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センチメンタルな旅、春の旅 “ 旅先で『日常』を走る〜spin-off⑩〜 ”



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2022年5月22日、日曜日。午前9時30分。

京都二条城の前に私は立っていた。
今から、私が所属する『PLANETS CLUB』ランニング部が企画したオフ会が、ここ京都で開催されるのだ。

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撮影:兵庫在住の幹事メンバー S水さん

PLANETS CLUBとは評論家の宇野常寛さんが主宰する私塾で、" 参加者の「書く」スキルとリテラシーを育むワークショップをはじめとする学びのコミュニティ " だ。しかし、そんなにお固いコミュニティというわけではない。様々な趣味の分科会が存在し、有志によってそれぞれが運営されている。ランニング部もそのうちのひとつだ。宇野さんが近年ランニングを趣味としていることで、その魅力を布教されたクラブメンバーたちが続々と走りはじめ、今では130人ほどの部員を擁している。

” 日本各地にメンバーが点在している当クラブは、コロナが猛威を振るうよりも前から、オンラインとオフラインの中間的なイベントを模索し続けてきた。『販売終了になる「明治フルーツ牛乳」を飲むオンラインラン』から始まったこの試みは断続的に引き継がれていった。『すれ違いラン』しかり、『みんなで一緒に家を出るラン』しかり。こういった一連のイベントによって、つかず離れず絶妙なメンバー同士の距離感が醸成されていった。"

飯能で『トレラン』を走る

上に引用した文章は、以前私がランニング部について書いたものだ。大人になってから走り始めた我々は、学校体育とは違った価値観で「走ること」そのものを存分に楽しんでいる。そして今日はいよいよ、我々が主催したランイベントに宇野さんをお招きすることとなった。

宇野さんは学生時代から7年間この地で暮らした経験があり、普段着の京都の魅力を『観光しない京都』というエッセイなどで発表している。我々はその文章や写真にすっかり魅せられてしまい、機会があれば京都を訪れ走ってみたいと願っていた。そういった経緯で、京都がイベントの舞台に選ばれたのだ。

見渡すと総勢22名の参加者が集まっている。北は東京から南は大分まで、全国各地からメンバーが参集した。元々がオンラインの活動がメインのクラブであり、またコロナ禍の影響や個々の家庭の事情(子育て中のメンバーが多い)により、このような大規模のオフ会を開催するのは2年半ぶりになる。しかも、首都圏のメンバーが泊まりがけで参加するような地方開催のオフ会は、おそらく今回がはじめてになる。

このような事情により、クラブ開設5年目にして今回初めてリアルで会うというメンバーも多い。
一方、全国各地で走ることを趣味にしている私は、今日参加するほとんどのメンバーに会ったことがある。なので私は今回のイベントは裏方に徹し、初対面のメンバーたちに楽しんでもらうことを優先させようと考えていた。

幹事や宇野さんからの挨拶と全メンバーの自己紹介が済んだところで、いよいよスタートだ。


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■ みんなで(バラバラに)走る

” 愛すべき生まれて 育ってくサークル
君や僕をつないでる緩やかな 止まらない法則 ”

出典: 天使たちのシーン/小沢健二


まずは二条城前の駐車スペースから道を渡り、階段を下って堀川の遊歩道に入る。

” 堀川は市内中心部にある運河の一つで、かつて市内と市街を結ぶ通路として利用されていた。(中略)一度暗渠になった堀川は、2006年に市民のための遊歩道として整備されこの区間は開渠となっている。"

リバーサイドラン 運河と小川を抜けて-京都-

このイベントの幹事を務めてくれた京都在住のM上さんが、今日のコースを設定してくれた。ついでにコースになっている各地の歴史などもこのイベントに合わせてまとめてくれていた。

