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ショートメッセージ

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聖書から日々黙想をしている中で、短いひとまとまりのメッセージを書き留めています。それをおすそわけします。ご面倒ですが、聖書箇所について聖書を開くか、検索してくださると、いっそう身… もっと読む
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#神殿

立ち上がらせたのは幻

立ち上がらせたのは幻

イザヤ6:1-8 
 
私イザヤは、玉座の主を見ました。それは、ウジヤ王の死の年でありました。ウジヤ王は、半世紀ほどの長きに渡り、南ユダ王国を治めました。北イスラエル王国との関係を良くし、国を安定させたといいます。紀元前8世紀のことです。イザヤから見れば、国の繁栄よりも、人間が傲慢になってゆくことが、主の民に相応しくないように見えたようです。
 
だが、今はイザヤはまだそのことに立ち入ってはおりま

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自身が呼ばれ変えられたから

自身が呼ばれ変えられたから

エゼキエル11:14-21 
 
エゼキエルは幻のうちに、エルサレムの神殿を見ます。否、神殿へ連れて行かれます。幽体離脱のように、いまエルサレムを見ています。そして主から教えられることは、ここにイスラエルの民が集められるというストーリーでした。この物語はこれから起こることとして示されますが、文献としては捕囚からの解放を知る者の手によるのかもしれません。
 
しかし、だとしても単なる過去の歴史とはな

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熱意ある詩人

熱意ある詩人

詩編134:1-3 
 
エルサレムの神殿へ詣でるということは、信仰篤い人々にとり、大きな喜びであったことでしょう。一年に一度の楽しみであったかもしれません。中には一生に一度という人がいたことも予想できます。日本にも、伊勢参りというものがありましたし、旅もままならぬ時代、旅が危険だった人々にとり、一大イベントであったに違いありません。
 
そのときに声を合わせて歌ったのか、そのために作られたのか、

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断食の意味が変わる

断食の意味が変わる

ゼカリヤ7:1-14 
 
イスラエルが再出発をしようとしています。バビロン捕囚から、ユダヤへの地への帰還が許され、これから神殿の建築が始まるところでした。バビロンでは、国が滅び連行されたことを覚えて、断食をして嘆く習慣が、ずっとなされていました。バビロンでユダヤ人たちは、この悲しみの時を忘れず、断食を守っていたのだそうです。
 
しかし今、そこから解放されました。ベテルにかつて住んでいた者たちで

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祈りの当事者性

祈りの当事者性

歴代誌下6:18-23 
 
神殿が完成し、契約の箱を納めました。実質、神を招き入れたという形になりました。イスラエルの歴史の中でのピークがここにあった、としてもよいのではないでしょうか。ここで献げられたソロモン王の祈りは、イスラエルの、歴史的礼拝でありました。長いその祈りが収録されています。歴代誌は特に輝かしくこの様子を描きます。
 
歴代誌は、特にユダのことを誇らしげに記すのです。その祈りの中

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再建が始まりだった

再建が始まりだった

ネヘミヤ9:4-8 
 
バビロン捕囚から具体的にどのように帰還し、町を再建したのか、不明な点が多いのですが、ネヘミヤやエズラといった指導者の下、ここに神殿が再びその姿を現すに至りました。かつての規模には程遠かったようですが、感無量だったことでしょう。律法の書が読み上げられます。イスラエルの人々の、魂の言葉です。心の拠り所です。
 
支えるものであり、シンボルです。それはまた、神殿という形によって

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イスラエルの原点としての奉献式

イスラエルの原点としての奉献式

歴代誌下7:1-3 
 
後に、心のシンボルでもあったエルサレムの神殿は、侵略者たちに破壊されました。人的被害もさることながら、心の拠りどころとしての神殿の焼失は、精神的に限りなく大きな損失となりました。イスラエルにとり、この神殿はアイデンティティであったのです。それが奉献された時のこと、つまり神殿のルーツがここで記録に遺されました。
 
