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徒歩3分で、会える幸せ

 私は、ケチである。節約のためならどんなことでもする「ドケチ」とまではいかないが、「そこそこのケチ」である。洋服や靴は3~4年に一度買えばいい方だし、スマホは2017年になってようやくガラケーから買い替えたものの、それ以降はずっと同じものを使い続けている。「手に入れたい欲望」もしくは「必要性」が限界に達するまで、私の財布の紐は緩まないのだ。

 しかし、「そこそこケチ」な私でも、生きていくためには削る事ができない出費というものがある。家賃に光熱費、そして食費だ。外食をあまりせず、かといってコンビニや飲食店のテイクアウトもあまり利用しない私は、主にスーパーで食材を調達する。スーパーでの買い物は、私にとってあまり楽しい時間とは言えない。その時一番お買い得な肉や野菜を探し、頭の中で数日分の献立をシミュレーションしながら、買い物カゴへと入れていく。事前に買いたいものを決めてしまうと、お目当ての商品が割高だった時に舌打ちしたくなるので、なるべくその場で決めるのだ。本音を言えば、その時食べたいものを自由に選びたい。しかし、ケチな性分がそうはさせてくれない。「何でも買っていいんだよ」と、誰かが背中を押してくれればいいのに。

 今から四年前の冬のことである。その日も私は最寄りのスーパーへと出向き、うつろな目でお買い得商品を探し回るという、「節約ゾンビ」の活動に勤しんでいた。買い物を終え、重たくなったエコバッグを抱えて帰路へつく途中、長らく工事中だった空きビルの窓ガラスに、一枚の張り紙がしてあるのを見つけた。

「◯月×日、オーケーストア OPEN!」

私の胸はトクンと高鳴った。「オーケーストア」(以下「オーケー」)は、「高品質・Everyday Low Price」を経営方針として掲げるスーパーマーケットだ。他の店舗を何度か利用したことがあるが、あらゆる商品が他のスーパーよりも格段に安くて、驚いたのを覚えている。これは開店初日に行ってみるしかない。

 オープン当日、期待に胸を膨らませながら、朝の空いている時間帯を狙って「オーケー」に入店してみる。するとそこには、夢の世界が広がっていた。見渡す限り、安い商品ばかりなのである。豆腐は1パック36円、冷凍餃子は12個入りで119円、豆乳は1リットル147円。ハーゲンダッツのアイスクリームなんて、ひとつ197円である。内心「安いからってたくさん買ったら本末転倒なのに…!」と思いつつも、品物を物色する手が止まらない。ずっしりと重くなったかごをレジに持っていくと、店員の女性に「オーケーカードはお持ちですか?」と尋ねられる。なんでも、200円支払って一度オーケーカードを作ると、その後は未来永劫お会計が3%割引になるらしい。もちろんその場でカードを作る。

 店を出た後、私はこれまで味わったことのない多幸感に包まれた。「どれもこれも高いなぁ」とスーパーでため息をつきながら買い物をするのが、自分にとってどれほどストレスだったのか、私はこの時思い知ったのである。生活に困窮しているわけではないが、決して裕福とは言えない暮らしのなかで、毎月の食費は私に少しずつダメージを与え続けていた。そんな私の憂鬱を、「オーケー」は晴らしてくれたのだ。「どれでも買っていいんだぜ。安くしといたから!」と、親指と人差し指で輪っかを作り、爽やかに笑いかけてくれたのである。「これも使えよ、もっと安くなるぜ!」と、黒く輝くオーケーカードを差し出してくれたのである。どうしよう、ときめく恋に駆け出しそうだ。

♡♡

 それからというものの、私は「オーケー」に足繁く通うようになった。自宅から「オーケー」までの距離は徒歩三分という近さなので、まとめ買いはせず、散歩がてらに週三回は行く。いや、「近いから」というのはただの建前で、本当は一回でも多く「オーケー」に会いに行って、その安さにうっとりしたいだけなのかもしれない。「オーケー」は、来る日も来る日も安く、そして高品質だった。いつも同じ価格をキープするというのは、さすがに難しいようで、やむを得ず値上げすることもある。そんなときは決まって、商品の脇に値上げの経緯とお詫びのメッセージが書かれたカードが添えられている。その誠実さもまた、私をキュンとさせた。「本社にお礼の手紙を書きたい」という衝動に駆られたが、さすがに気持ち悪いのではないかという自意識が勝り、思い留まった。いやむしろ、手紙のような役に立たないものを送るよりも、1円分でも多く買い物をして、売上に貢献するのが一番の応援のはずだ。お金を節約するために通っていたはずなのに、いつの間にか「オーケー」にお金を落とすことが目的化している。恋は盲目である。

 ある日、会計を済ませた商品をエコバッグに詰めていると、目の前に壁に「お客様の声」が貼られていることに気がついた。この手のアンケートを読むのが好きな私は、手を止めてひとつひとつ熟読してみた。するとどうだろう、「以前は売っていた〇〇が、探しても見つからなかった!取り寄せて欲しい!」「××味のお菓子も置いて!」など、好き勝手なことを言う客ばかりだ。低価格・高品質を維持するために、何でもかんでもポンポン入荷するわけにはいかないだろう。すでに置いてある物に感謝して、置いていないものは他のスーパーで買えばいいのだ。身勝手なことを言って「オーケー」を困らせないで欲しい!
……という怒りを、帰宅してから家族にぶちまけてみた。家族は引いていた。

♡♡♡

 月日は流れ、この街に住み始めて今年で五年目になる。今の生活に不満はないが、五年も同じ場所に住んでいると、平日の散歩コースも休日のお出かけ先もマンネリ化してきた。せっかく賃貸の家に住んでいるのだし、引っ越しを検討してもいいんじゃないかと考え、半分遊びのつもりでGoogleマップのストリートビューを起動してみる。小田原に鎌倉、三浦半島……見慣れない街の景色はどれも新鮮で、ここに住むかもしれないと思うとワクワクしてくる。しかし、ここで私の頭の中を、ある考えがよぎる。

「でもこの街、『オーケー』ないじゃん」

新しい街で「オーケーのない日常」を送る自分を想像してみた。新しい住居、新しい駅、新しい散歩コース。すべてが新鮮で輝いて見えるが、問題は買い物をする場所だ。「生活応援」とは口ばかりで大した値下げもしてくれないスーパーや、「特売品」というその場限りの優しさしかくれないスーパーに弄ばれ、再び「節約ゾンビ」となる私。お買い得商品を探して店内を徘徊し、ポツリとつぶやくのである。「『オーケー』に会いたい……」

 気がつけば、さっきまでのワクワクはどこかへ消え失せてしまった。それどころか、引っ越し自体がなんだかどうでもよくなってしまった。この街で「オーケー」と過ごした四年間が、私の中でこれほど重要なものになっているとは。私の人生はこのまま「オーケー」に支配されてしまうのだろうか。怖くなってきたので、これ以上考えるのはやめて、しばらくはこの街に住み続けようと思う。

 愛しの「オーケー」が閉店し、私の元を去った時が、引っ越しのタイミングなのかもしれない。もしかしたら、引っ越した街で運命的な再会をして、またあの殺し文句を言ってくれるかもしれない。

「どれでも買っていいんだぜ。安くしといたから!」


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