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好きこそ物の上手にならなかった2021年

私が何かを始めようとするとき、また「楽しい」と思えるものが見つかったとき、「本当に?」と耳元で囁いてくる嫌な奴がいる。その嫌な奴とは、他でもない私自身だ。

奴は、楽しいことの「純度」にとにかくうるさい。私が何かに熱中していると、「それって、人から評価されることが目的になってない?」「将来的に自分の資産にしたいみたいな打算があるんじゃない?」と、何かにつけてジャッジしたがる。そして奴の「アウト」の基準に引っかかった瞬間、私がそれまで抱いていた対象への興味や情熱は、どういうわけか薄らいでいってしまうのだ。中学で始めたテニスも、高校で始めたバスケットボールも、大人になってから再開したピアノも、奴から「アウト」と告げられて辞めた。

2020年の6月あたりから、私はエッセイを書くことに熱中していた。自分の平凡な日常や大人としてダメな部分をふざけた調子で綴ることで、それまで心の中でモヤモヤしていたものが無くなるうえに、純粋な創作の楽しさに酔いしれていた。

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趣味を見つけて嬉しくなった私は、書いたエッセイを人に読んでもらったり、本を読んで知識を付けたり、書くネタを探すためにランニングに出かけたりするようになった。在宅仕事で引きこもりがちな自分の世界が少しだけ外側に開いていくような感覚がして、ますますエッセイを書くのが楽しくなった。

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しかし、しばらく書き続けていると、こんな声が聞こえてくる。

「嘘じゃん、それ」

声の主は、冒頭で紹介した“嫌な奴”である。
もちろん実際に声がするわけではないが、私の心が私の書いたエッセイを「嘘」だとジャッジして、書けなくなるということが度々起こるのだ。「嘘」というのは、実際に起こった出来事を捏造しているという意味ではない。奴の言い分はこうだ。

「『面白い文章を書きたい』という気持ちは本当かもしれないが、そのために訓練したり、外部から情報を取り入れることをお前は本当に楽しんでいるか?」

その問いに、私は答えられなかった。正直なところ、「すでに自分の中にあるもの」「自分の身に自然発生したもの」だけ書いていたい。でもそれでは、面白いものは書けない。だから重い腰を上げて本を開いたり出かけたりして外の世界を覗き込み、材料集めが完了してからエッセイを書くのだ。奴は、それを「不純だ」と言う。

もっとしっかり考えて、内容を練らなければ。
「嘘じゃん、それ」

言い回しや展開に頼らずに、中身のあるものを作らなければ。
「嘘じゃん、それ」

この狭い部屋の中から出て、世の中で起こっている出来事に、もっと目を向けなければ。
「嘘じゃん、それ」

私は度重なる嘘じゃん攻撃を、「うるせぇな」と突っぱねる体力がなかった。だから、書くのがつまらなくなってしまった。

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未練がましくSNSに愚痴をこぼして以降、エッセイは半年近く書かなかった。

で、この半年間で私が何をしていたかというと、ひたすら毎日小説を書いていた。「ほとんど同じじゃねえか」と思われるかもしれないが、この二つは全くの別物だ。なぜなら、私にとってエッセイは「誰に見られても構わないもの」だが、小説は「絶対に誰にも見られてはいけないもの」だからだ。理由は単純で、恥ずかしいから。

小説というものは、私にとって「手を出してはいけないもの」だった。子供の頃から一度書いてみたいと思っていたのだが、原稿用紙半分を埋めたところで「ギャー」となって、とてもじゃないが書けなかった。「登場人物を作り出し、彼ら・彼女らの姿を借りて自己表現している自分」に、言いようのない照れを感じてしまうのだ。しかしなぜか、「小説を書く」という趣味は、奴のお眼鏡にかなった。

「『誰にも言えないけどついやってしまうこと』こそ、一番純度の高い趣味である」

奴は未だかつてないほど、私に協力的だった(この問答がすでに小説かぶれで痛々しいことこの上ないが、大目に見て欲しい)。無事に許可が降りた私は、思い切って人生初となる「小説を書く」という趣味にチャレンジした。

一度書き始めたら、何かのタガが外れてしまったのか、もう止まらなかった。
仕事も家事も最小限に抑え、とにかく毎日書きまくった。半年近くが経った今でも、毎日欠かさず書いている。完成した作品(と呼ぶのも恥ずかしいお粗末な何か)は、1万字程度の短編が40本、3千字程度のショートショートが15本にもなる。誰も読まないのに、月平均10本程度の小説を書いている。家からほとんど出ない生活なのに、書くネタに詰まったことは一度もない。もしかしたら同じような話を何度も何度も書いているのかもしれない。どう考えても、常軌を逸している。

睡眠時間は一日平均4〜5時間になり、食欲減退と運動不足で体重は半年で5キロ減った。ついでに収入も減った。眼精疲労のせいか、毎晩ベッドにもぐると顔の上半分がぐにゃぐにゃする。こんな風に何かに夢中になったのは、32年間生きてきて初めてのことだった。それまで「嘘じゃん」と私に囁き続けてきた嫌な奴は、この半年間沈黙を貫いている。

今こうして久々にエッセイを書いているのは、半年経って「小説を書きたい」というどこから湧いたのかわからないとてつもない欲望を、ようやく飼い慣らせるようになったからだ。あとは、「このままだとヤバいのでは」という危機感からだ。

何十万文字小説を書いたところで、書きたい欲望が満たされただけで、私の手元には何も残っていない。言葉の意味を調べるくらいのことはするが、小説の作法や物語の作り方を学ぼうという意欲が一切ないため、実になるようなことは本当に何もないのだ。

この「何も残らない感じ」こそ、奴の言う「純度の高さ」の証なのだろうが、今の私はなんだ。ただの最高に体調の悪い三十二歳の女じゃないか。このままものすごいスピードで筋力や視力を低下させ、年老いていくのだろうか。すごく怖い。

気力が湧けば参加したいイベントもあるし、応援したい人もいる。でも、「嘘じゃん」が怖くて、まだ動くことができない。人生を無駄にする恐怖はあるが、それに抗うガッツが出ないのだ。仕方がないので、自然な流れに身を任せてみようと思う。もしかしたら、何かの拍子で奴からのお許しが出るかもしれない。

──という2021年下半期に起こった出来事を整理したかっただけで、この話にオチはない。55本も小説を書いたのに、真面目にやらないせいで、オチの付け方すらわからないのである。笑うしかない。

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