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特定の生徒に嫌われる勇気

4月に教員になってからしばらくの間は、できるだけ多くの生徒が面白いと感じられる授業を作ろうと必死になっていた。
彼らの気を引くために、必死で色々な工夫をした。

しかし最近になって、特定の生徒に嫌われるつもりでないと、面白い授業はできないんじゃないかと思うようになった。

もちろん、生徒は全員大切だし、どの子に対しても学習をサポートしたいという気持ちを持っている。

しかし、学校は想像以上に多様な生徒が集まっている場所だ。
グループワークが好きな子もいれば、一人でじっくり考えるのが好きな子もいる。
ほったらかしにしておいてほしいと思う子もいれば、手取り足取り教えてほしいと思う子もいる。
講義が好きな子もいれば、ディスカッションが好きな子もいる。
パソコン作業が好きな子もいれば、手書きでまとめるのが好きな子もいる。

つまり、集団授業である以上、生徒全員が心地よく楽しく学べる環境を作るのは、不可能に近いということだ。
自分の学生時代を振り返っても、好きな授業と嫌いな授業があった。
それは、純粋に教員に対する好き嫌いだったり、学びのスタイルの違いによって生じていたように思う。
そして、その好き嫌いは必ずしも自分の友達とかぶってはいなかった。

どんなに生徒全員のことを考えて、工夫して授業を作っても、はまる生徒にははまるし、はまらない生徒にははまらない。
ならば、特定のタイプの生徒には嫌われる覚悟で、自分が面白いと思える授業を作るしかないのではないか。
というか、その方が自分のメンタル的にいいのではないか。
そう思うようになった。

そういう姿勢で授業を作るようになってから、不思議と、国語が一番好きと言ってくれる生徒が増えたような気がする。
同時に、国語が嫌いと思う生徒も増えているのかもしれないが。

自分の好きなように授業を作ることは、全員から好かれることをあきらめるということだ。
でもその方が、一部の生徒にとっての一番にはなれるのかもしれない。
そして、それでいいんだろうな、と思う。
中高生って、自分の好き嫌いや向き不向きを知って、自分の感性を育む時期だ。
だからこそ、大人をジャッジするのも必要な過程だと思う。
学校はそのためにあるようなものなのだから、私はただの一人の教員として彼らの前で楽しく生きていよう。
好きにジャッジして踏み台にしていってほしい。

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