見出し画像

教員になって直面した、自分の限界と情けなさ

教員になってから、自分の限界や情けなさに直面することが多くなった。

中学生というのは基本的にとても未熟で、人生経験も浅くて、体が変化する時期でもあるから、精神的にも不安定だ。
常に、悪気なく迷惑をかけてくる生徒も多い(私も中学生のときはそうだったんだろうけど)。
そんな生徒たちに、常に一定の愛を持って接することができるほど、自分は人間的な器が大きくないのだということが、この一年で痛いほどわかった。
教師だって人間だから仕方ないとは思うものの、教員という道を自ら選んでおきながら情けないなとも思う。
それでも歯を食いしばって、できるだけ誠実な対応をしようと心掛けていたものの、頑張りすぎると自分の心に大きな負荷がかかって、結果後から落ち込んだり無気力になったりと、反動は必ずくる。
つくづく、人間一人にできることって少ないなと思い知らされる。

授業だってそうだ。
他の先生の授業を見学させてもらったときに、自分の授業ではいつも全然集中していない子が集中できていたりすると、自分の至らなさを痛感する。
もちろん、その子自身の興味の問題やその日のコンディションもあるし、色々な要因があるはずで、客観的に見たら一概に自分のせいとはいえない。
でも、自分の授業がつまらないのかな、自分は生徒から嫌われてるのかな、などと考え出すと、自力でそこから抜け出すのは難しくて、沼にハマりそうになる。
そんなことを考えても、何にもならないのは分かっているのに。

この1年、自転車操業で目先の授業を作り続けてきた。
褒めてもらうこともあったけれど、自分の授業に自信は全く持てていない。
だから、生徒の反応に一喜一憂して、沼にはまりそうになる。
沼から自力で抜け出す手立ては、まだ見つけられていない。

他の先生の授業を見るたびに、先輩の先生たちが積み重ねてきた経験やノウハウってすごいなと思う。
私も、とにかく目先の授業を何年も作り続けた先に、自信が持てる日が来ることを信じてやっていくしかない。
自信をもって仕事ができたら、もっと毎日が楽しくなるんじゃないかと思う。

今振り返ると、大学院生ってある意味では楽な身分だったなと思う。
学校の外から学校を眺めて、客観的に思ったことを、あーだこーだ自由に議論できるからだ。
でも、中に入ってみたことで、自分がいかに未熟で、自分にできることがどれだけ少ないかが分かった。
そういう意味で、学校現場に来てよかったと思う。
未熟なりに、少しずつでもいいから人間的に成長していこうという気持ちになれたからだ。

特に将来の目標はないので、何のために成長したいかと言われると分からない。
でも、遠い将来、素敵なおばあさんになれたらいいなとは思う。


この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?