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2000年代個人的邦楽10選Ⅱ

いろいろな年代の邦楽洋楽を行ったり来たりで忙しないですけど、今回は2000年代邦楽の第2弾で。前回が僕の記事にしたら思いのほかメチャクチャ「スキ」が来て自分でも驚いていたのですが、今回も思い出の曲を中心にやっていきたいと思います。前回ほどのエピソードもないかな、いや同じ時期なので似たような思い出がいくつか出て来るような気もしています。やってみないと何を書くか分からないところがこの「個人的10選」をやっていて飽きないところでもあります。そんな感じでまたちょっとした個人的なタイムトラベルに付き合ってもらう感じになるかもですが、どうぞ。


VITALIZER / KICK THE CAN CREW (2002年)
僕の大好きなヒップホップグループ、キックザカンクルーの2002年のアルバムタイトル曲です。僕はこの曲はシングルだと思っていたのですがアルバム曲なんですね。だからPVとかなかったんや。この曲を初めて聞いた時は「とんでもないバイブスが漂っている」としか思えなかったです。何というかヒップホップの本場の空気感とでもいうか日本じゃないオシャレな本場感、高級感、クラブのドープな空気に浸りながらスイングする身体と精神、そんな感覚をここまでリアルに表現できる主にサウンド面でキックの屋台骨だったKREVAの底知れないトラックメイカーぶりにただただ脱帽するしかなかったです。一番脂が乗っていた時期に作られたトラックだと思うので、余計にKREVAの人生の一番深いところ、もしくは頂上を垣間見る感じがイチファンとしては嬉しかったですね。今でも大好きな曲の一つです。


花鳥風月 / ケツメイシ (2003年)
この2000年代初頭って日本におけるヒップホップ文化が大きく花開いてキラボシのごとく才能あふれるアーティストが次から次へデビューしてブレイクしていってましたよね。リップスライムとかノーバディノウズとかキックとかホームメイド家族とか(カタカナでごめんなさい)。そんな中でも一番売れたのがこのケツメイシだったんじゃないでしょうか。このシングルが入った「ケツノポリス3」もよくMD作る時に今回は外しましたが大好きな「はじまりの合図」やこの「花鳥風月」を録音したくてしょっちゅうTSUTAYAでレンタルした思い出があります。まあかなり売れ線狙いで本物のヒップホップ志向の人からどう見られていたのか気になるところではありますが。でも楽曲は本当に聴きやすくてヒップホップというジャンルの敷居を低くしてくれた功績は大きいものがあったのではないかと思ったりします。情緒性がヤバいですよね、この曲は。秋の夜長に聴くとトリップしてしまう心地よさが溢れるみたいな。そういう感性は日本的でありながら今までになかった新しいかつホンモノだったのでこの時代の日本のヒップホップは個人的にかなり好きだったりします。


サンキュー / GOING UNDER GROUND (2004年)
この2004年というのが個人的にとても印象深い年でして。それまでずっと家で引きこもっていたのですが、幼なじみの友人の塗装店でようやく働き出してたのが2004年の夏から秋にかけてで、その塗装工場のラジオから流れてきた音楽がまるで生まれたての赤子をあやす子守り歌のように僕の魂の奥底まで響いてきて未だに印象深い記憶を刻んでおります。それに心なしかいい曲が多くて余計にエモーショナルな時間空間を体験してしまった、そんな感じもしています。ここから4曲くらいが特に印象に残った楽曲でして。さすがにもう20年前なのでその当時のヒリヒリした若い感受性はもうないのですが、人生が大きく変わっていくあの節目に鳴り響いていた切ない感じはまだかろうじて感じられたりするので宝物みたいな音楽ですね、僕にとって。でももうあのリアルな心の揺れはもう体験できないでしょうね、歳を取るというのはこういうことですかね、ようやくわかってきました。


君の街まで / ASIAN KUNG-FU-GENERATION (2004年)
この曲のように僕も僕を連れ出してくれた幼なじみの友人の塗装工場のある街まで働きに行ってまさに「君の街まで」というタイトルがこの時期の僕の心象風景と重なって余計に響きましたね。それまでほとんど家にしかいなかった僕がいきなり働き出してそれまで見たこともない街の風景に圧倒されるみたいなインパクトがありました。町工場の街並みだったりするのですが、それが返って新鮮で。訳の分からないうちに働いて心はまだあの部屋の中に深く閉じこもっているのですが、身体はこの工場に出てきて働いているというあの分離感、離人的なイッサイガッサイ。そしてそのストレスのすき間から流れ込んでくる極上のJ-POP。僕自身それまで洋楽しか聞いてなかって90年代半ばで邦楽の記憶がほぼリアルタイムでは止まっていたのですが、本当に一気に未来に来たかのような邦楽の進化にただただ驚くばかり。実人生も労働の中に放り込まれるというコペルニクス的な転回を果たしている真っ最中だったりしたし。引きこもりからの脱出というのは大げさじゃなくて僕の人生のハイライトだったのかもしれません。あれがなかったら今頃まだ引きこもってどうしようもなくなっていたか、とっくに自殺していたか、だったでしょうから。だからこそ引っ張り出してくれた幼なじみの友人には感謝しかないですね。


