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広告クリエイターが見たコロナ感染対策【第31回マスクの向こう側】

<まえがき>「#Stay Home」「クラスター」「密」「オーバーシュート」「ロックダウン」「パンデミック」「東京アラート」etc.コロナ下で様々なキャンペーンやキーワードが発信されました。こういった感染対策も広義に見れば”宣伝広告”の一種です。今回は第一線の広告クリエイターにその振り返りと、コロナ後の広告表現についてお聞きしました。

●「否定の話法」加担してはいけない
●自粛期間中、印象的だった広告って、どんな広告?
●SNSユーザーに特に知ってほしい。”熟考”の大切さ

―自己紹介をお願いします。
フリーランスのコピーライターです。昨年、勤めていた代理店を退社して独立しました。広告をつくるのが主な仕事ですが、単にコピーを書くだけでなく「世の中や競合を見渡してどんな戦略をとるか、どの施策に予算を割くか、デジタルやPRを含めてどのメディアを活用するか」などコミュニケーションの全体設計までを担っています。業界ではいわゆるクリエイティブ・ディレクターという立ち位置に近いですが、核となる1行の言葉(コンセプト)にこだわるため、「コピーライター兼コンセプター」という肩書きを用いています。

―広告業界に対するコロナのダメージはどうですか。
広告というのは、企業の宣伝・広告費など、予算の中から賄われています。不況などの影響で、企業が「今は広告にお金をかけている場合じゃない」と思えば、広告も出稿されなくなり、当然、僕らの仕事も減ります。実際、今はコロナの影響で、予算が削られたり、見直されたりしてきているようです。でも、僕はむしろ「変化を提案するチャンス」くらいにポジティブにとらえています。たとえば、飲食や小売、アミューズメントなど、世の中の変化に伴い、事業自体のあり方やコミュニケーションの見直しが問われている業種があります。そういった企業に対して新しいポジショニングやコンセプト、売り方の提案をすることも。一般的な広告クリエイターは広告だけをつくる人も多いですが、僕の場合、企業の向かう先や事業のあり方から考えるため、役割としてはコンサルタントに近いかもしれません。

―コロナ前後で、広告の仕方・表現などに変化は出てきていますか。
「アフターコロナの世界はこういう風になる。だから、こうしないとダメだ」「時代は変わる。生きていくためには変化しろ」etc.コロナを利用して、他の可能性や方向性を排除する表現が目につきます。実は、これはコロナで始まったことではありません。「AかBか」「Aが嫌ならBにしろ」「AでなければBだ」といった話法は、コロナ以前から見受けられました。僕はこれを「否定の話法」と言っています。架空の敵を見立てて、それを貶めて、自分の正当性や言い分をアピールするやり方です。代表的なところで言うと、最近話題になった、「◯◯法に反対です」「◯◯議員辞職しろ」のようなハッシュタグがそうです。Twitterは脊髄反射的に書き込めるので、歯止めがききません。否定の話法では議論も深まるはずもなく、あちこちで衝突を生み、余計に分断をあおっているような気がします。

―どういうことに気を付けて、表現していけばいいんでしょうか。
絶対的な正解があると思わないこと。「正義は自分にある」みたいな考え方は危ないと思います。実際、コロナに対する考え方も、人によって様々です。時代は変化するとして、それに合わせて変化できる人もいれば、できない人もいる。したいけどできない人、したくない人、色々です。調和や曖昧さを美学とする日本という国ではなおさらのことかもしれません。正しいかどうかも分からないのに「これが唯一絶対の解」と言って、それ以外を切り捨てるのは横暴です。僕もそんなことには加担したくはありません。

だから僕は同じ変化することを表す場合でも、革命や変革という言葉ではなく、やわらかかつ段階的な「変容」という言葉を使います。この感覚が、これからの日本における大事なキーワードの一つになるんじゃないかと思っています。細かいことを言えば、「世界はこうだ」「社会はこう変わる」みたいな神様のような立ち位置からコピーを書くのもやめました。企業や商品など、対象物の身の丈を把握した上で「私達はこう思う」というスタンスを表明することが重要だと思っています。

―この時期、「3密」「Stay Home」など様々な言葉が用いられました。ある意味、感染防止の“広告宣伝”と言えますが、どう評価しますか。
まず、大前提として、すべての広告宣伝は課題解決・目的達成に向けて行われるということです。見栄えのするデザインや、聞こえのいいコピーばかりに目がゆきがちですが、大事なのは「広告がいかに人々の意識や行動を変えたか」ということです。そういう観点から見た時、あくまで個人的な評価ですが、「3密」は〇で、「Stay Home」は×だと思います。