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京都の中心市街、一段高いところでは車がビュンビュン走っている。その真っ只中に走ったひと筋の亀裂のような遊歩道を、縦長の隊列で進んでいく。
しばらく堀川沿いをまっすぐに進んだが、今出川の手前で遊歩道は途切れた。階段を上り、目の前に現れたコンビニの前で多くのメンバーと別れ、私を含めた3人だけがそのまままっすぐに進んでいった。

じつはこのイベント、参加者の走力や好みに応じて3種類のコースが設定されていたのだ。

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作成:M上さん

歩く人向けの5㎞コース、走る人向けの8㎞コース。この2つは五条大橋をゴールとするルートだ。
そしてもう一つ、平安神宮をゴールとする11㎞コース。じつは、元々はこのコースがメインルートとして設定されていたのだ。しかし、走った後に汗を流せる銭湯やネカフェが近くにないという理由で、メインに他のルートが設定されることになった。

ともあれ、せっかく全国から京都に集結したのにみんなで一緒に走らないというのが、いかにもこのクラブらしくて私は気に入っている。

11㎞コースに最初に手を上げたメンバーは、先月入会したばかりだがウルトラマラソン完走経験もある鉄人Wなべさんだ。入会してすぐにランニング部のZOOMミーティングに参加され、その場で京都オフの参加を即決した猛者である。
そして二番手は、大分から馳せ参じたHさんだ。Hさんと私は、東京・大分という遠距離にも関わらず、知り合ってから2年半ちょっとの間に4回一緒に走り5回一緒に酒を酌み交わした盟友である。

Hさんがこのコースを選んだ理由は、2月にM上さんと二人でこのコースをオンライン上で試走したからだそうだ。

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撮影:Hさん

( ちなみにこの時、HさんはM上さんが抱えた『分身ロボットOriHime』の中に大分からネット回線を繋いで入ったとのことだ。)

二人が手を挙げたのを見て、私もこのコースを走ることに決めた。各コースには先導者が必要となるのだが、幹事たちの中でこの距離を走る体力があるのがM上さんだけだったのだ。彼にはメインのコースを先導して欲しかったので、私がこの11kmコースを勝手に先導することにした。

では、この精鋭3名で先を進んでいこう。

堀川紫明の交差点に差し掛かる手前で側道を右に折れて進む。少し直進すると、車道の間に公園が現れた。我々が今走っているルートは、琵琶湖疎水に沿って組まれている。
コースの全体像を知っているのが私だけなので、先頭に立って進んでいく。堀川に比べると整備されていない水辺を見下ろしながら進む。水面から反射した光が草木に照り返して、その緑が瑞々しい。

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ここで、なぜかそこそこ大きいサイズの三脚を片手に持って走っていたHさんが「写真を撮りましょうよ」と我々に声を掛け、休憩を兼ねた撮影タイムとなった。

「ポーズを取ってください。ポーズ。」Hさんの指示に従い、我々は見えない何かを見つめ、指さした。

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撮影:Hさん

休憩を終え、なおも進んでいく。大通り沿いから側道に入り、道幅は徐々に狭くなっていく。道沿いの木々も高くなり、20度を軽く超える陽射しを遮ってくれる。川を渡る風が涼しげで心地よい。

なおも進んでいくと、鴨川に突き当たった。川沿いにしばらく進み、北大路通りに差し掛かった。左手前には、観光しない京都で取り上げられていた洋食屋『はせがわ』がある。ここのハンバーグとエビフライが絶品なのだ。

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交差点を右折して、鴨川に架かる橋を渡った。しばらく北大路通りを進み、交差点を渡って側道に入る。

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ふたたび、疎水っぽい眺めになってきた。先ほどよりは道路が整備され、走りやすくなる。しばらく進んでいくと、高野川に突き当たった。この川は下流の鴨川デルタで、鴨川と合流する。

「ここで写真撮りましょうか?」Hさんの指示により、我々は川岸に下りる。

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撮影:Hさん

とりあえず腰に手を当てるポーズを取り、フレームに収まった。

岸から上がり、なおも疎水に沿って進んでいく。水路に沿って身を委ねて走る心地よさはクセになりそうだ。川岸は護岸が施され、徐々に風情はなくなっていく。ここでHさんが一歩前に出てペースを上げる。

