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テロメニア魔導記 紹介文

はじめに

 2023年4月1日、長編ファンタジー小説の新シリーズ、『テロメニア魔導記』第1巻『陽が昇らない峡谷』が、電子書籍として出版・配信されました。この記事では、『テロメニア魔導記』の魅力を出来るだけ分かり易く、皆様にお伝えします。


テロメニア魔導記 第1巻『陽が昇らない峡谷』

私にとってのファンタジーの原点。それは「美しい物語」

 私は「美しい物語」を書きたい。私が子供の頃に読んだファンタジー小説がそうであったように、どんな苦境にあっても希望を与えてくれるような、救いのある、心の支えになる物語を書きたい。私は常にそう考えています。
それは高尚な理念とかでなく、ただ私がそういう物語が好きというだけの話。私は子供の頃、今じゃ考えられないような苦境に立たされていましたが、そんな時、美しいファンタジー小説が私の心の支えになっていました。だから私は、美しいファンタジー小説を書きたい。何をもって「美しい物語」というかは人それぞれですが、私が目指す「美しい物語」は、主に次の3つの要素に集約されています。

・読んで良かったと思える元気が出る物語
・年齢、性別、国籍、文化に関係なく、共感できる物語
・失敗して、喧嘩して、敗北する。それでも前を向いて進む物語

 テロメニア魔導記を端的に表現するなら、「現代的な価値観で描く、古典的なファンタジー」です。それは決してお伽噺や絵空事などではなく、現代にも通ずる現実的な物語。「美しい物語」といっても、非現実的な綺麗事は要りません。私は泥臭い厳しさの中に、「美しい物語」を見出したいと考えています。

作品を途中で投げ出すこと。それは読者への最大の裏切り行為

『カドルステイト物語』の執筆

 私は作家として、物語は終わらせる事が最も重要だと考えています。作家が途中でつづきを書くのをやめてしまうことを「エタる」というそうですが、音楽に例えるとそれは、途中まで素晴らしい曲だったのに、突然プツリと音が止まるようなもの。終わらない物語は未完成品です。

 『カドルステイト物語』を執筆中、私は完結させることを最も重視しました。『カドルステイト物語』は最初から終わり方の構想があった物語で、最後まで書き切らないと意味が無い。そう考えていたからです。途中でスピンオフや、全く別の新しい物語も思い付きましたが、まずはこの作品を終わらせること。それを最も優先しました。

カドルステイト物語 全7巻

『カルディアナ戦記』の執筆

 こうして長年温め続けてきた『カドルステイト物語』を完結させた私は、途中で新たに思い付いたスピンオフとして『外伝 情熱の氷』を上梓。さらに『カドルステイト物語』の続編として、新シリーズ『カルディアナ戦記』の執筆を開始しました。

 しかし『カルディアナ戦記』3巻を執筆中、世はコロナ禍に突入。これによってアルバイトをクビになり、時間的・経済的に執筆を続けるのが難しくなった私は、断腸の思いで『カルディアナ戦記』を第3巻で一旦閉じることにしました。これは私にとって本当に辛い決断で、もともと全7巻以上の構想があった『カルディアナ戦記』の執筆が、途中で頓挫してしまったのです。

カルディアナ戦記 全3巻

『テロメニア魔導記』の執筆

 その後運送業に転職し、明らかに執筆ペースは落ちてしまいましたが、私は『カルディアナ戦記』を書き続けました。当初は本格的な仕事をしながらでも、1年に1冊のペースで出し続けたい。そう考えていましたが、フルタイムの肉体労働をこなしながら執筆するのは本当に難しく、困難を極めました。

 全く別の物語の構想もありましたが、私はまず『カルディアナ戦記』をちゃんと終わらせたい。その思いが強くありました。こうして生まれた物語が、『テロメニア魔導記』です。すなわち『テロメニア魔導記』第1巻は本来、『カルディアナ戦記』第4巻に相当する物語であり、『カドルステイト物語』から数えると、実に第12巻に相当する物語でもあります。

 しかし、前作を読んでおく必要はありません。『テロメニア魔導記』から読み始めても、十分に楽しめます。漫画やライトノベルではよく、人気作品を引き伸ばす傾向がありますが、私はそんな作品を読みながら「終わらせてからスピンオフを書けば良いのに」とずっと思ってきました。それを自分の作品で試みたのが『カルディアナ戦記』であり『テロメニア魔導記』です。
『テロメニア魔導記』から読み始めても良いし、『カルディアナ戦記』から読んでもしっかり物語に入り込める。もちろん最初の物語『カドルステイト物語』から読み始めるのもお勧めです。

 奇しくも『カドルステイト物語』は今年、スペインの出版社SEKAI Editorialからスペイン語版『La leyenda de Cudlestate』が出版されます。また、ブラジルの出版社Editora MPEGからポルトガル語版『Tales of Cudlestate』も出版されることが発表されました。世界的にも注目されている『カドルステイト物語』。この機会に是非、その美しい物語の世界に触れてみては、いかがでしょうか?