どちらもこの時期、感染対策としてよく用いられた言葉ですが、「3密」は“何をしてはいけないか”という点ではっきりしていました。確かに「密閉・密接・密集」と似たような言葉が並んでいるのは違和感がありましたが、それを差し引いても、言葉として機能していたと思いますし、実際にそういう状況をよく防いでいたのではないかと思います。それに対し「Stay Home」は対象が抽象的すぎます。「〇〇してはいけない」という否定ではなく、「家にいよう」と肯定の話法を使った点は良かったと思いますが、大切なのは、感染リスクの高い場を回避することであり、家を出ないことではありません。家にいる時間を満喫するのは構いませんが、それは本来の感染対策とは異なります。それ以上に、多くのことを禁止してしまっているのが気がかりです。たとえば、散歩すること、買い物すること、車に乗ること。この言葉のせいで、本来生まれてくるはずだったのに失われてしまったものがたくさんあるのではないかなと思います。

―自粛期間中、印象的だった広告を教えてもらっていいですか。
とくに印象に残っていたコミュニケーションは3つありますが、残念ながらどれも広告ではありません。
1つ目は買い物代行や薬の代理受け取りなど、タクシーの新しい用途を提案した新潟のつばめタクシーの「乗らないタクシー」。これはおそらくつばめタクシーさん自身が考えたアイデアですが、このように事業自体のあり方を考え直していくのが、これからのクリエイターなのだと思いました。
2つ目は銀座の老舗サーモン店・王子サーモンの「助けてください…」ツイート。外出自粛で来店が遠のき売り上げも大幅ダウン、さてどうするか?という時に、なんとツイッターで「買ってください」とお願いをした。これは広告コミュニケーションの世界では禁じ手ですが、多くの人の共感を呼び、結果売り上げが大きく回復したそうです。
最後の3つ目は「密ですゲーム」。おそらく趣味で作られた、都知事のキャラクターを操って都内を動き回り、密集団を解散させるだけでのゲームです。これが本当にくだらなくて何の役にも立つものではないのですが、逆にその「作りたいから作った」という清々しさが受けたのか、40万以上の「いいね!」を獲得していました。

もちろん広告でもポカリスエットの「NEO合唱」など、この時代ならではのつくりかたで希望を示した素晴らしい事例がいくつもありました。ですが中には「社会にいいこと」を口実にしながら、広告クリエイター自身の「バズりたい」「褒められたい」という自己承認欲求から生まれた企画も少なくなく、それらが悪目立ちをしていたように思います。そこに違和感をおぼえた人も少なくなかったのではないでしょうか。

また、それは受け手にとっても同様で、多くが瞬間的に「いいね!」するだけで、一週間後には忘れてしまう。人生に何の意味もなさない、不毛な感じが目立ちました。このように送り手・受け手双方の自己顕示欲が透けて見えるクリエイティブに辟易としていたところだったので、その外にいる方々の、素直で、かつ実効果にまっすぐなアイデアが魅力的に見えたのかもしれません

これからは作り手が「ウケる」とねらってやったものは、見破られるようになってくると思います。コロナで一度社会が止まったことで、みんなが一時立ち止まり「本当に大切なものは何か」「信じるべきものは何か」価値観の見直しと取捨選択をするようになりました。これからのクリエイティブは、本当に誰かのためを思って作られたか、本当に作り手や企業がこのメッセージを良いと思っているか、対象を愛しているか、大袈裟に言えば「思想」みたいなものの有無が、とても大事になってくるんじゃないかと思います。

―コロナ後の世界で「これは大事」と言えることは何だと思いますか。
今、世の中、多くの人が「早く変化しろ」「変化しないと生きていけないぞ」と脅迫観念にとらわれています。それはコロナが、あらゆる領域で変化を早め、いずれ来る未来を急速に近づけたためです。みんな、そのことを無自覚的に理解し、「新しいこと」「先をいくこと」「他より優れていること」を求めているのだと思います。でも、僕はそれには賛成できません。変化は必要だとして、そもそも、どこに向かって変化しているのか、世の中がこの先どうなるかなんて、誰にも分からないことがコロナを機に証明されたわけです。だったら、まず、一呼吸する。一拍置く。時間をとって考えること、熟考することが重要だと思います。そして良いものは残しつつ、新しいものを取り入れる。「革命」や「変革」ではなく、少しずつ変化する「変容」なのです。

たとえば、このコロナで一気に、リモートワークが加速したわけですが、これは技術的にも制度的にも、本当ならコロナ前からできたことです。できるのにやらなかったのは、最初から選択肢として数えられていなかったからです。それと同じように、本当は、あらゆる領域でたくさんの選択肢があるはずです。AかBかではなく、Aもあるし、Bもある。もしかしたらCやDだってあるかもしれない。コロナは、僕らの社会にそういうオルタナティブな価値を提示してくれたのだと思います。この先は、みんなで一つの絶対的な正解を選ぶのではなく、一人ひとりが「自分はこの世界のどこ担当か?」を意識して、それぞれの価値を選択し表明すること。そして安易な「正解」に飛びつかず、それぞれ自分の持ち場で思考を続け、行動し、議論を重ねていくことが大切なのだと思います。(Mさん/コピーライター・コンセプター)

コロナ前後で大きく世界は変わると思います。1年後、5年後、10年後、「あの時、何があったのか」をしっかり振り返ることができるように書き残していきたいと考えています。フォローしてもらえるとすごく嬉しいです。twitterもやっています。

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