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太田で『足跡』を走る “ 旅先で『日常』を走る 〜episode42〜 群馬編 “



前回のあらすじ

松山で『温泉』を走る

" 松山からしまなみ海道伝いに尾道まで抜けるルートは、一度や二度の旅では味わい尽くせないほどに魅力が満載だ。さらに船や電車を駆使して、呉や広島にも容易に足を延ばせるのだ。”



太田で『足跡』を走る


 ■ GWを過ごす最適解を探る

以前、ランニング仲間のM香さんが書いたnoteの記事に触発されて、大阪城を走ったことがあった。

M香さんは、スピッツのライブに遠征した翌朝に大阪城公園を走った。その記事に触発され、私も関西出張の際に同じコースを走ったのだった。それも、M香さんが組んだスピッツのセットリストを聴きながら。
なんというか、時間を超えてM香さんと並走しているような、得難い経験だった。

*

なんで唐突にこんな話をしているかというと、じつは深刻な理由があるのだ。

私が暮らしている東京都では、4/25から緊急事態宣言が発令された。1ヶ月前に解除されたばかりなのに、これで3度目だ。

私は社会人になってから飲食業ひとすじで大型連休は休まず仕事をすることが常だった。それが今の会社に転職して初めて、去年からゴールデンウィークに休暇を取れるようになったのだ。
それなのに、それなのに… 奇しくもそのタイミングで、世界中をコロナ禍が席巻したのだった。

もし神様が存在するのならば、あまりにも酷い仕打ちだ。でも、私は負けない。どんな状況でも突破口を見いだし、強く生きるのだ。

とはいえ、さすがに遠方、特に関西方面への移動は憚られる。なにしろこの1ヶ月間、私は京都への出張すら自粛しているのだ。
しかし、関東近県なら、出掛けても大丈夫かな? 気を取り直して、走る場所を探すことにした。

ネットで、北関東方面のあまり人口密度が高くなさそうな場所を探す。いろいろと探してしているうちに、ひとつ思い出した場所がある。

群馬県太田市。ランニング仲間のOろしさんがnoteの記事で書いていた場所だ。

自動車関連の仕事に従事しているOろしさんが、北関東を代表する工業都市である太田市にたびたび出張するなかで、その土地の歴史への理解を深めて行く。

“ 南端に広がる大きな敷地はなんだかわかるだろうか。これは戦時中には大泉飛行場と呼ばれ(中略)敷地内中央にある丸と丸を太い線でつないだものが滑走路だ。
北端の中島飛行機群馬製作所から南端の大泉飛行場までを結ぶこの道路は(中略)群馬製作所で製造された飛行機が翼を広げたまま大泉飛行場まで輸送され(中略)道幅は33mもあったらしく、現在も片側2車線で立派な道路だ。”

ある時Oろしさんは、その土地のかつての姿に思いを馳せながら走った。それが、その記事の内容だ。

自分が立ち会っていない、その土地の過去を想像しながら走ることは面白そうだな。そう思った。
そして冒頭の話題に戻ると、以前の大阪城ランは、M香さんの『足跡』を追って走ったのだった。太田ではOろしさんの足跡を追い、時間を超えて並走することになる。

①その土地のかつての姿に思いを馳せながら、
②さらに仲間が走った足跡を追う。

太田を走ることは、まさに『一粒で二度美味しい』ランではないか? これは面白そうだ。思い付いた俺、天才!

週間天気予報を見る限りではゴールデンウィークの天候は不安定だが、5/3と4の2日間は概ね晴れ模様のようだ。ここで日程を組んで、私は群馬県太田市に向かうことに決めた。

ここから先に書かれていることは盛りだくさんだが、すべてゴールデンウィークの2日間に私の身に起こったことである。



 ■ 5/3 午前 紫の夜を越え、太田に向かう

5/3、憲法記念日。私の朝は早かった。なぜなら、オンラインイベント『僕らのマジックアワーラン』があったからだ。

マジックアワー
日没前、日の出後に数十分程体験できる薄明の時間帯を指す撮影用語で、光源となる太陽からの光線が日中より赤く、淡い状態となり、色相がソフトで暖かく、金色に輝いて見える状態である。