『テロメニア魔導記』第1巻「あとがき」より

『テロメニア魔導記』が目指すもの

 『テロメニア魔導記』は、主人公カータを中心にした冒険物語で、より古典的なヒロイックファンタジーを目指しています。先ほど述べた『カドルステイト物語』、『カルディアナ戦記』の続編に当たる冒険物語ですが、本作『テロメニア魔導記』から読み始めても全く問題ありません。
 『カドルステイト物語』では、掴みどころのない大きな目的の為に、世界を旅する冒険者達の姿を描きました。そして『カルディアナ戦記』では、人間が歴史上何度も繰り返してきた戦争という過ちを、より深く掘り下げることで、その愚かさ・不毛さを浮き彫りにしました。一方『テロメニア魔導記』では、戦争よりも冒険、固定された個性よりも人間の成長と変化。そして美しい恋愛模様に焦点を当てていきたいと考えています。

古典的な作風を現代的な価値観で描く

 囚われのヒロインを救出する物語は、これまでも多く紡がれてきました。
 しかし近年、囚われのお姫様を助ける世界的有名作品を見た小さな女の子から、今までとは全く異なる価値観の感想が飛び出したとの記事を目にした私は、正直とても驚きました。曰く、「囚われのお姫様は、王子様に頼る事なく、自分の力で脱出するべきだ」というのです。今はその記事を検索しても見付かりませんが、当時は女性の地位向上を叫ぶ団体や、ポリティカル・コレクトネスの追い風を受けて、その記事がとても持て囃されていました。
 私はその記事を読んで思いました。
 もちろん個人の感想は自由ですが、しかしその考え方は、正しさの裏付けに力が必要であるという、原始的な力の原理に繋がってしまう恐れがあるのではないか、と。確かに、囚われのお姫様が自力で脱出できるのなら、それに越したことはありません。しかし皆が皆、その力を持っている訳ではないのです。中には、体力の無いお姫様も居るでしょう。諦めてしまうお姫様も居るかもしれません。女性に限らず人は皆が皆、強靭な肉体と鋼の精神を持っている訳ではありません。つまり「自力で脱出するべきだ」という考え方は強者の理論であり、いま苦境に立たされ助けを求めている弱者を、切り捨ててしまう恐れがあるのです。
 そして何よりも人間は、危機的状況に陥った時、(男女関係なく)心を許せるパートナーに助けて欲しいと願う人も決して少なくないでしょう。助けなど不要と考える強い人は、自力で逃げれば良いと思いますが、助けを求めている弱い人には手を差し伸べたい。そう考えることが、そんなに不自然な事でしょうか?
 『テロメニア魔導記』では、囚われのルーナリアを救出する為にカータが塔を上っていくという、古典的な作風でありながら、今の時代に則った新しいファンタジーの世界を提案します。最大の特徴は何と言っても、主人公のカータがルーナリアの事を、兄のカルディアナだと思い込んでいること。そしてルーナリアもまた男装して、兄カルディアナの名を騙っています。この齟齬がどのように展開していくのか? ぜひご期待下さい。

クラシックなダンジョンアドベンチャー

 また第1巻では、よりベーシックなダンジョンアドベンチャーを再現してみました。今では多くのライトノベルが、巨大なダンジョンに挑む冒険物語を発表していますが、ただ魔物と遭遇して剣と魔法で倒すだけではない、クラシックなダンジョンアドベンチャーを描いてみたいと、私はかねがねずっと考えていました。その舞台で活躍するのは、群がる敵を次々になぎ倒す最強の主人公ではありません。まともに戦うことすら出来ない最弱の主人公が、仲間と協力し、限られた資源と道具を駆使し、様々な工夫をこらしながら乗り越えていく。そんな最弱の主人公が活躍し成長していく様は、まさに初歩的な冒険物語の醍醐味と言えるでしょう。そこには、群がる敵をなぎ倒す爽快感とは全く異なる、懐かしいカタルシスがあるはずです。
 このような地味な戦いに面白味を感じる人なんて、もしかしたら極少数かもしれません。でも私は、その少数の人に楽しんで貰えれば、それが最高に嬉しいです。
 私は私が好きな物語を描きたい。このシリーズをぜひ最後まで書き切りたいので、これからも応援の方、どうぞよろしくお願いします。


