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酒好きになり店を出したら人に騙され人に救われた話⑫

大学4年の春を迎える頃には
アルバイトとお酒を飲みに行くことが定番となっていた。

大学の授業は必修以外は午前に詰める
完全にアルバイト有りきの授業の組み立てだった。

午後まで授業があるときも遅れてアルバイトに向かっていた。
大学2年からはドームである試合はすべて関わらせてもらった。

そんな毎日を過ごすなかで
「自分でなにか仕事をしてみたい」
そんなことを思う気持ちが増していた。

大学3年の秋から
合同説明会が始まっても
就活が全く身に入らない

それどころか
ドームで合同説明会があったときも
同い年がスーツでしっかり参加しているのに対し
私は同じ会場で仕事着を着て学生の案内をしていた。

そんな中、唯一やる気を出して
望んだ面接があった
”キリンビール”と”アサヒビール”だった。

両者とも書類審査を通り
一次面接を受けることになった。

いろんな学生がいる中で集団面接が始まる。

3人の面接官が聞いてくる
「弊社に入って将来何がしたいですか?」

その質問に何の躊躇もなく
「御社でお酒のこと学んでBARを出したいです!」
明らかに間違っていた答えだと、今となっては思うが
当時の私は真面目に答えていた。

「思い切った事言うね!」
面接官も半分呆れながらの返答のように聞こえた。

緊張もせぬまま面接が終わると
数日後、不採用の通知が届いた。

なんとなく
「BARをやりたい」
この本音を呆れながら返答されたのことが癇に障っていた。

希望する2社を落ちたあとは
就活に対するやる気のなさは拍車がかかった。

就活の2次面接よりアルバイトを優先するなど
内定がないのに何とかなるだろうと楽観視していた。

大学4年の秋頃
周りの友達の内定がある程度決まりだしていた。
皆が就活の話を繰り広げる中で
自分だけ何も決まってないということに焦りを覚えていた。

そこから就活に力を入れ
何とか3社内定を勝ち取った。

しかし、その3社は今でも名前を覚えていないほど
自分にとってはどうでもいい会社だったのだろう。

やる気のない無気力な日々が続く
”本当に自分がやりたいことをやらずに後悔しないだろうか”
そんな自問自答を続けていた。

そんな大学4年の冬だった。
よく店に通っていた
”灯楼”のオーナー酒井智矢から声がかかる。

「一緒に店やらない?」

就活をしたわけでもない
灯楼からのその言葉はどんな就活の内定より嬉しかった。

しかし、いち個人店への就職であるものの
自分の中での答えは決まっていた。

「やらせてください!」
後先を考えない答えだったろう。

すぐに両親を説得に動いた。
当然、反対はされたものの
最終的には自分の判断に任せてもらい
飲食店の道へと進むことになった。

とはいえ
飲食店未経験の自分に何が出来るかなど
全くわかっていなかった。

大学4年の冬
”灯楼での勉強”が始まった。。。



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