ランニングを通して知り合った仲間たちが、いつもより早起きをして、それぞれの場所で『マジックアワー』の空を写し、それぞれの体験をシェアする。
M香さんの発案で行われたイベントだ。

私は「日の出を撮影するなら『日の出桟橋』でしょ。」と、オヤジギャグ全開でこのイベントに臨んだ。日の出桟橋は自宅からチャリ圏内だが、万が一の寝坊リスクを鑑み、わざわざ浜松町に宿を取り前泊した。

4:30に宿を出発し、撮影した日の出桟橋の日の出がこちらである。

その後は5時にZOOMを繋いで、参加者が各地のマジックアワーの空をリアルタイムで共有した。M香さんはもちろんのこと、Oろしさんをはじめ合計15人ほどが参加した。
また首都圏だけではなく、長野・京都・島根・大分と、全国各地から参加者が集った。これが、オンラインランの強みである。

イベントは5:20頃に終了し、私は竹芝桟橋から貿易センタービル、芝増上寺を経由し東京タワーまで走った。

浜松町駅を起点にしておよそ半径1km圏内に、桟橋・ビジネス街・寺院・観光名所、さらには芝公園まである。都内でも有数のお気に入りスポットだ。しかも、早朝は人も車も少なく空気も澄んでいて、とても快適に走れるのだ。

じつは私は貿易センター内の居酒屋で店長をしていたことがあり、また、浜松町に本社がある会社に勤めていたこともある。意外に思い出深いスポットでもあるのだ。
そういえばOろしさんも、先日出張でこの近辺に宿泊した際にこのあたりを走っていたようだった。

その後は駅近くまで走って戻り、まだ開いたばかりのマクドナルドでブレックファーストを摂った。そして、宿に戻りシャワーを浴びてから、しばし仮眠を取った。しっかりと二度寝できるように、12時チェックアウトのプランにしておいたのだ。

昼前に目覚め、宿をチェックアウトした。地下鉄大門駅から押上を経由し、東武線を使って太田に向かう。駅改札に向かうために貿易センターの地下を通ると、入居していたテナントはすべて転居していた。

隣に新たなビルを建て、こちらは取り壊しになるようだ。

さあ、各駅停車を乗り継いで太田に向かおう。
移動の時間を利用して、Oろしさんの文章を読み返していく。

電車を2回乗り換えて、館林駅まで来た。
ホームで、出稼ぎ労働者と思しきアフロな方に木津駅への乗り継ぎを聞かれた。このあたりの土地勘がない私は、ホームの案内板を探し、参照した。すると、どうやら私と同じ電車で大丈夫なようだった。私は流暢なボディランゲージと3歳児並の英単語力で、道案内を全うした。

伊勢崎行きに乗り、またスマホに目を落とす。予習に余念のない私。ふと気付くと、先ほどのアフロが降りていくところだった。ホームの表示は『木津』。よかった、無事に降りれて。

いや待てよ。太田駅は木津よりも手前のはずだ。

ガーン、どうやら乗り過ごしたようだ。アフロの後を追うように、慌てて私も下車する。改札口にある発車案内を見ると、太田方面に向かう次の電車は一時間後だった…

まずは落ち着こう。駅の待合所で時間潰しにFacebookを眺める。するとニュースフィードに、これまたランニング仲間であるI川さんの投稿を見つけた。

なんと、私が今日取っている宿も前橋なのだ。なんという偶然。しかもI川さんは出張先での業務が深夜に及ぶため、残念ながら今朝のマジックアワーランは不参加だったのだ。
これは今朝のリベンジも兼ねて、一緒に走るべきだな。そう思い、さっそくメッセンジャーでI川さんにお誘いを掛けた。

メッセージを送ったところで、いい加減電車を待っているのも飽きてきた。ノルディックウォークで太田に向かってみるか。



 ■ 5/3 午後 太田を走る

木津の駅舎を出て、まずは駅前の道を左方面にまっすぐ進む。いきなり、目の前に『前方後円墳花壇』なるものを発見した。

「いったい何なんだ、これは?」というのが、ごく一般的な反応だろう。

しかし、私はうろたえない。なぜなら、Oろしさんの記事を熟読済みだからだ。

“ 太田は飛行機⇒自動車の街である以前から古墳の街なのだ。(中略)一番西側にあるひときわ大きな前方後円墳へ。これは太田天神山古墳(別名、男体山古墳)と呼ばれるもので、実は東日本最大の古墳だ(国指定史跡)。”

