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ショートメッセージ

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聖書から日々黙想をしている中で、短いひとまとまりのメッセージを書き留めています。それをおすそわけします。ご面倒ですが、聖書箇所について聖書を開くか、検索してくださると、いっそう身… もっと読む
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#ダビデ

歩むべき道を教えてください

歩むべき道を教えてください

詩編143:7-12 
 
143編は、いつ見ても、かつての大きな闘いを思い起こさせます。自分の思いで動くことはよくない。この詩の指し示すままに、私たちは身を委ねていました。「歩むべき道を知らせてください」と主に魂を向けていました。「御旨を行うすべを教えてください」と叫んでいました。しかし、このダビデの名が付せられている詩は、もっと悲惨です。
 
「私の霊は絶え果てました」とまで追い詰められている

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喜び踊る

喜び踊る

サムエル下6:12-15 
 
十戒の板などが入れられた神の箱は、ペリシテ人の手に渡ったときに、彼らに災いをもたらし、不思議な力を現したといいます。エルサレムを都としてダビデが定め、築いたとき、この神の箱を迎え入れていました。それにより、神の都の礎としたのです。オペド・エリムという人の名が遺され、主の箱を一時的に安置した家の主人だと記されています。
 
ウザの事件があって、神の怒りがあったため、ダ

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因果の制約から解放されている

因果の制約から解放されている

詩編4:1-9 
 
わが義の神。救いをなす神。祈りと呼びかけに応えよと求めているのではありますが、私を苦しみから解き放してくださった、とも言っています。先取りのようにも見えますが、すべて同じ一つのことだと捉えることもできるでしょう。ダビデの詩とされていますが、神への信頼の様子は、正にダビデらしいものだと思われます。
 
しかしまた、視点を換えて「人の子ら」にも呼びかけてきます。空しいこの世のもの

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沈黙の中で

沈黙の中で

詩編62:8-13  「私の魂はただ神に向かって沈黙する」と始まる第62編の詩は、人を陥れる者を前にして、頼りになると思います。救いが神にのみあることは、もちろん初めから分かっているはずです。そう告白しています。しかし私たちは、実際の問題の場面で、それを忘れがちです。目の前の現象にすっかり心を奪われて、うろたえないように、頼りとしましょう。 詩人ダビデが、「どのような時にも神に信頼せよ」と差し向け

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主とつながっていれば

主とつながっていれば

詩編27:1-6 
 
ダビデの詩であるとすると、ダビデは今ピンチです。「誰を恐れよう」との反語で勇ましく立ち上がっていますが、実は誰かを恐れている姿を意識しているからこそ、そう言うのです。「わが光、わが救い」と叫ぶのは、それが現実の目の前に見当たらないからです。「誰におののくことがあろう」と言うからには、恐ろしいものに直面しているのです。
 
肉を食らおうと近づく者が、そこにいます。たとえばサウ

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ダビデの系譜

ダビデの系譜

サムエル下7:25-29 
 
神はダビデに約束をしました。但し、神殿建設はダビデの手に任せませんでした。預言者ナタンからこの主の言葉を聞いて、ダビデは祈ります。主を称えるところを過ぎて、その祈りの終わりをいま味わいましょう。主のお言葉の通りになりますように。御名が崇められますように。聖書では、あちこちで現れるような祈りです。
 
ダビデの家が王の系譜としてここから始まるということは、嬉しい限りで

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神殿建設

神殿建設

列王記上6:11-14 
 
ダビデは神殿建設の意志を示したが、主により止められました。後を継ぐソロモンの手にそれは委ねられました。ダビデ自身はその完成を見ることなく、世を去りました。しかし神は、このダビデの信仰をずっと大事にすることにしたのです。建設の経緯はかなり詳しく記述されています。これらをすべてフィクションとするわけにはゆかないでしょう。
 
ところがここにはなかなか詳しい記録が遺されてい

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敵は本能寺にあり

敵は本能寺にあり

詩編55:1-9 
 
「私の祈りに耳を傾けてください」との思いは誰にでもあるでしょう。しかし「私の願いから身を隠さないでください」というのは尋常ではありません。神に「逃げるな」と言っているようなものです。これはダビデの詩とされています。ダビデはこの詩で、味方のような顔をしていた者が裏切って、自分を窮地に追い込んだことをしきりに訴えます。
 
それを滅ぼしてくれ、と主に向けてさかんに口にするのです

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後の記録であるとしても

後の記録であるとしても

サムエル下7:8-16 
 
ダビデが名実ともに王となり、主を慕う余りその神殿を建てようと考えます。ダビデはまず預言者ナタンに提言します。この思いつき自体が悪いものとは思えませんでした。ナタンは一旦肯定しますが、そのナタンに主が臨みます。神殿建築はままならぬ、と。ダビデ自身預言者でもあるはずですが、他に預言者がいて、必要とされていたことが分かります。
 
ナタンは、主からの言葉をダビデに伝えること

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あなたが殺したイエスに

あなたが殺したイエスに

使徒2:29-36 
 
ダビデが、その末裔からキリストが出ると預言していた、というのはもちろん、後の時代の見解です。けれどもペトロは、多くの人々、外国人も含む面々の前でそう言い切りました。そういう場面設定になっています。これが今の私たちの許へも伝えられるべきメッセージだとして掲げられたことについては、すでに確認しておいたつもりです。
 
だからこれは教義であり、信仰箇条だというわけです。これを言

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ダビデを選ぶ主

ダビデを選ぶ主

サムエル上16:1-13 
 
サムエルは死ぬ日まで、二度とサウルに会うことはありませんでした。それは一つの事件だけによるのではなかったと思うのです。アマレクの王アガグの件のみでそうなったとは考えられないのです。サウル王に見切りをつけたサムエルでしたが、それなら代わりの王を立てなければなりません。それを主が後押しした、というのが今回の箇所です。
 
サムエルは、サウルを失ったことを悲しんでいました

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ダビデの最後の言葉

ダビデの最後の言葉

サムエル下23:1-7 
 
この後も、ダビデについてもう少し言及があります。ここで突如、ダビデの最後の言葉だ、と記者は載せてしまいました。ダビデの感謝の歌を収録したために、ついでにまとめて置いたのかもしれません。ダビデの口から本当に出たのかどうか分かりませんが、さて、英雄ダビデは本当に英雄だと言えるのか、少しばかり疑いの眼差しを送らざるをえません。
 
というのは、人間としてずいぶんと欠陥を見せ

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逃げつつも敵を見据える

逃げつつも敵を見据える

詩編54:1-9 
 
父サウルの狙いを知るヨナタンは、深い愛でつながったダビデと、今生の別れを告げようとしていました。ダビデは、ペリシテ人の攻撃からケイラの町を救いますが、祭司エブヤタルがダビデを頼って逃げて来たことから、サウルはダビデの行方を知ることになります。ダビデはジフの荒野へ向かいます。実は、ここでヨナタンは最後にダビデに会っています。
 
ギブアにいたサウルへ、ジフの人々が、ダビデが隠

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ダビデと共に歌おう

ダビデと共に歌おう

詩編138:1-8 
 
主は私のためにすべてを成し遂げてくださる。強い信頼が見られます。あるいは、これはダビデの大胆さとでも言えましょうか。というのは、ここで「私のため」と言っているからである。それは、私の言いなりに神を仕えさせようとするかのように誤解されるかもしれません。もちろんそうではありません。私のために、神の栄光が現れるということです。
 
私を通じて、神の輝きが現れるのだとしたら、どん

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