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孤児だった祖父が縁もゆかりもない子に学費を出すことで救われたかった話

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スタートトゥデイの前澤社長が2019年に総額1億円のお年玉プレゼントを始めてから、お金配りをする人が増えましたね。金持ちの道楽だとみる人もいると思いますが僕は非常に好意的にとらえています。というのも身近に似たことをした人がいたからです。今日はその話をしたいと思います。

9歳で孤児になった祖父

もう10年以上前に亡くなった母方の祖父の話です。9歳で病気で両親を立て続けに亡くした祖父は、学校に行くことができないまま大人になりました。

親がいないということは
「コイツをどんな目に合わせても親が出てくることはない」
という残酷な悪意をも向けられてしまうことがあるということでもあります。そんな悪意により文字通り死にそうな目にあいながら、必死に働いて大人になった祖父は、なんとか自分で商売を始め家族を作りました。

赤の他人に無償で学費を出した祖父

少なくとも生活に困ることがなくなった祖父は、知人の子供で経済的な問題により学校に行けない子供に、無償で学費を出していたそうです。この事実は僕がだいぶ大人になってから、祖父の娘である母から聞きました。

学費を断りにきた中学生

祖父が資金の援助をしていたその少年が中学生になってしばらくたったある日、祖父の元を訪れ

「学費の援助は今日限り結構です」

と言いました。「恵んでもらう理由なんてない」というのがその理由でした。

小学生時代から祖父の援助を受けていた彼は、思春期になり大人への入り口を歩み始めるとともに、突然そんなこと感じるようになったようです。

「学校は辞めて働きに出る」という彼に「そんな事を気にするな」「そんなつもりでやってない」を繰り返す祖父。長時間の押し問答を経て、祖父の言葉も虚しく彼は、二度と援助を受けない事になり帰って行きました。当時を目撃した母の話だと祖父は、その時大変に落ち込んでいたそうです。

助けて欲しかったのは祖父の方

まだ祖父が存命だった時にその話を知り、僕はなぜ祖父が他人の子に資金援助などしたのだろうと考えました。そして「じいちゃんは今でも両親が死んだことで学校に行けなかった小さかったあの頃のことに苦しめられてるんだ」と思い至りました。

当時、祖父に直接具体的な話を聞くことはできなかったこともあり、ここからはあくまで僕の想像も含まれるため「おそらく」という言葉が頭につきます。

振り返ったら沸いた疑問

そもそもなぜ祖父は赤の他人に学費を出したのか?なんとか生活に困らなくなった祖父は、ふと過去を振り返ったと思います。

〈なんとか必死に働いてここまで来た。家族もできた。よかった。・・・・でも。子供のころ、学校に行くことができていたら俺の人生は今頃どうなっていたんだろう?もっといい人生だったんじゃないだろうか?もっと知らない世界を知ることができたんじゃないだろうか?もっともっと俺はすごい世界に行けたんじゃないだろうか?いや、学校に行けなかったことで沸いたパワーのおかげでこの人生になれたのか?学校に行けなかったおかげだったのか、行けなかったせいだったのか?どっちだったのか知りたい・・・〉

戻れない過去のやり直しを他人の人生でせめて疑似体験させてほしかった

そんな疑問をずっと抱えていた祖父は、知人の子供が経済的な理由で学校に行けないことを知ります。きっと祖父はこう思ったと思います。

〈この子はあの時の俺だ。お金がないことで学校に行けなかったのはつらかった。悔しかった。苦しかった。そんなのは嫌だ。でも俺はもうあの時の俺を助けてやれる!そしてあの時、学校に行けたならどんな人生だったのか?あの時の人生の分かれ道で、進めなかった道に進んでいたらどんなふうになるのか?この子の人生でどうか俺に見せてくれ。知りたい。どうか君の人生に乗せてくれ。どうか。〉

あの中学生は、祖父にとって過去の自分そのもの。そしてそれと同時に、自分の過去の理不尽を救ってくれるかもしれない救世主だったと思います。自分が歩めなかった道を歩んで過去の自分のかなえられなかった可能性を見せてくれるかもしれない。もしもそれで想像以上にすごい人生を彼が歩んでくれたら、きっとこう思うと思います。

〈ああ・・・そうか。俺は学校に行っていたら今よりももっともっとすごい人物になれる道が用意されていたんだ。〉

一見すると悔しいという感情を抱きそうな感じだけど、学校に行ければ誰でもすごい人物になれるわけではありません。だからこそその時に抱く感情はきっと「うれしい」だと思います。「俺が今の人生に甘んじているのは、学校に行けなかったからということだけが原因なんだな。学校にさえ行けていれば。ただそれだけだったんだな。」と。

助けてるつもりが助けられて、その逆もまた。

余裕があるから助ける、当たり前だから助ける、見てられないから助ける。人が人を助けるのはたくさん理由があるし、理由なんてないってこともあると思います。でも過去の苦しみから助けてほしいから人を助けるってこともあるんだなと思います。そしてそれは何一つ悪いことではない。むしろいいことだと思います。人が群れで暮らす生き物であるからこそ、できること、起きていることなのかなあと思いました。人が人を助けるのは助ける側に助けられた側がお礼を言うものです。しかしそれはあくまでたくさんある一面のうちの一つに過ぎなくて。苦しんでるように見えない人が、実は苦しんでたりして。楽に生きてるように見える人が実は助けを求めてたりして。でもそれはあまりにも理解してくれる人が少ないから言えないだけなのかもしれなくて。

何もなくても受け取るという行動はできる

祖父の時代は現在と違って、学歴のない人には問答無用でチャンスがない時代でした。どんな人格者でも、どんな技術を持っていても「学がない」というだけで苦労し続けることがほぼ確定していた時代でした。そんな時代に学だけでなく親もない祖父は、「学はないけど親はいる」人からも邪険にされ、孤独をともなった想像を絶する映画のような人生でした。そんな苦しみをずっと引きずっていた祖父を助ける意味でもあの少年には、祖父の助けを求める手を振りほどいては欲しくなかった。でも彼の目には「恵んでもらっている」としか映らなかったのでしょう。「受け取る」ということが相手を助けるということにもなるということを、知っておくだけで何も持たない人にも、人を助けることができることを忘れないようにしたいです。

受けた恩はその人に返さなくても次の誰かに返せばいいんです。赤ん坊のころに母親が飲ませてくれた母乳を、我が子に返すように。

あとがき

現在お金配りをしている人たちの思いが、僕の祖父と同じなのかはわかりません。しかし、単に「金持ちの道楽」ととらえるのは違う気がします。せめてお金配りをしている人たちの中で、「お金のない状態から這い上がってお金持ちになれた人」はお金のない状態も知っている人です。その人の言葉だけでも聞いてみてはどうでしょうか?

おまけ

学費を断ったあの中学生は、祖父の葬式ですっかりおじさんになった姿で、祖父の遺影の前で両手をつき謝りながら声を上げて泣いていました。


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