この地域は、Oろしさんの話の通り前方後円墳推しのようだ。先に進もう。

何の変哲もない田舎道をまっすぐにポールを突き刺しながら進む。突き当たりを左折。このまま線路まで進み、線路沿いの道を直進すればよいはず。
あれ?線路沿いに道がない… これぞ、Googleの罠。地方あるあるのエピソードだ。仕方がない。迂回して行こう。

少し戻って工業団地的な一帯を進んで行く。しかし、進めど進めど誰ともすれ違わない。工場が多い地域なのでGWは閑散としているのだろうか。5㎞ほど歩いてもう疲れたので、一駅戻ったところで電車に乗ることにした。
おとなしく待っていたら、この一本前の電車に乗れたのだがノープロブレムだ。まだ慌てる時間帯ではない。ゆっくり行こう。

5分ほどで電車はやって来た。そして、太田駅に無事到着した 。

コインロッカーを探しつつ、太田駅前の様子を伺う。駅前はけっこう栄えてるようだ。人口20万人以上を擁する、工業都市だ。海外からの出稼ぎ労働者も多く、自動車での移動はせずに自転車やバスで駅前の繁華街に来て遊んだり、買い物を済ませる人たちも多いのだろう。

コインロッカーに荷物を預けてから、逆側の出口、スバル工場がある方に出た。ここを起点にして、なんかの建物の正門前、Oろしさんがゴールにした地点で折り返す算段だ。

時刻は17時過ぎ、いい時間帯だ。走り終わる頃には、ゆっくりと日が沈みだすだろう。日の出から日の入りまで、一日のうちに走りながら両方を体験するのは、生まれてはじめてかもしれない。
軽く準備体操を済ませ、いよいよスタートした。

まずはロータリーからガード下に沿ってスバルの工場西門前に向かう。その前には、Oろしさん推薦の汁なし担々麺屋『うしおととり』があるはずだ。
じつは事前に、Oろしさんにこの辺りにある旨いラーメン屋情報を聞いていたのだ。ディナーが18:00オープンなので、走り終わったら食べる計画なのだ。走るより、こちらの方が楽しみかもしれない。

心なしか足取りも軽く快調に走り続け、その店の前にたどり着いた。

念のため、ディナーの営業時間を確認するために、店頭の貼り紙を見た。

「本日、食材切れにつき閉店です。」
まじか… 嘘だと言ってくれ……

しかし、起こってしまったことを気にやんでも、事態は変わらない。気を取り直して走ろう。Oろしさんの足跡をたどることが今回の目的なのだ。

リスタート!

いやはや事前に聞いていた通りのまっすぐな道だ。いつもならついついスピードを出しすぎてしまいそうな走りやすさだ。しかし、なぜか今は足取りがやや重い。なぜだろうか?ガードをくぐり、さらに進む。夕方のこの時間帯は家路を急ぐ人たちで自動車の交通量が多い。気を付けて走ろう。

この道は、元々は北側の工場で作った飛行機を、翼を広げたまま南側の飛行場まで運ぶために作られたのだ。ひたすらまっすぐで走りやすいのは当然だ。ここで私はOろしさんのお勧めに従って、両腕を翼のように広げて走ってみることにする。

撮影する際に片腕を畳まないとならないので不恰好な画像になってしまったが、実際はもっと飛行機っぽく走ったのだ。48歳のおっさんがドクタースランプあられちゃんのような振る舞いをしても、どうせ誰も見ていないので平気だ。

なおも進んでいく。ひたすらまっすぐに。右手にロードサイドのスーパーやドラッグストアが点在するくらいで、あとはのどかな風景が続く。

まっ平な道のりで、自然に加速していく。

駅前を出発してから3kmほどで『太田市運動公園』に差し掛かった。

しかし、私はこの正門をくぐらずになおも直進する。往路はOろしさんのルートを踏襲したいのだ。公園の外周をなぞり、そのはずれを右に曲がる。

さらに少し進むと、左手に『かつての飛行機の搬入口からはやや西にそれたところにSUBARU関連の施設の門』を見つけた。

ここが往路のゴールだ。

少し直進したところに運動公園の裏口があるので、そこから中に入ってみる。

遊歩道を進み、広場のベンチで小休止しよう。なぜなら、今から急ぎで本日ディナーを摂る店を探さなければならないのだ。

この地域ではあまり当てにならないが、Googleマップを起動して近くのラーメン屋を探す。復路で今日の夜営業していて、なおかつ口コミスコアが高い店を探る。すると、餃子に定評がある店が一軒見つかった。よし、ここにしよう。

