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祖父・父・僕の仕事観の違いから気づく。戦争の無い世の中にどう生きるか。  #未来のためにできること

僕は高校生に起業という働き方を教えることがある。

その過程で、自分の祖父や父がどのような理由で仕事に就いたのかを調べた。
すると、彼らの仕事観は僕とは大きく異なることに気づいた。



父方の祖父は職業軍人で、太平洋戦争で戦闘機に乗っていた。
操縦する戦闘機が燃え、重傷を負ったが、生き残った。しかし、左目の下まぶたは焼けただれ、鼻は焼け溶けて半分無かった。
生前の祖父は戦争の話が多く、冗談も言わない厳しい人だった。

そんな”まさに軍人”の祖父だったので、僕は祖父が望んで軍人になったと思っていた。
しかし、父によれば全く違った。
親が全部決めたと言う。
つまり、祖父の仕事は曽祖父が決めたのだ。曽祖父が幼い祖父に陸軍士官学校に行くように命じたらしい。


母方の祖父は呉服屋で丁稚奉公をしていたが、それも祖父の親が一存で決めたという。


祖父たちの仕事は実質的に親が一方的に決めていた。


父はどうやって仕事を決めたのか。
公務員の父は、「安定している仕事を選んだ」と言っていた。
幼い頃貧しかった父は、安定こそが仕事観の中心だった。

父と同世代の伯父も、
「俺たちの時代はおかしな時代だった。どんな仕事をして、どう生きるか、自分で決めた気がしない。社会に決められた気がする」
と言っていた。

つまり、良い学校に入り、良い会社で定年まで勤めることが幸せとされ、それに誰もが盲目的に従っていたのだ。
起業した僕を羨ましいとも言った。


僕はなぜ起業したのか。
32歳の時に親友が他界し、「人生は短い」と悟り、昔から挑戦したかった起業に踏み切った。要は、人生に悔いを残さない為だ。



祖父や父の時代には戦争や社会の圧力があり、親や社会が仕事観を決めていた。彼らは自分の意思を貫くことが難しかった。いや、意思を持つ発想すら無い人が多かったのではないか。



一方、そんな祖父の世代から全ての日本人が努力し、少しずつ積み重ね戦争の無い平和な社会を作り上げてきた。
更に、人生を自分らしく生きる仕事を好きに選ぶという今となっては当然の価値観も広まってきた。
この価値観は、祖父の世代には無かったものだ。


僕は高校生に伝えた。

「世の中は良くなってきている。

今は選べる。起業に限らず、好きなことにチャレンジしてほしい」


祖父と父と僕。仕事観は時代の流れと共に変わってきた。

その変化と、そこに生きた人々を次の世代に伝えることが、僕が未来のためにできることだ。


#未来のためにできること

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