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濡れた服を着て走る重苦しさのこと

午前8時、小雨がパラパラと降るなかランニングをする。初めての「雨の日ラン」である。いつもより人通りの少ない道、雨粒のかかった顔に風が吹きつけてひんやりとする感触、どれも新鮮だ。

いつもランニング時に着ているお気に入りの青いパーカーは、水をよく吸う素材。走っているうちに、ゆっくり、ゆっくりと湿っていくのを感じる。気が付いたときには、ずっしりと重たくなっていた。

水分を吸って重たくなったパーカーは、人間関係とよく似ているなと、走りながら思う。他人からの好意や期待といった「雨粒」が体の表面に付着して徐々に身動きが取れなくなり。そして重さが限界に達すると、パーカーを脱ぎ捨てる。人と長期的な信頼関係を築くのが苦手な私は、いつもそうやって、人間関係をリセットしてきた。親も、友人も、かつての職場の同僚も、気が付けばかなり疎遠になってしまった。

家に帰り、パーカーを脱いで洗濯機に放り投げる。体が軽くて快適だ。濡れたパーカーは、洗濯して乾かせば元通り軽くなる。もしかしたら人間関係も、パーカーと同じように洗って乾かせば、毎回脱ぎ捨てる必要はないのかもしれない。「嫌われてもいい、良い人じゃなくていい、おバカだと思われてもいい」というある種の開き直りが、心の洗濯乾燥機として機能するのかもしれない。

心の洗濯乾燥機を手に入れられたら、細く長く、程よい距離感での人間関係を構築できるのだろうか。柔軟剤をたっぷり入れた、優しい気持ちで。


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