ついでにスマホの通知欄もチェックする。今朝の『マジックアワー』ネタで書かれたnoteの記事がすでに複数アップされており、内容も素晴らしかった。みんな仕事が早い!
M香さんと一緒にイベントを主催したAやのさんは午前中のうちに記事を書き上げ、昨日1時間しか寝てないと言っていたCょうさんも、この記事に触発されてかなりの長文を書き上げていた。

汁なし担々麺を堪能するためにランチをろくに取っていなかったので、空腹感が我慢の限界に近づいてきた。そろそろ、引き返そう。

復路は、結局往路とほぼ変わらぬ道を進んだ。

だいぶ日も傾いてきた。途中二度寝はしたものの、なかなか長い一日だった。

復路では、事あるごとにシャドーボクシングをしながら進んだ。あぶないおっさんだと思われるかもしれないが、これもOろしさんのお勧めの走り方なのだ。

“ 大泉飛行場は、現在SUBARU大泉工場として運用されている。大泉工場で主に生産されているのはSUBARUのアイデンティティそのもの、すなわち水平対向エンジンだ。(中略)そのピストンの動きが背中合わせのボクサーのように見えることから「ボクサーエンジン」とも呼ばれる。
(中略)この道を往復でランニングするのであれば、往路は両手を翼のように広げて走り、復路はシャドーボクシングをしながら走るのが良いのかもしれない。”

もうすぐ日が落ちる。前方後円墳は次回の楽しみとしよう。

私はそのまま太田駅に戻り、着替えをそそくさと済ませると、すぐに餃子屋に向かった。駅からちょうど1kmほどの場所に餃子屋はあった。
店頭の張り紙によると、6月に移転し餃子のテイクアウト専門店に鞍替えするらしい。滑り込みセーフだ。

カウンター席に案内されるとすぐに、餃子と瓶ビール、それと味噌ラーメンを頼んだ。そういえば店で酒を飲むのもしばらくぶりだ。東京近郊の飲食店では、アルコールドリンクの提供が禁止されているのだ。

10分ほどで、料理が提供された。

2013年くらいに食べログで賞をもらったという味噌ラーメンはなかなかの味だったが、やはりこの店の売りは餃子だった。

ジューシーさに特化した餃子。醤油はつけるなという店主のこだわりは理解できる。軽くお酢を付けるくらいが丁度よい。

今日の出来事を振り返りながら飲みつつ食べていると、時間はあっという間に過ぎていく。時刻は19:30を回っていた。ここは群馬県だからまだまだ閉店時刻ではないが、本日の宿まで1時間ほど電車で移動しなければならない。

そろそろ、前橋に向かおう。

移動の車中で思う。
緊急事態宣言下でも、その土地のかつての日常や、仲間の過去の足跡と伴走することによって、擬似的なオフラインを体験できる。

また、今朝の出来事のように、テーマを決めて世界中で同時多発的に繋がることによって、我々は『オンライン』と『オフライン』の中間的な体験をしているのだ。

そして、これは人類の歴史上類を見ない、豊かな体験に違いないのだ。



 ■ 5/4 前橋を走る

一夜明け、5/4。前橋の朝。旅は2日目にして、最終日を迎えた。

宿の朝食バイキングを済ませ部屋に戻り、スマホに目を落とす。FACEBOOKアプリを開き、昨日参加した『マジックアワーラン』のスレッドを眺めると、新しい投稿が続々とされていた。

寝坊してリアルタイムで参加できなかったメンバーたちの1日遅れの投稿や、海外在住のメンバーによる時差投稿も相次いでいた。我々の仲間はパリやラスベガスにもいるのだ、と改めて思い知った。ワールドワイド!

