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教員の自己肯定感

教員になってからというもの、自己肯定感の波が不安定になった気がする。
大学院生のときはかなり安定していたのに。
自信を持って授業ができる時期と、自信を失い授業に不安を感じる時期が、だいたい交互にやってくる。

教員の仕事は、そもそも成果があまり目に見えない。
自分が他の先生と比べて質の高い授業をしているのか、もしくは質の低い授業をしてしまっているのか。
教員としていい仕事ができているのか、できていないのか。
普通に日々授業をこなしていると、そういった点は全く見えてこないのだ。
教員としての自分自身の位置を確認できる機会は、ほとんどないと言ってもいい。

だから、秋に研究授業をしたときに、管理職や先輩の先生方から褒めてもらったときはとても嬉しかったのを覚えている。
自分が教員として、ある程度まともに仕事ができているということが、初めて分かったからだ。

このように、教員は自分で自分の位置を確認できないから、自分の指導に対して安心できる機会が少ない。

しかも、基本的に教育の成果というのは測定不可能だ。
よく、「教育の成果は今ではなく、数年後、数十年後の未来で表れる」という先生がいる。
そういう人は、久々に遊びに来た生徒の成長した姿を見た経験があるのかもしれない。
でも、数年後に生徒の成長した姿を見たり、「先生ありがとう」と言われたくらいで、それを自分の教育の成果だと結論付けるのは、あまりにも飛躍していると思う。
少なくとも私は、それをモチベ―ションに働くことはできない。

だから、目の前の生徒の反応で成果を測っていくしかないわけなのだが、そこでさらに問題がある。
生徒の反応というのはコントロール不可能なものであり、教員の創意工夫だけではどうにもできない側面が大きいということだ。
態度が悪かったり、やる気が極端にない生徒というのは、本人や家族に何かしらの問題がある場合が多い。
さらに、いくら授業を工夫しても、曜日や時間帯によっても生徒のコンディション、集中力は大きく変わる。

そんなコントロール不能なものでしか自分の仕事の成果を測ることができない教員という仕事。
時々、何をやっているんだろうという気持ちになる。

だから、自分で自分を肯定していかなければいけない。
上手くいったときも、上手くいかなかったときも、
自分はよくやっている、少しずつだけど前に進んでいると
思えるようになれたら、もう少し心が安定するのかもしれない。



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