みかん

26歳♀、私立学校で働いている2年目のかけ出し教員です。今年度は中学2年生を担当してい…

みかん

26歳♀、私立学校で働いている2年目のかけ出し教員です。今年度は中学2年生を担当しています。教育系の院卒です。趣味はピアノを弾くこととお笑いを見ることです。

最近の記事

「仕事以外何もしていない」という虚無感の正体

noteを書くのがすごく久しぶりになってしまった。 といっても、特に自分に定期的な更新を課しているわけではなく、 気分が乗ったら書こう、という気持ちでやっているので、まあいいか。 最近、気づいたら仕事以外何もしていないなと思った。 いや、特に残業を長時間しているわけではないし、遅くとも18時半には家に着いている。 その後、就寝までの間に家事をしたり、youtube見たり、時々銭湯に行ったり、色々なことをやっている。 なのに、「仕事以外何もしていないな」という虚無感に襲われる

    • 教員2年目が楽しみに感じられている幸せ

      先日修了式が終わり、無事に教員1年目を終えることができた。 自分のようなタフじゃない人間が1年間教員を続けられたのは、間違いなく今の学校の働きやすさのおかげだ。 先輩の先生方にいじわるな人はいなくて、何か質問をしたら誰でも快く教えてくれる。 管理職の先生方も、教員1人1人が心地よく働けるように日々考えてマネジメントをしてくれているのを感じる。 基本的には自分の仕事が終わっていたら定時で帰ることができる。 先輩が残業していたら先に帰れないなどといった文化もない。 書類仕事も事

      • 前に進んでいる感覚が欲しい

        来年度の人事が発表された。 私には、今年度と同じ生徒と、同じような仕事が割り振られていた。 そのこと自体は、ポジティブに捉えている。 今年度一年間で、教員としての仕事のしかたや1年の流れをある程度掴んだから、来年度はもっと落ち着いて、効率よく仕事ができるだろう。 仕事量もそんなに増えなさそうなので、仕事ではエネルギーを節約し、プライベートを充実させられそうだ。 だけど正直なところ、仕事に対するモチベーションが少しだけ下がっている自分がいる。 私は仕事にすべてをささげたいと

        • 日本の過剰な外見至上主義は、やっぱりばかばかしいと思う

          最近考えているのが、日本の過剰にも思える外見至上主義のことだ。 アメリカ人と付き合ってみて、美しさやかっこよさの規準が、国によって本当に異なっているということが分かった。 それが分かってから、外見ばかりを重視する価値観って本当に本当にばかばかしいなと思うようになった。 今日はこのことに対して、最近の私が考えたことを書いていこうと思う。 日本の過剰な外見至上主義 ここ最近の日本では、自分のコンプレックスを隠すためのメイクや服装のテクニックが、盛んに共有されている気がする。

        「仕事以外何もしていない」という虚無感の正体

          特定の生徒に嫌われる勇気

          4月に教員になってからしばらくの間は、できるだけ多くの生徒が面白いと感じられる授業を作ろうと必死になっていた。 彼らの気を引くために、必死で色々な工夫をした。 しかし最近になって、特定の生徒に嫌われるつもりでないと、面白い授業はできないんじゃないかと思うようになった。 もちろん、生徒は全員大切だし、どの子に対しても学習をサポートしたいという気持ちを持っている。 しかし、学校は想像以上に多様な生徒が集まっている場所だ。 グループワークが好きな子もいれば、一人でじっくり考え

          特定の生徒に嫌われる勇気

          何かを学び始める上で大事なのは努力よりもタイミングだと思う

          最近、英検準1級の勉強を唐突にし始めた。 進学や就職に使うわけではないし、海外に住む予定もない。 ただ、「やるなら今だな」と思った。 今まで、英語を学びたいと思い、色々な参考書に挑戦したり、1か月ちょっと語学留学したり、外国人の友達を作ろうとしたことはあった。 どれも多少ためにはなったのだろうが、英語力が劇的に伸びるほど私は頑張れなかったし、長期的に続けることはできなかった。 しかし最近、アメリカ人と付き合い始めたことで、ほぼ毎日のように英語で話したり、LINEを送り合

          何かを学び始める上で大事なのは努力よりもタイミングだと思う

          教員が16 personalitiesを久々にやってみたら、擁護者(ISFJ)から建築家(INTJ)に変わってた話

          今日は16 personalities性格診断の話。 数年前に16 personalitiesの診断をしたときは、何度やっても擁護者(ISFJ)だったのだが、つい最近もう一度やってみたら、建築家(INTJ)に変わっていた。 個人的に面白いなと思ったので、自分の人生のどのような変化が性格特性に変化を及ぼしたのか、考えてみようと思う。 各アルファベットの持つ意味はこんな感じ。 E(外向型)― I(内向型) S(感覚型)― N(直感型) T(思考優位)― F(感情優位) J(審

          教員が16 personalitiesを久々にやってみたら、擁護者(ISFJ)から建築家(INTJ)に変わってた話

          自分を好きでいるために働く

          何のために働くのか? 社会人の方々だったら誰しもが考えたことのある問いだと思う。 私も、この1年ずっとぼんやり、この問いが頭の中にあった。 この問いに対する答えとしてよく聞くのが、「お金のため」「生活のため」というものである。 それはある意味真理というか、そりゃそうだよなと思う。 狩猟採集時代の原理原則に立ち戻っても、働くことは生きるためだ。 ただ、この答えを持っている人は、あまり人生に満足しているようには見えない。 なぜなら、この答えに行きつくということは「生きるため」以