などと感慨に耽っているのだところで、メッセンジャーにI川さんから返信が入った。
「メッセージ今見ました。ぜひ一緒に走りましょう!」

やったね、一緒に走れる。前日の勤務中に無理を言ってスマンカッタ。さっそく着替えて、宿をチェックアウトした。

前橋駅コンコースのコインロッカーにバッグを突っ込んで、ロータリー前で準備体操をする。

駅周りに人はポツポツと出ているが、一様にのんびりしている。のどかだ。その中でガチっぽい出立ちにサイクリストの存在が異様に目につく。まあ、ランニングウェア姿の私も端から見れば同じようなものだろうが。では、出発しよう。

待ち合わせは11:00『臨江閣』前だ。時間に余裕があるので、寄り道していこう。まずは、駅前を貫く目抜き通りを進む。

街路樹が立派だ。私が泊まった宿も含めて何軒かのホテルはあるが、それ以外は何もない。さっき駅逆側の出口も見に行ったが、こちらよりもっと何もなかった。
JR駅周りよりも、これから寄る中央前橋駅が中心地らしい。

ひたすら進んでいくと、巨大な歩道橋(横断歩道なし)に行きあたった。

これだけの距離を跨ぐために登ったり降りたりするのは面倒くさいが、他に手段がないので仕方なしに登る。この交差点を左に進めば臨江閣だが、このまま直進する。

歩道橋を降りると、沿道に商店が点在するようになった。しかし、その多くが廃墟だった。廃業した店舗の看板もテントもそのまま打ち捨てられて、ボロボロになっているものが多い。

あまりにも絵に描いたような廃墟感。物珍しさでキョロキョロしているうちに、中央前橋の駅前に着いた。

小綺麗な駅と小洒落たシャトルバスが存在する。駅前には、人もそこそこいる。さすがは中心街だ。

しかし駅前も廃墟だった。まさに、教科書通りのドーナツ現象だ。30万人以上が暮らす県庁所在地には見えない。

おそらく、商業地はロードサイドに、繁華街は二つの新幹線のターミナルである高崎に、その座を奪われてしまったのだろう。じつは先月、ここから電車で一時間ほどの距離にある栃木県佐野市を走ったのだが、さびれ方に同じ匂いを感じる。
このまま裏道の方まで探索したい欲望に駈られるが、そろそろ時間がなくなってきたので、臨江閣に向かおう。

駅前に走る幹線道路を進み、しばらく先を左折する。なおも道なりに進むと小川があり、架かっている橋を渡る。

しかし、小川なのにものすごい水量だ。なにしろ音がすごい。風流なんてものではない。災害かと錯覚するくらいだ。

橋の先を少し進むと、目的地である臨江閣に到着した。

そして、臨江閣は休業中だった。

群馬もコロナ感染者が増加中だ。古式ゆかしい屋敷を間近で見たかったが仕方ない。

しばらくするとI川さんが現れた。
挨拶もそこそこに、I川さんはスマホを取り出し、臨江閣の正門をバックにふたりで記念撮影をした。

I川さんは嬉しそうにFBにアップしている。かわいい。

続いて、互いの近況を報告する。といっても、10日ほど前にランオフで皇居を一緒に走ったばかりなのだが。I川さんはSEで、客先のシステム稼働に立ち会うために出張中だった。普段は15:30から24:30勤務だが、たまたま今日だけ休みとのことだった。ラッキーが続く。普段の行いが良い我々。

利根川で走るので、走りながら移動する。

移動中も主に共通の話題をペラペラ喋りながらすすむ。そういえば、オンラインではあまり交流していないが、ランオフではI川さんと並んで喋りながら走ることが多い。その分、他のランニング部メンバーよりもリア友感があるような気がするのだ。

1.5kmほどで、利根川に到着した。そして我々は、目の前に架かった大きな橋の前で協議をはじめた。どちらの岸を走ろうかと。
こちら岸の道は川辺から少し離れているような感じで、向こう岸は様子が伺えない。「とりあえず向こうにいきましょうか?」となった。

橋を渡っているとガチっぽいサイクリストとすれ違う。 また、向こうから歩いてくる若いカップルの服装がアウトドアブランドで固められている。

もしかして、この界隈はアウトドアガチ勢の巣窟では? 一見さんが軽い気持ちで迷い込んだら生命の危機があるのでは? 恐ろしい…
『秘境グンマー』とは、ネットスラングではなく現実だったのか? Tシャツに短パンで分け入るなんて、狂気の沙汰なのではないか? 思わず怯む。額に汗が光る。しかし勇敢なおっさん二人組は、果敢にも利根川ランに挑むことにした。

