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夜を駆け、そして紫の夜を越える

2021年3月25日、スピッツの新曲「紫の夜を越えて」が配信された。
私がその情報を入手したのは、配信開始から数日が経った午後だった。いつものようにYouTubeを垂れ流しながら仕事をしようと、ホーム画面を開いたら、淡い紫色をバックに佇む草野マサムネ氏のサムネイル画像が目に留まったのだ。

私にとってスピッツの音楽は、好きとか嫌いとか以前に、ただ自然に体の中に存在しているものだった。90年代半ばに父がハマり、CDを揃え始めた。当時小学生だった私もその影響を受け、父の部屋に忍び込んで発売したばかりのアルバムをこっそり聴いたり、ドライブ中に親子で「楓」を大熱唱したりした。しかし、音源を自分で購入して聴くという習慣がなかったためか、実家を出るとともに、スピッツの楽曲に触れる機会はじわじわとなくなっていった。13枚目のアルバム『とげまる』以降は、新曲を追うこともなくなっていった。

久しぶりにスピッツと対面した嬉しさと懐かしさから、なんとなく、本当になんとなくサムネイルをクリックする。

イントロのアルペジオが、もう懐かしい。メンバーの見た目が記憶とほとんど変わらないことに驚きつつも、聴き進める。「むらーさきのー♪」で半音ずつ上がるメロディに、胸がキュッとなる。この、人の心を鷲掴みするのではなく、「優しくつまむ」くらいの控えめな引っかかりのようなものに、私は幾度となくやられてきたのだと思い出す。気が付けば、何度も何度もリピートしてしまっていた(というか今もしている)。

それにしても、「紫の夜」とはなんだろう。冷静(青)と情熱(赤)の間的なことだろうか…と、お粗末な考察を繰り広げていたら、趣味のランニング仲間に「マジックアワー」なるものの存在を教えてもらった。なんでも、日の出後数十分しか見られない薄明の時間帯のことで、空が紫色に染まることもあるらしい。これは自分の目で確かめにいくしかあるまい。「紫の夜を越えるラン」だ。

私が住む神奈川県の日の出の時間は、午前4時50分くらい。これは早起きをしなければ。いやいや、一度寝てしまうともうそれは「紫の夜」ではなく「紫の朝」なのでは?このまま徹夜空けで走ってこそ「紫の夜を越えるラン」なんじゃないか?そもそも徹夜明けのランニングって危なくない……?

時刻はもう午前3時を過ぎていたが、ごちゃごちゃ考えていたら眠たくなってしまった。1時間だけ、おとなしく寝た。

1時間後、携帯電話のアラームに起こされる。カーテンの隙間から光が漏れている。これは紛れもない朝だ。こんなに明るくなってしまって、「紫の夜を越えるラン」ができるのだろうか……とにかく外に出よう。

午前4時30分。玄関のドアを開ける。
空はすでに白んでおり、遠くの方が赤く染まり始めている。

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まずい、紫の夜が終わってしまう。赤く染まった場所を目指し、慌てて走る。耳に差し込んだワイヤレスイヤホンから流れるのは、もちろん「紫の夜を越えて」だ。

20分後、開けた公園に到着。

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美しい朝焼けだ。
でも想像していたよりも赤みが強く、紫とは言い難い色だった。

この「ちょっと紫がかってる赤金色の空」は、爽やかな1日の始まりをあまりにも直接的に表現している。私が見たかったのは、もっと静かで、それでも確かに希望の兆しが感じられる、そんな「闇に溶け始める光」だったのだ。

同じように早朝ランニングを楽しんでいた仲間たちが、SNSに投稿した写真を見てみる。どうやら、太陽が顔を出し始める直前のタイミングに撮影すると、比較的紫に近い色になるようだ。一足遅かった。

「紫の夜を越えるラン」は失敗に終わったが、実はもうひとつ、今から9年ほど前、私と共に走ってくれたスピッツの楽曲がある。

2002年にリリースされたアルバム、『三日月ロック』の1曲目に収録されている「夜を駆ける」だ。

深夜特有の静けさや、ひんやりとした肌触りを感じる曲だ。「紫の夜を越えて」が光というゴールへ向かうランニングの曲なら、これは迫りくる闇から逃れるシーンを切り取った、逃避行の曲だ。

23歳だった私は、居心地の悪い実家を出るため、縁もゆかりもない地方都市に就職した。二度と戻らない覚悟で見知らぬ街に足を踏み入れたのだが、世間知らずの私は社会の荒波にあっさりと飲み込まれ、わずか3ヶ月という早さで退職してしまった。泣く泣く実家に出戻り、いわゆるニートになったのだが、どうにも肩身が狭い。かといって再就職するには心身にダメージを負いすぎており、思うように身動きが取れなかった。そんな気まずさを解消するために毎日、家族の食事を作ったり愚痴を聞いたり、掃除や洗濯をして過ごした。

当時の私は、自分の人生をコントロールできていない無力感に苛まれていた。自分にこれ以上絶望しないために、毎日皿を洗いフライパンを振り、玄関で帰宅した家族を出迎えた。

そんな暮らしをしていると、たまに叫びたくなるような夜が訪れる。しかし叫ぶわけにはいかない。同室では、翌日も仕事を控えた姉が眠っているのだ。でも、いてもたってもいられない。のっそりと起き上がり、ジャージに着替える。ウォークマンと財布をポケットに入れ、家を出る。家族を起こさないよう慎重に玄関のドアを開け、カギを閉め、鼻から大きく外の空気を吸う。逃避行の始まりだ。

ウォークマンから流れる「夜を駆ける」をBGMに、真っ暗な住宅街を全力疾走する。息が上がって苦しくなると、止まって休憩する。これを繰り返すと、体の疲れと「変質者に遭遇したらどうしよう」という恐怖で、嫌なことを忘れられるのだ。

「夜を駆ける」のサビ部分に、「君と遊ぶ」という歌詞があるが、私にも遊び相手がいた。真っ暗闇のなか、煌々と輝く自動販売機とコンビニだ。この時間帯に活動しているのは、私と彼らくらいのものである。ひとしきり走って呼吸が落ち着いたら、最寄りの自販機かコンビニで飲み物を買い、ぶらぶら歩きながら飲む。心地よい脱力感を伴うこの時間が、私は嫌いではなかった。

遠くまで足を伸ばした日は、そのまま夜が明けることもあった。
しかし今にして思えば、「紫の夜」を越えた記憶はない。美しい朝焼けに心を動かされた記憶もない。固い歩道を踏みしめて「夜を駆け」続け、その先に白っぽい朝が待っているだけだった。当時の私にとっての夜明けとは、楽しい休み時間の終わりと憂鬱な授業の開始を告げる、学校のチャイムのようなものだったのかもしれない。「あぁ、また朝が来たよ」と、心の中で何度舌打ちしたことか。

あれから9年の月日が経った今、自分が選んだ人と自分で選んだ場所に住み、自分で選んだ仕事をして生活している。自販機やコンビニとは今でも良い遊び仲間だが、それ以外にもランニング中に撮った写真を見せ合える仲間だっている。

気が付けばいつのまにか、暗闇を駆け抜け、紫の夜を越え、ぽかぽかの日差しの下にいた。努力して苦難を乗り越え、幸せを勝ち取ったわけではない。泣いたり喚いたり自分に絶望しているうちに、なんか自然と夜が明けていたのだ。

23歳の私は、「明けない夜はない」という言葉が大嫌いだった。今でも陳腐な言葉だと思う。でも、もうすぐ32歳になる今、人生の夜明けは本当にあるのかも……くらいには思えている。



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