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周囲の風景がだいぶ都会的になってきた。哲学の道を少し進んだところで、右に折れて進んでいく。

二条通りを右曲がり、ラストスパート。岡崎公園と動物園・美術館が交わる交差点をゴールとした。

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撮影:Hさん

走っている間はほとんど会話を交わさなかったが、あえてメインのコースとは別の道を選んだ有志3名には、共犯者的な連帯感が芽生えたのであった。スマホに目を落とすと、他のルートを進んでいる面々から多くの画像や動画がアップされている。こちらからもHさんが上げてくれていたようだ。

たとえ別々の道を進んでいても、同じ時間に同じように走っている事には変わりない。いつもと同じように互いのランを共有し、いつもと同じように喜んだり感心したり讃えあったりする。これが我々PLANETS CLUBランニング部の流儀なのだ。

さて、そろそろ移動しないと銭湯の朝風呂営業が終わってしまう。3人相乗りで、タクシーで移動しよう。

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二条通りで拾ったタクシーは、昭和の香港映画に出てくるような胡散臭い運ちゃんに当たってしまい、超適当なルートをたどった挙句に高瀬川沿いのどんどん細くなっていく小道にものすごい勢いで突っ込んで行った。しまいには「たぶん、ここじゃないかな?」と、まったく身に覚えのないホテルの前に横付けされたのであった。
我々は「もういいです」と心の中で呟いてタクシーを降りた。

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撮影:T島さん

なんとか銭湯にたどり着いて15分ほどで汗を流し、その後は『マールカフェ』でランチを兼ねたオフ会になだれ込んだ。

ここから合流するメンバー(中にはなんと北海道から来た方も)もいて、合計24名の宴となった。

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食後は参加者全員で鴨川に下り、一人ひとりが感想と感謝を伝えた後に集合写真を撮って、オフ会はお開きとなった。

宇野さんをはじめ次の予定や帰りの電車の時間がある何名かとはここでお別れしたが、時間に余裕のあるメンバーたちはなんとなく別れ難い雰囲気になっていた。「そしたら、みんなで宿に戻りましょうか?」誰かが提案し、延長戦を行うことになった。昨日からメンバーの多くが宿泊している宿が会場に決まり、そのまま総勢18名で宿まで歩いた。

我々が向かっている宿では、昨日こんなことがあった。

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■ 町家に日常を持ち込んで寛ぐ

” いつか誰もが花を愛し歌を歌い 返事じゃない言葉を喋りだすのなら
何千回ものなだらかに過ぎた季節が 僕にとてもいとおしく思えてくる ”

出典: 天使たちのシーン/小沢健二

今回の京都オフに参加するにあたり、遠方からの参加者の宿をどうしようかと宿泊組のAやのさんと相談していたところ「いっそのこと、ゲストハウスを一軒借り切ってしまえばよくね?」という話になった。『京宿おから』という最小10名から最大15名まで貸し切り可能な宿を見つけ、ここに15名で前泊することになった。

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宿が決まってすっかり安心しきっていた頃、Aやのさんが今度はHさいさんと結託して「せっかくだから、ここでもう一泊しようよ」と話を進めていた。Hさいさんはこのオフ会幹事の一人であるが、島根在住であることとコロナ禍が重なってほとんどのメンバーとまだリアルで会ったことがなかった。
もちろん、私も月曜日に有休を取得して付き合うことにした。結局、オフ会当日も7名で10名分の代金を支払って宿泊することになった。

オフ会前日のチェックイン時刻は本来16時のところをAやのさんの交渉によって14時に変更してもらっていたが、それでも私を含む早朝入りのメンバーには時間が余ってしまう。
なかでも福井県敦賀市で酒まんじゅう屋を営んでいるN島さんが、仕事の段取りを付けてこの日だけ日帰りで参加することになっている。彼もほとんどのメンバーとは今日が初顔合わせになる。ここは、敦賀まで出向いてN島さんと走ったことがある私がアテンドすることにした。