橋を渡りきる。河川敷に自動車教習所がある。その脇道に『サイクリング道路』の看板が立っている。

『ロード』ではなく『道路』だ。昭和の香りが漂う。歩行者も入れるようなので、そのまま進む。堤防の上に敷かれた道が続いている。

右手には利根川。川幅は広く、水量も豊かだ。うっかり入り込むとあっという間に流されそうだ。川の中には釣り人がチラホラ。

堤防から、普通の舗装路に変わった。

サイクリストが高速ですれ違っていく。交通戦争だ。道端では家族連れが記念写真を撮っている。GWに遠出が憚られ、近場の川沿いで遊ぶことが精一杯なのだろう。微笑ましくも、胸が痛くなる。

さらに我々は進む。目の前が、分かれ道になった。 左はサイクリング道路の続きで登り坂。右はけもの道で川沿い。

迷わず右に進む。せっかくだから、利根川と戯れたいのだ。

しかし、進んでいくと草ボウボウ、川からも徐々に離れていく。タンポポが咲き、蝶々が舞う。もはや我々はランニングというよりも野原を散策しているだけだが、それもまたよし。
藪の中にバンが一台止まっている。爺さんがキャンプ用の椅子に腰かけて盆栽をいじっている。

さらに進むと、河原に突き当たった。


我々は、サイクリング道路を元来た道に向かって歩く。
緩やかな下り坂が続く。もはや走る気は一切なくなった。暑いし日差しが強いし、もういいんじゃね?という雰囲気だ。

I川さんは、Googleレンズで道端の花をバシャバシャと撮影し、季節の花に対する造詣を着々と深めていく。
一方で私は先ほどからずっと鳴き声を響かせ続けている鶯がどこに停まっているのか、生い茂った木々の枝という枝を四方八方くまなくチェックして回っていた。

今度は左に利根川を見ながら進む。ガチのサイクリストが高速で我々を追い抜いて行く。
そろそろお昼なので、ランチをどうしようかという話になる。I川さんが近くのうどん店を探してくれた。なんでも、群馬は小麦粉の産地だという。さすが準備がよい。

2月に横浜でランオフを企画していただいた時も、コースやランチの店を綿密に選定してくれたのだ。

ただしその時は、昨日noteで記事をあげていたCょうさんがスタミナ切れで途中までしか走れなかったために当初の予定が崩れまくり、動くガンダム鑑賞会になった。参加者は楽しんだが、生真面目なI川さんはだいぶへこんでいた。

閑話休題。我々はそのまま走り続けて、教習所の先まで戻った。

先ほど渡ってきた大橋の下に、10台くらいの自動車が止まっている。それぞれが思い思いにバーベキューを楽しんでいる。家族連れが多いが、パパ3人と幼児3人という珍しい組み合わせが目を引いた。一様に、みんな笑顔で楽しんでいる。
我々にもランチを摂る重大任務がある。河原を離れ、元来た大橋を渡った。

渡った先に『大甘堂』という和菓子屋があった。

I川さんが奥さんにお土産として、和菓子を駆って行きたいというので、一緒に入った。
中に入ると、思ったより品揃えが多い。迷った挙げ句、I川さんはどら焼きを3個くらいとその他何種類かを購入した。私も帰りの車内で食べようと、どら焼きを一つ買ってポケットに入れた。

さあ、うどんを食べようと進んで行く。着いた。
休業日だった…

I川さんは、かなりへこんでいるように見える。まずい。なんとかせねば。

気を取り直して、I川さん行きつけのイタリアンに行き先を変更した。チェーン店なので、いきなり休業したりすることはないようだ。行こう!

