日の残党が隙を伺い、やにわ押領使に襲いかかったのである。

押領使は残党が目に入ると、ちょうど手に握られていた大根で応じた。

そして一人を大根でなぎ倒し、すぐさま拳で失神させるも、こう隙をつかれては十分な間合いが取れない。背後から迫る、もう一人の殺気が感じられた。

押領使は武道の手練である。この殺気では、もはやこれまでと思ったその瞬間、ぱこりと快く大根の割れる音がし、爽やかな大根のしぶきが飛び散ると、太く白い大根を脳天に一撃くらった残党がどさりと前かがみに倒れ込んだ。

そこには山裾の変賊が立っていた。

彼が背後から残党の頭を大根で打ちつけ、その後、首の獣傷のあたりへ、拳で一撃を与えたのである。

押領使が柔らかな笑みを浮かべながら口を開こうとすると、変賊はまるまるとした目で、押領使を静止し「私はあなたが毎日食べている大根の精です」と言い残し、その場を立ち去った。

気がつくと、屋敷には山菜が残されていた。

(おわり)

この話は徒然草「筑紫に、なにがしの押領使」をもとに創作をしてみたものです。この話は国語の教科書に載っており、奇妙な魅力を持った話だと思っていました。吉田兼好の原文では「何事も信じて続けることは徳行である。大根を毎日食べることでも」という教えがあります。

興味のある方はこちらのリンクから原文をご参照ください。
https://frkoten.jp/2016/06/16/post-1533/
たまたま Google 検索上位だったためこちらをリンクしています。

出典:フロンティア古典教室


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