11時にN島さんを京都駅に迎えに行き、すでに京都入りしているメンバー数名と合流して一緒に平安神宮の近くにあるお店に向かった。
『岡北うどん』。行列のできる人気店だが、AやのさんとM上さんに並んでもらっていたのでほぼ待たずに総勢7名で入ることができた。

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出来立てアツアツで、その熱さは唇の先を軽く火傷するほどだった。お味は出汁がきいていて海老の衣付けも素晴らしく、大満足だった。

食後はブラブラと歩きながらN島さんの家族へのお土産用のタルト購入に付き合ったり、五条の高瀬川沿いにある『BeerLab』で地ビールを嗜んだりしてチェックインに備えた。

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すっかりほろ酔いの我々一行は無事に宿に到着し、チェックインを済ませた。

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続々とメンバーが宿に到着し、初対面や再会をそれぞれ祝っている。特にオンラインで3〜4年も交流していた仲間との初対面の光景は、端から見ていても心が揺さぶられる。
前夜祭開始まではまだだいぶ時間がある。メンバーたちはそれぞれ荷物をほどいたり、宿備え付けの自転車で近所を散策したり、夕方の前夜祭に備えて買い出しに行ったりしていた。

前夜祭の責任者である私は、宿に着くなり備え付けの食器や箸の種類や数を確認したり、台所のレイアウトを整えたり、自分が使用するホットプレートのセッティングをしたりと大忙しだった。じつは私、飲食業が本職なのだ。

買い出し部隊に頼んでおいた等持院『ジャンボ』のお好み焼き(生)を手に入れると、私はさっそくホットプレートで焼きだした。この日に備えyoutubeで焼き方のイメージトレーニングを繰り返し、専用のコテ2枚をamazonで購入し、持参したのだ。

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撮影:Aやのさん

実際に焼いてみる。どうやら、ホットプレートではいまいち火力が弱いようだ。さらにはお好み焼きのボリュームが多過ぎて、2枚のコテではひっくり返すことが非常に困難である。実際、ジャンボでは「チリトリ」と呼ばれる巨大なコテを使ってひっくり返していた。
3枚焼いたところで作戦を変更することにした。台所に移動し、フライパンで焼くことにしたのだ。

私がこんな策を練っている間に、乾杯の音頭とともに前夜祭は開会され、メンバーたちはそれぞれのテーブルで料理をつつきながら楽しげに歓談している。
しかし、私はそれどころではない。目の前のお好み焼きに対峙し、この食べ物を通してメンバーたちと交流を深めること、それこそが自らに課した試練なのだ。

私は台所でフライパンを揺らし、ついにまん丸いお好み焼きを焼くことに成功した。

撮影:私がひっくり返すのを失敗する瞬間を狙ってカメラを構えていた I川さん

さすがはプロフェッショナルだ、俺。さっそく右手に私の自信作が載ったフライパン、左手に自分が飲むための赤ワインを持って各テーブルを回り、その出来栄えを自慢した。しかしメンバーたちは歓談に夢中で、あまり私の自信作に興味を示していないようだ。残念。

まあ、いいでしょう。みんなが私が作った料理をつまみながらこの場を楽しんでくれたら、それで満足なのだ。

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撮影:Aやのさん

私は隙を見てテーブル上の空いた皿を下げて台所のシンクで洗ったり、IHコンロや作業台を拭き上げ、ゴミをまとめてゴミ箱に捨てたりしていた。すると、何名かのメンバーたちから「台所の使い方がキレイ」とお褒めを受けた。もちろん嬉しかったが、ここは飲食業全体の地位向上を図るために「これぐらい当然ですよ」と、カッコ付けてしまうのであった。