I川さんのアテンドで進む。途中、自販機の前で立ち止まり水分補給し、また進む。朝通った小川の少し上流沿いを進んで行くと、右手に広い公園が現れた。

I川さんは公園に入りたそうだったが、入り口は見当たらない。中はけっこうな賑わいなのに。謎の作りだ。結局、金網を乗り越えて入ろうということになった。

I川さんの強い意思に動かされ、私は金網を越えようと試みた。登る。飛び降りたいが、適当なスペースがない。かといって、またげるほど金網は低くはない。一旦元に戻る。
そして、息を整えて一気に乗り越える。後脚が金網に引っ掛ってヒヤリとするが、なんとか乗り越えた。

一方、I川さんはさっき買った和菓子を先に投げ入れてから、金網を乗り越えて来た。あっ、I川さんが着地するその真下に和菓子がある!
間一髪、私は研ぎ澄まされた身のこなしで、和菓子を動かすことに成功した。万事解決だ!

ようやく謎の公園に潜入した我々は公園を縦断し、その先にさらに続く公園を目指して道を渡った。
その公園は中心に池があり、その周りを遊歩道やベンチなどが囲んでいる。子供連れが多い。のどかな祝日の午後。

「前に建っているビルをみてください。」
I川さんに促されて、その方向を見る。

「あれが県庁です。」
広い空の中、不自然に高い建物があった。ここが県庁ということは、この辺りは城のお濠跡だろうか?

「また、写真撮りましょうか?」
I川さんはスマホをさっと取り出し、県庁をバックに自撮りを済ませ、速やかにFBにアップした。

名残惜しいが、そろそろランチを摂りたい。イタリアンに移動しよう。

今度は違う大橋を渡り、利根川を越える。沿道が一気にロードサイドっぽくなる。交差点を渡った先、左側にお目当ての店はあった。
『ジャンゴ』。群馬県が誇る、創業50年のローカルチェーンだ。

14時近いが、まだ満席で少し待ってから入った。なんかとんかつが乗っかったミートソースが名物らしいが、さすがにそんなには食えないので、普通のミートソースセットを注文した。I川さんは、ガッツリととんかつ乗せの方を頼んでいた。意外に肉食系なのか?

最初にサラダが来る。

ボリュームたっぷり。けっこういろいろな野菜が入っている。美味。

続いて、パスタが来る。

ソースが甘い。まあまあ旨い。クセになる系の味だ。それより、なんといってもボリュームが多い。満腹だ。

食後は駅に向かって歩き、I川さんの宿に差し掛かったところで解散した。また東京で会いましょう!

いつも地元で走っている仲間と、旅先で不意に合流して走るのも良いものだ。そもそも何をしに群馬に来たのかはすでに忘却の彼方であるが、それもまた良し。私は駅に着き、家人に頼まれていた『焼きまんじゅう』を売店で買って帰路に着いた。

車中で、先ほど買ったどら焼きを食べる。旨い!
今度来た時もまた買おう。
そして、『うしおととり』の汁なし担々麺は、私が死ぬまでに必ず一度は食べるのだ。店主よ、私がいつ太田を訪れても大丈夫なように、食材は一人前だけ余裕を持っておいてください 笑。



追記

Aやのさんが書いた『マジックアワー』の記事は後日noteのおすすめ記事となり、200以上の「いいね」を獲得するヒット作となった。

そのほとぼりが覚めた頃に、M香さんもひっそりとnoteに記事をアップした。

“ この曲はTBS系列 NEWS23 のエンディングテーマとして今年1月からテレビで流れている。アナウンサーの方がこの曲を紹介した時に「どんなニュースがあっても、この曲が最後に待っていてくれます」と言っていたとspitz友達が教えてくれた。
ニュース番組で流れる情報は、心が重くなることも多いと思う。いいことも悪いことも、まずはそのまま受け止めてくれるなら心強いね ”

そうだ、そもそもスピッツの新曲のタイトルにインスパイアされて、M香さんは『僕らのマジックアワーラン』を企画したのだった。
ということは、私のゴールデンウィークは、スピッツ愛に満ち溢れたM香さんの手のひらの中で遊んでいただけだったのだろうか?

「夜明け前の空、少しずつ明るくなる中で紫色になる時間もあったりする。もう少しで夜が明ける時間。今の状況(主にコロナ禍で起こっている様々なことかな)も明ける方向にむかっていくし、むかっていくんだよ。そんな時間を超えていこう。」(草野マサムネ)


次回予告

下関で『海峡』を走る


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* 今回の記事でリンクを貼ったnoteの記事を、改めて以下にまとめておきます。お時間ございましたら、ご一読いただけると嬉しいです😃

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【群馬編の前日譚です】

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