黄昏サラウンド / RIP SLYME (2004年)
リップスライムで一番好きな曲です。若い頃はリップスライムの尖ったセンスの良さが好きでしたね。この曲はさらに押し上げ感が凄いと言うか、情景描写が半端ないです。あの頃ラジオから流れる曲の中で一番好きだったりしました。もう夏の黄昏感が半端なくてまだ残暑が残るあの季節にドンピシャで。そして引きこもり上がりの僕の感性にもハマりまくって。心地よさは人生でも最上級って感じはしていました。あの塗装工場の空間で。まあでも引きこもりあがりの僕には仕事はただただ苦手で出来ないことだらけで怒られてばかりのしんどい職場でもあり、友人だからとかそんな甘いことは仕事の出来なさが目に余る、そして元不良の友人とその仲間に取ったら「殺気」立った怒りをぶつけて来たりで、かなりハードな体験でもあり。そんなにいい思い出でばかりでもないのですが、過ぎ去りし日々はどうしても美しく着飾って見えてしまいがちですかね。そんな記憶にこの曲が鳴り響いているから余計に甘く切なく僕の中に残っているのかもしれません。


モノクロレター / 矢井田瞳 (2004年)
僕と同学年のヤイコこと矢井田瞳の名バラードです。あんまり有名じゃないかもですが、かなりいい曲だと個人的に思っております。何とも言えないノスタルジックに響く歌詞とメロディ。僕のそれまでの引きこもりの日々を過去にしていくような優しさもあり、まだ感受性も思春期の鮮烈さを色濃く残しており、この曲も魂の底まで響いてきましたね。やっぱり誰の人生にもある人生の大きな変わり目で鳴っている音楽って、どうしようもなく記憶に残るものですかね。ちょっと引きこもりの場合はややこしくて「偽りの自分」で生きてきたからこそ、引きこもるのであって、リアルな自分の感性というものから少しずれた不完全な感受性でこういう曲を心に響かせるものだから、その後に自分の元々の「枠組み」に戻った時、それまでの「偽りの自分」の記憶が記憶喪失みたいに消えて、そこで感じ取っていた音楽などの情景が思い出せないという逆説もあったりするわけです。ややこしい話であまり理解されにくいことかもしれないですが、言語化すればそんな感じで。まるで別人格が体験したことを他人事のように映画で見るみたいな。まあ相当病んでいたってことがおわかりになるかも、です。まあでもそこをなんとかサバイブして今があるわけですから、あの時は先祖一同必死に僕を生きさせようと応援してくれてたんやなって思ったりします。「このまま終わるなよ」って。見えない力のサポートが半端ないって感じも受けましたから。


雨待ち風 / スキマスイッチ (2005年)
個人的にスキマスイッチ最高のバラードだと思ったりします。2005年は前年の引きこもり脱出劇が何とか上手くいって、でも塗装業は引きこもり上がりの人間にはあまりにもキツイということで無理言って辞めさせてもらい、自分ひとりで出来る「新聞配達」の朝刊夕刊のアルバイトを始めて軌道に乗ってきた時期です。邦楽もFM802のランキング番組からいろいろチェックして「これは」っていうのをリストアップしてMDに録音していくという趣味にも興じていました。ある意味人生やり直し、青春の第2弾みたいな時期ですかね。何故か本当の思春期時代は前に書いたように「偽りの自分」で生きていて離人症的だったのでおそらく引きこもりになったのもそういう「偽りの自分」を壊したかったから、だったと今では思ったりします。それは先祖代々受け継ぐものだったり、親との関係だったりいろいろと絡まっていて一概にこれはっていうことは言いにくいですけど、偽りの自分であったのだけは間違いなく、だからこそ時間はかかっても自分を取り戻す旅に出るために「引きこもった」とも言えると思います。だから一度底辺に足を付けてからどうしようもなく社会的に恵まれない状況からの出発となりましたが、魂レベルで本当の自分を生きるためには必要な過程だったと思ったりします。まあ今でも世間的に見たら「下流」、格差の底辺とかになるのでしょうけど、魂偽ってまでお金とか持っているよりはいいと思うので、僕はこれで良かったと思っています。