『テロメニア魔導記』の見どころ

「冒険者=良い人?」

 異世界ものでは定番の冒険者ギルドと冒険者が、何故か「良い人」の集団になっていますが、実際にはまっとうな仕事に就けず一攫千金を狙う「ならず者」の集団ではないでしょうか? 『テロメニア魔導記』では、そんな一般人の視点から見た冒険者の姿が描かれます。

「弱いなら弱いなりの戦い方がある」

 歴史は常に、勝者の主張が正しさとして語られてきました。故に、人間社会で正しさを証明するには、強くなければなりません。しかし強者が常に、正しいとは限らない。事によっては弱者が正しい場合も、当然あるでしょう。しかし、どんなに筋の通った主張を叫んでみたところで、強さを持ち合わせていなければ、誰からも相手にして貰えません。正論を唱えていたにも関わらず、弱さのせいで歴史の闇に葬られてしまった人も、決して少なくないのです。
 つまり弱者は、正しさを主張できないのでしょうか?
 強くなければ、正しさを証明できないのでしょうか?

 敵を倒して問題を解決するやり方は所詮、力の理論の延長に過ぎません。
 戦わない勇気。
 逃げる勇気。
 そしてその先にある戦う勇気。
 弱者同士が力を合わせて難局を切り抜ける。
 『テロメニア魔導記』第1巻では、最弱の主人公が活躍します。

「喧嘩」

 今では殆ど見掛けなくなってしまいましたが、昔はよく物語の中で、気心の知れた者同士の喧嘩が描かれていました。ドラえもんとのび太でさえ喧嘩をしたし、教育TVの道徳番組でも、仲直りをテーマにした物語が放映されていたものです。しかし近年、それら仲間同士が衝突する描写は、ほとんど見掛けなくなってしまいました。
 現代人はもう、喧嘩をしないのでしょうか?
 意見が対立した時、どうしているのでしょうか?
 そして喧嘩をした後、どうやって仲直りしているのでしょうか?
 『テロメニア魔導記』では、たとえ気心の知れた仲間同士であったとしても、時には意見が食い違い、相手を理解できなくなり、或いは誤解を招き、激しくぶつかり合います。相手を理解しようとせず、一方的に相手の行動を変更させようとする愚かさは、そういった人と人の心の衝突からしか描けません。『テロメニア魔導記』では、自分の過ちを素直に認め、自分を変えること、すなわち自浄作用の大切さが丁寧に描かれます。

「負けるかもしれない」

 そう思うからこそ、物語は面白い。常に勝てるなら、何の苦労もありません。リスクが高いからこそ、人は戦いを回避する。スポーツでもそうですが、強力な敵を前にした時、自分の力不足が原因で勝てない事はよくあります。命を懸けた戦いなら尚の事、次の勝利を信じて、逃げなければならない時もあるでしょう。
 逃走は、リスク以上のリターンを得る為の第一歩です。

「失敗は、成功への過程」

 成功は、失敗を重ねることで初めて手にすることの出来る結果に過ぎません。1度も失敗せずに成功することなんて、ほぼありません。だから失敗を恐れず、挑戦することが大切です。失敗の数以上にチャレンジした結果、そこに大きな成功が舞い降りる。失敗は、成功への過程に過ぎないのです。

「冒険しよう!」

 昔から親しまれている冒険物語。
 だけど、冒険ってなんだろう?
 危険を冒さなきゃ冒険じゃない。
 ワクワクしなきゃ冒険じゃない。
 この後どうなるのか分からない。
 一歩先は闇、それが冒険なんだ!

クレジット

『テロメニア魔導記』第1巻『陽が昇らない峡谷』
配信日:2023年4月1日
価 格:880円(Kindle Unlimited 読み放題対応)
文字数:14.2万文字
挿 絵:14枚(差分込み)
著 者:守下 尚暉
発行所:パブフル
地 図:トレジャーポット
イラスト:GPM
表紙デザイン:波野 發作

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