自分の感性なんてものは消えていた(西加奈子「くもをさがす」を読んで)

西加奈子さんの「くもをさがす」を読んでいる。

大学生くらいの時、西加奈子さんの作品がすごく好きだった。というか、精神的に頼りにしていた時期があった。
彼女の代表的な作品は読み漁ったし、インタビュー記事や動画なんかも探してみていた。
とにかく彼女の物事への考え方や感じ方、それらの表現の仕方が好きで、心地よかった。

でも、大学院生になって、論文を書いたりなんだりしているうちに、感性よりも論理。自分への深掘りよりも、外にある知識への好奇心。みたいな自分になっていった。
だから、心理学や社会学の本を好んで読むことが増え、文学的なものからすっかり離れていた。

そんな時、久々に本屋をふらついていたら、「くもをさがす」を発見。
単行本で高かったので、普段の自分だったら色々と計算し、熟考した上で買っていたと思う。
しかし、今回は目に入ったとたんに気づいたら手に取り、そのままレジに直行していた。今の自分に必要な本だと直観したのかもしれない。

読んでいて湧き上がってくるのは、「やっぱり好きだ」という気持ち。
彼女の文章を読んでいると、自分の心が自由で、心地よい状態にあることに気づく。
彼女が自由に書いているから、読んでいる自分も自由でいられるのかもしれない。

4月から教員としての仕事が始まって、目の前のことを必死でこなすうちに、自分の感性は消え去っていた。

授業を通して、どうやって目的を達成しようか。
教員として、適切な / 不適切な振る舞いとはなんだろうか。
英語で仕事するのしんどい。どうしよう。

そんなことが脳の大部分を占めていて、だからこそ脳がアドレナリンをバンバン出してくれて、頑張ってこられた。
でも同時に、自分の自由な感性は、どんどん小さく押しつぶされていたのかもしれない。

私も、自由に感じ、考え、表現したい。生徒にも、私の授業を通して、自由に感じ、考え、表現してほしい。
「くもをさがす」を読んで、そんな気持ちになった。


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