ちょう ひかり

息切れライター。 ふざけることと柴犬が好きです。

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マガジン

  • WE Run | Write, Eat, Run

    • 267本

    私たちが(そして誰かが)走り続けるためのリレーマガジン

最近の記事

行けたら行く、たぶんそのうちきっと

「磯野ぉ、野球しようぜ!」 大人になった磯野カツオは、友人・中島くんのこのテンプレ台詞を、ふとした瞬間思い出したりするんだろうか。 * 先月、生まれて初めてバーベキュー場という場所に行った。「来ませんか」と誘われたからだ。 何も考えず「行きます」と返事をし、約束の時間に待ち合わせ場所の豊洲駅へと集合し、十数名のメンバーと連れ立って会場までの道を歩く。ほとんどの人が初対面だ。イケイケな雰囲気漂うバーベキュー場に到着すると、すでに他のメンバーが準備を進めている最中で、参加

    • 好きこそ物の上手にならなかった2021年

      私が何かを始めようとするとき、また「楽しい」と思えるものが見つかったとき、「本当に?」と耳元で囁いてくる嫌な奴がいる。その嫌な奴とは、他でもない私自身だ。 奴は、楽しいことの「純度」にとにかくうるさい。私が何かに熱中していると、「それって、人から評価されることが目的になってない?」「将来的に自分の資産にしたいみたいな打算があるんじゃない?」と、何かにつけてジャッジしたがる。そして奴の「アウト」の基準に引っかかった瞬間、私がそれまで抱いていた対象への興味や情熱は、どういうわけ

      • それでも自販機でジュースを買う

        どこにでもある、飲み物の自販機が好きだ。散歩中、道端にポツンと立つ自販機を見かけると、なんだか嬉しくなってついついラインナップをチェックしてしまう。ボックス内の照明に照らされ、ズラッと並べられた数十種類の飲み物たち。スーパーやコンビニよりも限られた選択肢の中から、そのとき自分の喉が最も欲しているナンバーワンドリンクを選抜するのは、一期一会の楽しさがある。運良くお気に入りのジュースが置いてあったり、激安価格の自販機に出会えたら、その日はなんだかハッピーに過ごせる。自販機とは、言

        • 「探しものラン」とは、走りながら行う大喜利大会である。

          私の所属するPANETSCLUBのランニング部で今月27日に開催される、「探しものラン」というオンラインイベントに参加しようと思っている。 ランニング部所属といっても、私はろくにランニングをしない、言わば「腰かけ部員」だ。ひと月に1キロも走ればいい方で、もっと走らない月もある。日によってやる気の波が激しい性格ということもあり、ランニング部で頻繁に開催されるイベントにも、毎回参加しているわけではない。気が向いた時にふらっと現れて、ちゃっかり参加させてもらっている。こんないいか

        行けたら行く、たぶんそのうちきっと

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          動く、腹減る、飯を食う

          今朝、ランニング仲間が開催する「朝ごはんラン」というオンラインイベントに参加した。 朝起きて好きな時間に走り、午前9時にZoomで集合。各々自宅のキッチンで朝ごはんを作り、9時10分にみんな揃って「いただきます」する、といういい感じにゆるいイベントだ。 * 午前7時30分にスマホのアラームで起床した私は、ぐったりしていた。低気圧と、前日の夜に食べた横浜家系ラーメン(味玉トッピング)のせいだろう。少し気分が悪く、体も重い。とはいえ、イベントのために前日から材料の買い出しや

          動く、腹減る、飯を食う

          夜を駆け、そして紫の夜を越える

          2021年3月25日、スピッツの新曲「紫の夜を越えて」が配信された。 私がその情報を入手したのは、配信開始から数日が経った午後だった。いつものようにYouTubeを垂れ流しながら仕事をしようと、ホーム画面を開いたら、淡い紫色をバックに佇む草野マサムネ氏のサムネイル画像が目に留まったのだ。 私にとってスピッツの音楽は、好きとか嫌いとか以前に、ただ自然に体の中に存在しているものだった。90年代半ばに父がハマり、CDを揃え始めた。当時小学生だった私もその影響を受け、父の部屋に忍び

          夜を駆け、そして紫の夜を越える

          徒歩3分で、会える幸せ

           私は、ケチである。節約のためならどんなことでもする「ドケチ」とまではいかないが、「そこそこのケチ」である。洋服や靴は3~4年に一度買えばいい方だし、スマホは2017年になってようやくガラケーから買い替えたものの、それ以降はずっと同じものを使い続けている。「手に入れたい欲望」もしくは「必要性」が限界に達するまで、私の財布の紐は緩まないのだ。  しかし、「そこそこケチ」な私でも、生きていくためには削る事ができない出費というものがある。家賃に光熱費、そして食費だ。外食をあまりせ

          徒歩3分で、会える幸せ

          後ろ向きに、走り出す

          午前7時。隣でスヤスヤと眠る夫を起こさないよう、慎重にベッドから抜け出す。寝室のふすまを静かに閉めて、キッチンで常温の水を1杯飲む。まだ10月だというのに朝の空気はひんやりと冷たい。薄手のパジャマがそろそろ厳しい季節になってきたなぁと、覚醒しきらない頭でぼんやりと思う。 ボーッとしたまま、着替えるために玄関へ向かう。なぜ玄関で着替えるのかというと、昨晩、他でもない私自身がランニングウェア一式を玄関に用意しておいたからだ。今日から週に4日、ランニングをすると心に誓ったのである