          自分を好きでいるために働く

          自分のために働こうと思ったら少しだけ仕事に前向きになれた

          今年は、「教員として適切な行動は何か」「何が生徒のためになるのか」を考え続けて仕事をしてきた。 教員としての振る舞いを学ぶためにも、1年目に必要なマインドセットだったと思う。 ただ、自分で選んだ仕事なのに、全然楽しいと思えていないことに気づいた。 週末が来るのを、ただただ待って耐えているような状態。 人のことを考えて動き続けていたら、自分の主体性や、自分発信のモチベーションが置いてけぼりになっていたんだと思う。 「自分はいい先生ではない」という不安感や、他の先生に対する劣等

          自分のために働こうと思ったら少しだけ仕事に前向きになれた

          教員になって直面した、自分の限界と情けなさ

          教員になってから、自分の限界や情けなさに直面することが多くなった。 中学生というのは基本的にとても未熟で、人生経験も浅くて、体が変化する時期でもあるから、精神的にも不安定だ。 常に、悪気なく迷惑をかけてくる生徒も多い(私も中学生のときはそうだったんだろうけど)。 そんな生徒たちに、常に一定の愛を持って接することができるほど、自分は人間的な器が大きくないのだということが、この一年で痛いほどわかった。 教師だって人間だから仕方ないとは思うものの、教員という道を自ら選んでおきなが

          教員になって直面した、自分の限界と情けなさ

          教員の自己肯定感

          教員になってからというもの、自己肯定感の波が不安定になった気がする。 大学院生のときはかなり安定していたのに。 自信を持って授業ができる時期と、自信を失い授業に不安を感じる時期が、だいたい交互にやってくる。 教員の仕事は、そもそも成果があまり目に見えない。 自分が他の先生と比べて質の高い授業をしているのか、もしくは質の低い授業をしてしまっているのか。 教員としていい仕事ができているのか、できていないのか。 普通に日々授業をこなしていると、そういった点は全く見えてこないのだ。

          教員の自己肯定感

          平日夜の過ごし方ってむずかしい

          社会人の平日夜の過ごし方って難しい。 楽器の練習や英語の勉強など、ちょっと自分のためになるような趣味は持っている。 ただ、平日の仕事終わりだとそういうことに取り組むエネルギーが残っていない。 能動的な行動を起こす気になれないのだ。 かといって、ずっとYoutubeを見たりネットサーフィンをしていると、時間を溶かしている罪悪感を感じてしまう。 せっかく仕事を終わらせて早めに帰ってきたのに、何をしているんだろうと。 なんなら仕事中もずっと画面を見ているので、帰宅後も画面を見て

          平日夜の過ごし方ってむずかしい

          20代後半。未来に進んでいくのが楽しみで、でも怖さもそれなりにある。

          学生時代は、常に次に向かう先が明確に用意されていた。 中学生の時は、高校受験。 高校生の時は、大学受験。 大学生の時は、大学院入試。 大学院生のときは、修論執筆と就職活動。 しかし社会人になったとたん、無数の選択肢の中に放り出され、次に向かう先を自分で決めなければいけなくなる。 そんな中で、真剣に考えれば考えるほど、何を選んだらいいかさっぱりわからなくなる。 今の仕事を長く続けて、年老いてから後悔しないか。 自分が本当にやりたいことが他にあるんじゃないか。 趣味や友達を今

          20代後半。未来に進んでいくのが楽しみで、でも怖さもそれなりにある。

          「恋人がいれば幸せ」って本当なの?

          25歳にして初めて彼氏ができた。 自分には恋愛は無理だとずっと思っていたけど、それを覆すような出会いだった。 一緒にいて心地よくて楽しい相手で、お互いに結婚も視野に入れて付き合っている。 彼と一緒にいる時間が、私の人生を良いものにしていると思う。 でも、周りの人から「彼氏がいるなら幸せだね!」というような持ち上げた扱いをされることに、違和感を感じるときがたまにある。 なぜなら、彼氏がいようがいまいが、人生は複雑で、悩みは尽きないからだ。 彼氏と上手くいっていたとしても、自

          「恋人がいれば幸せ」って本当なの?

          1人暮らし社会人の生活って、閉塞感がすごい。

          1人暮らし社会人の生活って、閉塞感がすごい。 最近、そう思うことが増えた。 大学のときは、授業受けて、部活して(私は大学時代サークルではなく部活に入っていた)、バイトして、友達とつるんで。それだけでなく、何かしらの意識高い学内活動に参加してみたり、趣味を探してみたり、とにかくたくさんの世界を次々と行き来していたような気がする。 大学院の時は、部活もバイトもしていなかったけど、「修論を書ききる」ことと「仕事を決めて経済的に自立する」という大きな目標が2つあったから、停滞感を

          1人暮らし社会人の生活って、閉塞感がすごい。

          自分の感性なんてものは消えていた(西加奈子「くもをさがす」を読んで)

          西加奈子さんの「くもをさがす」を読んでいる。 大学生くらいの時、西加奈子さんの作品がすごく好きだった。というか、精神的に頼りにしていた時期があった。 彼女の代表的な作品は読み漁ったし、インタビュー記事や動画なんかも探してみていた。 とにかく彼女の物事への考え方や感じ方、それらの表現の仕方が好きで、心地よかった。 でも、大学院生になって、論文を書いたりなんだりしているうちに、感性よりも論理。自分への深掘りよりも、外にある知識への好奇心。みたいな自分になっていった。 だから、

          自分の感性なんてものは消えていた(西加奈子「くもをさがす」を読んで)