その後、みんながお好み焼きを食べ尽くしてお腹いっぱいになった頃合いを見計らって、今度は焼きそばを焼きはじめる。

撮影:Aやのさん

ちなみにこの焼きそばも『ジャンボ』で買ってきてもらったものだ。これらは、観光しない京都で取り上げられた、右京区民のソウルフードなのだ。

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撮影:Aやのさん

私は焼きそばを作るたびに、「もうお腹いっぱい」と苦しんでいるメンバーたちの皿に無理やり焼きそばを乗せて回った。

もちろん、私だけが料理を作り続けていたわけではない。
単身赴任先のTOYOTAから馳せ参じたOろしさんは自家製のベーコンやスモークチーズなどを振る舞い、

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撮影:Aやのさん

AやのさんやHさいさんも台所に立ち、京野菜など様々なメニューを提供してくれた。

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撮影:Aやのさん
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撮影:Aやのさん

N島さんからは売り物の酒饅頭を差し入れていただき、その他メンバーたちも食べきれないほど大量のお土産を持ってきてくれた。

楽しい宴は22時頃に終わりを告げ、多くのメンバーは近所の銭湯へと移動していった。残ったメンバー数人で、宿に備え付けてあった『UNO』を楽しんだ。

撮影:U原さん

このメンバーに、T島さんとU原さんが入っていた。彼らとは今年1月の大分リレーマラソンで私とご一緒するはずが、コロナの蔓延によって合流できなかったのだ。あれから3ヶ月でコロナ禍もだいぶ落ち着き、ようやく会うことができた。
この前夜祭でほとんど何も食べず(酒はたらふく飲んだが)料理を作り続けた私に、神様がご褒美をくれたのかもしれない。

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といった経緯で、昨夜宿泊し今夜も宿泊する予定の宿に我々18名は到着し、京都オフ会の延長戦を行うことになった。

とはいえ前夜祭のように始まりと終わりが決まっているわけではない。各自が好きなところに腰掛けてその辺にある飲み物を飲みながら雑談し、今日帰る人は二階で荷造りを始めている。また、今日も泊まる人は晩飯の買い出しに行ったり、また有志で気まぐれに近所の史跡を見にいったりするような、緩やかで穏やかな集いだ。

私は明日着る服がなくなったので、宿の自転車を借りてコインランドリーに行った。すでにHさいさんが来ていて、乾燥機を回していた。二人で待ち時間を潰している間に「近くにある店の麹ソフトクリームが美味しそう」という話になり買いに行ってみたのだが、そのお店が超絶人員不足でいつまで待っても店員が注文を取りに来ることはなく、諦めて手ぶらで戻ってきた。
「こんなどうってことない出来事を旅先で島根に住んでいる人と共に体験できるというのは、じつはとても贅沢なことなのではないか?」などと、その時ふと思った。

宿に戻ると、すでに夕方になっていた。私は昨日の残りのお好み焼きと焼きそばを前夜祭に参加できなかったメンバーたちに振る舞った。
Oろしさんは米を炊き自家製のスパイスカレーを作ってくれた。

撮影:Aやのさん

Aやのさんは、地下鉄に乗ってまで買いに行った『はせがわ』のハンバーグを提供してくれた。

撮影:Aやのさん

明日は月曜日だから帰らなければならないメンバーが多く、一人またひとりと徐々に参加者が減っていく。
なんだか寂しいなと思いかけたところで、二階から物音が聞こえた。音の主はU原さんだった。どうやら荷造りをしている最中にうたた寝をしてしまったらしい。てっきりもう帰ってしまったのかと思い込んでいたので、貴重なボーナスポイントを獲得したような得した気分になった。

その時、我らがランニング部の部長が書いた文章の、ある一節を思い出した。

“ 共に寝転ぶ。これこそが、久々に仲間と会う上で最も尊い時間のように思えた。(中略)自分には持ち得ない視点で、自分には辿れない道を走り続けてきた仲間と、確かに時間を共にしている。そして、畳の上で寝転び、一緒に立ち止まっている。”

『会わなければ、一緒に立ち止まれない。』

ここで書かれている「尊い時間」が今この時なのではないか、と感じた。様々なオンラインランを考案し実行していった部長だが、最後にこだわったのは実際に会って共に寝転ぶことだったのだ。

今まで伝えそびれていたが、じつは我がランニング部の部長はもうこの世にはいない。若くして病魔に侵され、去年の10月にお亡くなりになったのだ。

ここで、部長の話を少しだけさせていただいても良いだろうか?