You / 木村カエラ (2006年)
一時木村カエラの大ファンでして。その木村カエラの曲で一番好きだったのがこの曲です。今はほとんど誰も知らないと思いますがテレビ神奈川制作で関西ではサンテレビで放送していた「saku saku」という人形と若い女の子が屋根の上で座ってトークや音楽を紹介するという番組をしていて。思春期2回目の僕は新聞配達の夕刊配り終えた金曜日の18時からこの番組を見るのがめっちゃ楽しみで仕方なかったです。久しぶりに一週間早く来ないかなって思えた番組でした。「白井ヴィンセント」とかでしたっけ、人形、その吹き替えの声の人がダウンタウンも顔負けみたいなトーク力の持ち主で、2回目の思春期やっていた僕のツボにハマって、かなりテレビの前で笑っていましたね。まあ同学年の20代後半の公務員やっていた友人が見たら「何がおもろいねん」って感想でしたが笑。まあ周回遅れのやけっぱちの感性には響いてましたし、木村カエラのスター性はその頃から際立っていた、こんなローカル局で終わる器じゃないと思っていたら本当に歌手デビューしてスターになっていき、「saku saku」もあっという間に卒業して行ったりでしたね。まあ「2回目」の青春のいい思い出(?)ではあります。


Stay Gold / 宇多田ヒカル (2007年)
宇多田ヒカルも「2回目」の青春時代によくラジオから流れてきて毎回MDに録音したくなるような名曲をリリースしていましたね。たぶんこの曲の入った「HEART STATION」を最後に長期休暇に入ったんじゃないかな。だから何となくこの曲から彼女の集大成みたいな「ラスト感」を感じて印象に残っている感じです。実際僕はこの曲はリアルタイムで知らなくて、あとから「宇多田ヒカル」のベスト盤的なMD作る際にこのアルバムからこの曲をそのMDのラストに持ってきてめっちゃハマったりしていました。天才の最後のため息みたいな終わり方、その感性の鋭さはやはり唯一無二だったかも。今も時々凄い曲をリリースしているみたいですが、あんまり知らないです、すいません。10代後半から20代前半の彼女はやっぱり時代を動かしていたなあって懐かしく思ったりする世代です。


深夜高速 / フラワーカンパニーズ (2009年)
この曲も衝撃的な名曲でしたね。リアルタイムでは知らなくて後からたしかNHKだったか忘れましたが「こんなすごい名曲がある」って感じで紹介されて、一時話題になっていたのを朧気ながら覚えています。実は僕このフラワーカンパニーズをその10年以上前に大阪梅田のライブハウスで生で観たことがあるんです。1999年とかでド引きこもりで。塗装業の友人とは別の幼なじみの友人が引きこもってばかりの僕をライブに誘ってくれて当時はまだ外に出ていくようなタイミングではなくてかなり病んでいてしんどかったですが、このフラワーカンパニーズのパフォーマンスは覚えています。でもやっぱりまだアングラというかインディーズっぽい雰囲気のバンドで10年後のこんな名曲を書く感じには見えなかったです。ファンの人には申し訳ないですが。でもやっぱりそういう苦労というか売れない時代のいろいろな苦悩がこういう名曲に昇華されるっていうストーリーとかやっぱりいいですね。「生きててよかった、生きててよかった、生きててよかった、そんな夜を探している」って歌詞が極上のメロディに乗って胸に刺さりまくります。ウィキペディアで調べたら2004年の曲らしいですが、2009年にこの曲の賛同者のアーティストによるトリビュートアルバムが出て再録されたものがFM802のヘビーローテーションになってまた注目されてヒットしたということらしいです。なのでここではこのまま2009年の曲で通します。このライブも件のNHKの特集とかからかも、です。


まあこんな感じでしたが、やっぱりこの時代は人生の一大転機でもあったので書いていくうちに熱量が上がっていろいろと書いてしまいました。人生の華なんかな、やっぱり「ひきこもりからの脱出」は。もっとカッコイイ華がよかったですが、命を懸けて輝かせていたってことでは間違っていないかもです。今はせっかくここまで来たのだからしぼんでいかないように、持続可能な形でなるべく無理なく続けていってそこそこでフィニッシュ出来たら、と思ったりします。まあでも一回落ちたらなかなか這い上がるのは難しいですね、それはあれからずっといろいろ頑張ってきて一番感じることでもあるので、自分はなくても流れで安定に乗るってことも必要だったかも、とかいろいろと思い返すと、思ったりします。でも後悔は何も生み出さないので、今ある人生と現実となるべく向き合って時に妥協しつつ生き抜いて行けたらと思ったりします。今回も個人的な要素が濃い感じで失礼しました。ではまた何かの10選とかで。

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