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「一流のリーダー」への誤解

column vol.301

現在、私は一企業の副社長として陣頭指揮をとる上で、日々リーダーとしてどうあるべきかを勉強している最中なのですが、東洋経済オンライン【できるリーダーは「存在感が薄い」納得の理由】という記事にとても共感したので共有させていただきます。

〈東洋経済オンライン / 2021年5月11日〉

私が20代〜30代前半の時に目指していたのはカリスマリーダーです(笑)。みんなの先頭に立ち引っ張るリーダー。しかし、「存在感が薄いリーダー」の重要性をヒシヒシと感じる今日この頃です。

リーダーに必要な「恥」への自覚

東洋経済オンラインの記事では論語をもとにリーダーの心得を語っているのですが、老子の教訓にこんな素敵な言葉があります。

子貢、問いていわく、いかなるをか、これを士というべき。子のいわく、おのれを行うに恥あり

つまり、「自らの振る舞いに恥を持てる人」であることが重要ということです。

「恥」とは、自己啓発の根本。自分の言葉や行動に対して恥を持てるか。このことが、人間の質を大きく左右するというわけです。

小狡く生きて出世したとしても、所詮はリーダーにはなれない。常に自分の恥を感じて自分を律することができること。そして、恥を原動力に自己研鑽できることが、人心を得ることに繋がります。

一流のリーダーとは?

老子は最高のリーダーをこのように表現しています。

猶として、それ言を尊ぶ。
功成り事遂げて、百姓みな、われ自ら然りと思えり。

つまり、リーダーたるもの余計なことをごちゃごちゃ言うのではなく、言葉少なくあることが大事と説いています。

部下が何かを成し遂げた時、「自分でやり遂げた」と感じさせることが肝要ということです。間違っても「な、オレの言った通りにやったら上手くいいっただろ?」なんて言うリーダーはリーダーではないと語っています。

私が昔お世話になった、とある商業施設の社長が飲み会の席で私に最高のリーダーの心得を教えてくださいました。

場を仕切るのは三流。丸投げするのは二流。一流は、「大して役になっていないけど、あの人がいると上手くいく」と思われること

そのようにおっしゃっていました。

もっと言うと、「なんかあの人がいると雰囲気が良い」でも良いです。より漠然な方が良い。その方が、リーダーは社員の自立性を促せていることになります。

社員全員が「この会社は自分がいて成り立っている」と思うことが理想です。リーダーとは、あくまでも社員のお膳立てをすること。主役は社員であると見切ることが重要になります。

120%の力を発揮する組織を作るには

もう一人、老子流のリーダーシップを教えてくれた人がいます。それは私と一緒に副社長をやっている4つ年上のI先輩です。

I先輩の凄いところはI先輩のチームメンバーはいつも生き生きとしていて、120%の力が漲っています。

チームメンバーは時に「I先輩は頼りない」と言う時もあります。でも、みんなI先輩が大好き。本当にみんな主体的に仕事を楽しんでいます

そんなI先輩にあやかろうと同じやり方をしたこともあります。わざとできないフリをして社員を頼る。でも、I先輩のように上手くいきませんでした。

それどころか、「池さんは私たちに丸投げしている」と厳しく批判もされることもありました。つまりは私は二流の丸投げ上司にしかなれなかったのです。

そして、40歳過ぎてぐらいから、ようやく二流のリーダー(丸投げ上司)一流のリーダー(存在感が薄い上司)の違いが分かるようになりました。

二流はただただ仕事を任せるだけ。それに対して一流は、いかに社員のモチベーションが高まるかを考えて任せています。つまり、やる気をちゃんとデザインしているのです。

どういう言い方をするとその社員のやる気が出るのか。そのことに細心の注意を払い任せていく。任せた後もモチベーションを維持するためのサポートをする。そのことに対して不断の努力を行なっている。

そして、それが社員の成果に導き、本人の自信に繋げていると実感しています。そのことがリーダーシップとして大事であるということが、最近は本当によく分かりました。

とはいえ、頭では分かっていても、そんなに上手くできているとは思いません。しかし、まずは「恥」を知ることがリーダーへの第一歩。そんなことを自分に言い聞かせながら、良いリーダーになるための試行錯誤を繰り返しています。

いつか「存在感の薄いリーダー」になれるように。日々精進していきたいと思います。

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