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■ 部長と「待ち合わせ」して走る

” 神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように ”

出典: 天使たちのシーン/小沢健二

オフ会前日の話になる。

2022年5月21日、土曜日。早朝6時。明日に迫ったランオフに備え、私は深夜便の高速バスで京都駅前に到着した。

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ひとまず八条口のマクドナルドで軽くブレックファーストを摂り、今日の予定を脳内で反芻する。

そもそも京都に到着して早々に周辺を走る予定だったが、天気予報はあてにならない。駅前は小雨が降ったり止んだりを繰り返していた。走り慣れていない場所で路面の状態が悪い道を走ることは、できれば避けたいものだ。しかしこの時間帯を逃すと、この旅程中ひとりで走る機会はもうなさそうだ。それに、私にはどうしてもひとりで走らなければならない理由があるのだ。

私は店を後にして駅コンコース内のトイレで手早く着替えを済ませると、八条口の全体を覆うほど巨大なコインロッカー群に向かった。大量のロッカーからSuica対応の一角を見つけて、荷物を預けた。駅前の道路に視線を移す。幸い、雨脚は弱い。これならなんとかなりそうだ。

「あとは走るのみ」 準備体操をしようと体勢を変えたところで、背後から声を掛けられた。

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Aやのさんだ。

私より一時間ほど遅いバスに乗られたところまでは、彼女のTwitterの投稿を見て知っていた。冷静に考えれば、ここで遭遇すること自体そんなに驚くようなことではない。それでも、旅先でいきなり地元の仲間に出くわすことは、かなりの驚きだ。

反射的に人違いを装おうとしたが、時すでに遅し。私が普段ランオフに参加する時と寸分違わぬ出立ちだったため、ごまかしが効かなかったようだ。私は挨拶もそこそこに、目的地に向かって走り出した。

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京都駅八条口のまん前を横切る通りを右に向かって進み出す。道なりに進むと、JRのガードが頭上に横切ってきた。

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ガードをくぐったところで左に舵を切り、ガードを左手に眺めながら進んでいく。

右手に和菓子屋が現れた。まだ時刻は7時半くらいなのにお店は開いていて、しかもけっこう賑わっている。

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「京都の人、どんだけ早起きなんだ?」 と首を傾げなら進んでいると、東寺の南大門に差し掛かった。

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なんかすごく混雑しているのですが…… やはり京都人は超早起き人種なのか? 

不思議に思いながら宿泊メンバーのメッセンジャーにこの状況を報告すると、「毎月21日は東寺「弘法市」!骨董や食品など何でも売っている京都一の縁日らしいですよ。持ってますね~」と、情報が入った。

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ここから先はGoogleの案内に従って、目的地へと向かって行く。行き先は桂川に架かる久世橋だ。

以前宇野さんが久世橋に関しての記事を書かれていた。
そこでは 「まだ何ものでもない自分にとって、久世橋から『ここではないどこか』に延びている線路や道路を眺めているだけで、可能性が無限に広がったような錯覚に陥って、それが自分の救いになった。」 という内容が語られていた。

とても個人的な体験に根差した文章だったが、それゆえに久世橋という場がどんなところなのか、とても気になったのだ。スタートから4kmほどで、久世橋にたどり着いた。

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特に変わったことのない橋ではあるが、誰かの特別な体験を聞いた上で眺めると特別な文脈が生まれ、ちょっとした聖地巡礼感がある。