それはどんなにか光栄だったことでしょう。誇らしい出来事です

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永遠の平和の約束

永遠の平和の約束

ハガイ2:3-9 
 
主の神殿を蔑ろにして、自分たち人間の住む家のことしか考えないでいてよいのか、と民に問う預言者。もちろん、人が生きるのをすべて後回しにせよ、と命じているのではありません。が、捕囚の際に破壊されたエルサレム神殿の有様は惨めでしかありませんでした。これはもう無に等しいものでした。キリシタン教会の建築を思い浮かべます。
 
それでも、強くあれ、私たちはこれを再建することができる、と

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エレミヤにある新約の預言

エレミヤにある新約の預言

エレミヤ23:1-8 
 
エレミヤ書の構成は、時間的に整えられていません。ユダへの預言として掲げられた箇所を、いまさしあたり単独で味わうこととします。イスラエルは、主の羊の群れであるといいます。ユダの王の中には、主に従う者もいましたが、主に背を向ける者が数多くいました。そしてイスラエルの民を主の方向へと向き直らせることも長らくありませんでした。
 
ついにバビロニア帝国に、エルサレムの神殿が破壊

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あなたの神殿の復興

あなたの神殿の復興

エズラ9:6-9 
 
捕囚から解放されても、数十年の間に新しい環境を得たユダヤ人もいました。全員がカナンの地へ帰ろうと考えたわけではありません。ただ、戻ろうと決意した人々も確かにいました。祭司エズラがそのリーダーとなりましたが、帰還してイスラエルの地で見た人々の姿に呆然としました。あまりにも庶民であった彼らの姿が、一変していたのです。
 
周辺地域の他民族の者と結婚し、ユダヤ人の血をすっかり混血

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神殿と偶像

神殿と偶像

列王記上8:27-32 
 
神殿奉献の際のソロモンの祈りの一部を読みます。祈りを読む、というのも不思議な感じです。主は、こくちゃちな建物に住むような方ではないでしょう。そもそものコンセプトを崩すような発言です。あなたがここにいるために、立派な神殿を作ったのではなかったのでしょうか。しょせんそれは、人間の願望を満たすだけのものだったのかもしれません。
 
ソロモンの自己満足のためのものかもしれませ

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主の目と心はいつもそこに

主の目と心はいつもそこに

列王記上9:1-9 
 
いったい幾度主はソロモンに同じことを告げればよいのでしょうか。父ダビデと同じように誠実に主の前を歩み、その掟と法に従うならば、イスラエルの王座を守り、祝福を与えよう、とまたもや言うのでした。神殿が建つ以前に、重要な高き所であったギブオンで、ソロモンが知恵を願ったとき、財も与え祝福するという仕方で主はソロモンに会いました。
 
そのときのように、神殿奉献の後、主はソロモンに

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ソロモンの祈りと果たせない約束

ソロモンの祈りと果たせない約束

列王記上8:22-26 
 
ソロモンの祈りが始まります。ここからもイスラエルの会衆の方を向いています。それまでは、自らが建築に与った背景の説明をしていました。それが会衆の方を向いてだったことは分かりやすいのですが、ここからは神への祈りです。神へ祈るときにも、向きは会衆の方なのです。主の祭壇の前にいますから、立つ位置が変わったのでしょうか。
 
神殿の構造や祭儀の方法も私はよく知らないので、詳しい

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奉献式とキリスト

奉献式とキリスト

列王記上8:20-21 
 
エルサレム神殿の奉献式と呼べばよいのでしょうか。旧約聖書前半部のハイライトです。イスラエルは、ここで前世紀を迎えました。頂点に立ちました。しばしの繁栄を見せると、残念ながら坂道を転がり落ちて行きます。奉献式のメインはソロモンの説教でした。父ダビデとの約束が、その子ソロモンにおいて達成されたことを宣言します。
 
その後、神への祈りでプログラムはクライマックスに達します

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