          後ろ向きに、走り出す

          情報過多の固い道を、ふた駅分走る【池袋~高田馬場】

          ※方向音痴の意識低い系ランナーが、月に一度、ひと駅分だけ走るエッセイです。 ある火曜日の午後三時、私は西武池袋本店の前に立っていた。 足元には、つい今しがた買ったばかりのランニングシューズを履いている。 神奈川県在住で、東京には三カ月に一度行けばいい方の私がなぜここにいるかというと、ずばりこのシューズを買うためだ。 来月、仲間内で開催される「トレイルラン」なるものに参加してみることを決意した。ゆるやかな初心者向けのコースで、距離は十キロほどだそうだ。しかし、それまで「月に

          情報過多の固い道を、ふた駅分走る【池袋~高田馬場】

          裸はどうして不安なのか

          最近、「裸とはなにか」について考え続けている。 もう半月以上考えているのに、答えはいっこうに出る気配がない。 裸について考えるようになったきっかけは、9月22日の秋分の日に入った銭湯だ。自宅からそこそこ近い場所に昔ながらの銭湯があることを知った私は、興味本位でそこへ行ってみたのである。 * 開放された入口の「ゆ」と書かれた暖簾をくぐると、正面には靴を入れるためのロッカーが設置されており、その左右に引き戸が1つずつある。左が女湯で、右が男湯のようだ。やや緊張しながらもスニ

          裸はどうして不安なのか

          蒸れた服を着て走る煩わしさのこと

          先月、「濡れた服を着て走る重苦しさのこと」というタイトルのエッセイを書いた。初めて雨の日にランニングをしたら服がびしょびしょに濡れ、その重苦しさが人間関係に似ているのではないかという内容だ。 そんなエッセイに、あるお方がこんなコメントをくれた。 「長さんのパーカーが防水になる日が来たら良いなって思いました。」 この発想に、目から大きめの鱗がボロンとこぼれ落ちた。誤解しないでほしいが、”防水パーカーを着れば雨の日に濡れなくて済む”ということを私が知らなかったわけではない。“防

          蒸れた服を着て走る煩わしさのこと

          「忘れられたもの」の悲鳴を聴きながら、ひと駅分走る【大和〜鶴間】

          ※方向音痴の意識低い系ランナーが、月に一度、ひと駅分だけ走るエッセイです。 あぁ、なんて退屈な道なんだ。 秋分の日の午後三時、私は小田急線の線路沿いを走っていた。今日のスタート地点は「大和駅」。ゴールは隣の「鶴間駅」だ。線路沿いを走るのは、道に迷わないよう自分で設けたルールなのだが、それにしてもこのコースは退屈すぎる。左に線路、右に住宅。左に線路、右手に住宅……。もう一キロくらいこの調子だ。さらにこの日は諸事情により、荷物の入ったリュックを背負って走っていた。かかとが地面

          「忘れられたもの」の悲鳴を聴きながら、ひと駅分走る【大和〜鶴間】

          おかゆメンタルとエッセイのこと

          私の毎日の暮らしには、ストレスがとても少ない。  朝八時に起きて朝食を作る。ゴミを出して会社へ行く夫を見送り、パソコンのスイッチを入れて仕事を始める。十二時なったら昼食を作る。また仕事する。十八時になったら夕食を作り、帰って来た夫と一緒に食べる。一休みしたら風呂に入る。二十三時まで好きなことをして過ごし、眠る。平日はこの繰り返しだ。休日は夫と出かけたり、家でジグソーパズルをして過ごす。半年に一度くらいは、友人と川や海で遊ぶ。こんな生活を続けてもう三年近くなる。それ以前は、飲

          おかゆメンタルとエッセイのこと

          濡れた服を着て走る重苦しさのこと

          午前8時、小雨がパラパラと降るなかランニングをする。初めての「雨の日ラン」である。いつもより人通りの少ない道、雨粒のかかった顔に風が吹きつけてひんやりとする感触、どれも新鮮だ。 いつもランニング時に着ているお気に入りの青いパーカーは、水をよく吸う素材。走っているうちに、ゆっくり、ゆっくりと湿っていくのを感じる。気が付いたときには、ずっしりと重たくなっていた。 水分を吸って重たくなったパーカーは、人間関係とよく似ているなと、走りながら思う。他人からの好意や期待といった「雨粒

          濡れた服を着て走る重苦しさのこと

          心地よい「ひとりぼっち」を、ひと駅分走る【六会日大前~善行】

          ※方向音痴の意識低い系ランナーが、月に一度、ひと駅分だけ走るエッセイです ツイてない。今月はとにかくツイてない。 先月末に思い付きでやった「ひと駅ラン」がけっこう面白かったので、今月もやる予定だった。しかし、走ろうと思った日に限って、ことごとくジャマが入る。先々週は体中に世界地図のようなじんましんが出て延期、先週は踏切を渡ろうと小走りしたら足の親指を捻挫して延期。ちなみに、全身のじんましんも足の親指の捻挫も、三十一年間生きてきて初めての体験である。なんなんだ。ランニングの神

          心地よい「ひとりぼっち」を、ひと駅分走る【六会日大前~善行】

          ベッドの下になにかいる

          私が寝室の「妙な臭い」に気付いたのは、去年の梅雨時だ。悪臭、とまではいかないが、じめっとした不穏な臭いが、寝る前や朝起きた時など、不意に鼻をつくことがあった。その臭いは、四六時中しているわけではない。主に雨が降った日、ふとした瞬間にやってくる。臭いに鈍感な夫に聞いてみたら、「気のせいじゃない?」と言う。納得がいかず、洋服ダンス・押入れ・ベッドのマットレス、全て調べてみたが、臭いの発生源は見つからない。やっぱり気のせいなのか、そう思ったら気が楽になり、いつも通り熟睡してしまった

          ベッドの下になにかいる