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私はここで人と待ち合わせをしている。
人といっても、相手はこの世に生存している人間ではない。昨年亡くなってしまった、我らがランニング部の部長だ。

部長が作成した活動方針

先に述べたように、我々が所属するランニング部の活動は独特である。走るスピードや体力増強・健康増進などを目的にはせず、ただ各メンバーが「走り続けること」をサポートする。走ることによって街の見え方が変わり、自身への向き合い方にも変化が現れる。そして日常にバリエーションが増え、生活が豊かになる。

元々は宇野さんが書かれた記事に影響されて始まった活動だが、これを一手に引き受けて牽引してきたのは部長だった。そして私を含む多くのメンバーは、部長の取り組みに惹かれ、共感して集まってきたのだ。
そんな我々にとって、今回の京都オフは特別なイベントである。にも関わらず部長を連れて来れなかったことが無念で仕方なかった。みんな口には出さないが、おそらく同じ気持ちだろう。私は一人で走る際にあの世から部長を召喚してここで待ち合わせ、一緒に走ろうと画策した。

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橋を渡り、雑草が生い茂っている土手に腰掛け、私は部長を待った。部長の姿は見えないが、その気配は感じられる。
「みんなが部長の遺志を継いで、ついに京都までやってきました。本当にありがとうございます。」
ここからは、部長と一緒に走って行く。部長との思い出に触れながら。

桂川沿いを進んでいく。はじめは車道を進んでいたが川が見えないのは寂しいので、土手に上がって先に進んだ。

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土手の上の道は完全に車道がメインになっており、ランナーとしては心もとない。追い抜いてくる自動車に気をつけながら、慎重に進んでいく。ここ数年、私は出張で頻繁に京都を訪れており市街地を走ることもよくあったが主に繁華街がある鴨川方面を走っていたので、住宅街寄りの桂川の風景が新鮮に感じられる。

そういえば、インドア派で旅をしている姿が想像しづらい部長は、京都を走ったことはあったのだろうか? もし走ったことがあったとしても、誰かと一緒だったら相手を楽しませることに気を使いすぎて、自分は楽しめなかったのではないか? などと、いらぬ心配をしてしまう。

ランニング部のオフ会でも、部長は走っているメンバーたちの写真を撮ったり、現地参加できなかったメンバーに向けてライブ配信をしたりと、いつも忙しく動いていた。
部長がいなくなってから、オフ会を開催するたびにメンバーたちはその大変さを思い知ることになった。だから私は、部長がやっていたことの何割かでも自分で代わりができないかと、模索しながらランニング部の活動を続けているのだ。

桂離宮の手前に架かっている橋を渡り、桂川とはお別れする。ここからは、ゴールに向かって進んでいく。

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京都なのに、歴史も風情も感じられない街道沿いをしばらく進んでいく。部長と一緒に走った思い出やオンラインで話したことを反芻しながら走るのに丁度いいくらい刺激のない風景と、適度な向かい風が心地よい。

中央卸売市場の先、JRのガードをくぐり抜けると、右手に梅小路公園が現れた。

ここでも朝からイベントが開催されており、家族連れを中心に賑わいを見せている。
この公園に隣接するホテルには、部長が大好きな『aeru 』という日本の伝統文化をアップデートするブランドがプロデュースした客室がいくつかある。私はそこに2回ほど宿泊したことがあり、部長は羨ましがっていた。せっかくだから、部長にもaeruの客室を見学してもらわなければ。ゴールは間近だが、私はここで水分補給とトイレ休憩を取ることにした。

休憩中、オフ会参加者のメッセンジャーに、今撮影した梅小路公園の画像をアップした。すると、Aやのさんから「めっちゃ近くにいるけど、私はパン屋に向かって走り続けます!」とメッセージが入った。ちょうどよかった。部長、せっかくだからAやのさんにも会っていってくださいよ。朝飯もまだなんでしょう? 
名残惜しくはあるが、生きていればまた会えるはずだ。部長と再会を約束し、この先はふたたび一人で進んでいくことにした。

