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自分のために働こうと思ったら少しだけ仕事に前向きになれた

今年は、「教員として適切な行動は何か」「何が生徒のためになるのか」を考え続けて仕事をしてきた。
教員としての振る舞いを学ぶためにも、1年目に必要なマインドセットだったと思う。

ただ、自分で選んだ仕事なのに、全然楽しいと思えていないことに気づいた。
週末が来るのを、ただただ待って耐えているような状態。
人のことを考えて動き続けていたら、自分の主体性や、自分発信のモチベーションが置いてけぼりになっていたんだと思う。
「自分はいい先生ではない」という不安感や、他の先生に対する劣等感も積もり続けている。

でも、どうせなら仕事している時間も充実感を感じたい。
そう思ったので、自分自身のモチベーションを見つけようと思い、教員を目指そうと思った頃を振り返ってみた。
初心に帰るというやつだ。

自分が高校生の時、どんな先生に憧れたのか。
それは、気さくに話しかけてくる先生でも、部活指導を頑張っている先生でもなく、あまり社交的ではないが授業中に色々なことを考えさせてくれる先生だった。
今までになかった視点を与えてくれたり、考えたことがないことを考えさせてくれるような授業が好きだった。
知的な刺激を与えてくれる先生に憧れていた。
そしてそういう先生たちは、何年も何十年もかけて授業力を磨いてきた先生たちだった。

それを思い出したら、そういう授業ができる先生になりたいと改めて思えた。
そして、自分の自己実現のためにも、授業をよくしていこう、自分が面白いと思える授業を作ろうと思えた。

『嫌われる勇気』で他者貢献が幸福には不可欠という話があるが、実際に貢献しているか、感謝されるかどうかよりも、貢献していると感じられることが大事らしい。
なぜなら、他人の反応はコントロールできないからだ。

だから、生徒に感謝されることではなく、自分の自己実現のために働こうと思った。
自分が面白いと思える授業をひたすら目指すことで、もっと日々が充実するはずだ。
それが結果的に、生徒のためにもきっとなる。

専任なので働こうと思えば定年まで働けるわけだし、時間はたっぷりある。
あせらず、何年・何十年もかけて、色々なことを試して、自分にとっての理想の授業を目指していきたい。

自分のために働こうと思ったら、他の先生に対して劣等感を感じる必要もないのではないかと思えた。
自分と違ったタイプの先生方を見てうらやむんじゃなくて、ひたすら自分の理想像の追求に邁進していこうと思う。
私たちはチームで子どもを育てているんだし、教員の中にも多様性があるべきだ。
他の先生に任せる部分は任せて、私は私らしい教員像を目指せばそれでいいはず。

こんな風に、自己実現のために働いていこうと思ったら、少しだけ前向きになれた。

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