公園を出て西本願寺の横道を通り抜け、路地に入りなおも進んでいく。

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ゴールは住宅街に延びた路地の突き当たり、白山湯だ。

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ここも朝っぱらから地元民で大混雑していた。サウナがカンカンに熱くて、水風呂がキンキンに冷えた、良い銭湯だった。

脱衣所の自販機で缶ビールを買い、飲みながら京都駅まで歩いて行く。待ち合わせの11時に、ちょうど到着するペースだ。これから先はN島さんをアテンドするという重要任務が待っているのだ。

そして今夜は前夜祭だ。部長がいない分、自分が頑張らなければ。

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■ 祭りの後、奈良までドライブする

” 月は今 明けてゆく空に消える
君や僕をつないでる緩やかな 止まらない法則 ずっと ”

出典: 天使たちのシーン/小沢健二

部長の話が長くなってしまった。オフ会の延長戦の話に戻そう。

延長戦は日付をまたいで深夜2時まで続いたらしい。
「らしい」というのには理由がある。じつは、私の記憶がまばらなのだ。宿のテレビで『鎌倉殿の13人』をみんなで観たあたりまでは覚えているのだが……

飛び飛びの記憶を整理する。
台所で立ち話をしているうちに部長の話になり、Aやのさんが部長の死が発覚した時の話を克明に語り出したのを合図にして、私の涙腺が決壊してしまったようだ。正直、前夜祭を無事に終えた達成感で、オフ会当日は精神的に燃え尽きていた。特にオフ会から宿に戻った後は、心ここにあらずの状態だったのだ。

翌朝は、酷い二日酔いで目覚めた。昨日、炎天下で走った影響もあり、脱水症状も感じられる。
宿泊したメンバーもひとりづつ去っていき、チェックアウトの10時を迎えたのはAやのさんとHさいさん、Oろしさんと私の4人だけだった。

私は奈良に行く用事があり、Oろしさんが「せっかく京都まで来たから、観光して帰ろうかな?」と、私を車に同乗させて奈良まで同行してくれることになった。半分は本音なのだろうが、もう半分は私をねぎらってくれたのだろう。
オフ会の集合写真もすべてOろしさんが撮影してくれた。部長の穴を埋めようと、言葉には出さずとも共に奮闘していたのだ。

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我々おっさんの同行二人旅は、出発から1時間半ほどで最初の目的地に着いた。無人書店『ふうせんかずら』だ。

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撮影:Oろしさん

私はここで一棚書店主をしており、本の補充に来たのだ。

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無事に任務を終え、ランチを摂ることにする。

町家を改装したカフェで、ランチプレートをいただいた。

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食後は、せっかくだからベタな観光地に行こうと、法隆寺まで足を延ばした。まるで大人の修学旅行のようだ。

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コロナ禍が落ち着いた反動なのか、修学旅行生の数が半端ない。

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飛鳥時代からの歴史に触れてご満悦の我々は、法隆寺駅で名残を惜しみながら解散した。私はこれから京都駅まで戻り、夕方の新幹線に乗って東京まで帰る予定だ。

20人以上のメンバーがそれぞれの想いを胸に参加した京都ランオフは、大成功を収めた。おそらくはクラブの公式イベントとして、毎年恒例となるだろう。部長という神様がいなくなってからも、我々の人生は続いていく。願わくば、来年は新しいメンバーを何人も連れてきたい。

" There'll be angels. " (ここにだって、天使はいる)

出典: 天使たちのシーン/小沢健二

そして、貸し切りの宿で彼らに話すのだ。
「このランニング部の部長は、素晴らしい人だったんですよ」と。


【おまけ】

・Aやのさんが書いた京都オフの記事はこちら。

・Hさいさんが書いた京都オフの記事はこちら。

・『観光しない京都』の最新版は、こちらの雑誌で読むことができます。


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